82 それぞれの決断③
「で、今日はなんの用だい?」
ジラール邸では、実験器具にかじりついていたマルクスが、ようやく口を開いた。
「もしかして、あれかい? 公爵令嬢から届いた手紙のことなら、今回はハズレだったよ。魔術の跡なんて、これっぽっちもなかった。おそらく、こちら側にも魔導士がついていると勘づかれたのだろうね」
「いや、その話ではなく……」
幼馴染から届いたものが、なんの変哲もない、ただの郵便物だったことは、レオンもすでに聞き及んでいた。
手がかりが得られなかったのは残念だが、ステファニーが無事だと分かっただけでも、よかったと思うしかない。
「じゃあ、なんだって言うんだ? 君がわざわざ僕の部屋までくるなんて、ずいぶん珍しいじゃないか」
「それはえっと、あー……」
レオンはきまりが悪そうに言葉を濁してから、すっくと立ち上がる。
「マルクスに、感謝の気持ちを伝えたくて」
「えっ。なになに、どういう風の吹きまわし!?」
つられるように、マルクスもその場で直立した。その顔には、不快な笑みが浮かんでいる。
「剣術大会での事件のことだ。ソフィア嬢が魔力の扱い方を学んでいたおかげで、俺は救われた。そして彼女が動けたのは、魔導士長から直々に、魔力操作の術を叩き込まれていたためであって、だから……心より感謝申し上げます」
レオンが頭を下げると、マルクスはそれを眺めながら、ニマニマと微笑んだ。
「僕さ。あんまり人に感謝されたことってないんだけど、こういうのも悪くないね?」
どうしてこいつは、捻くれた言い回ししかできないんだ?
いつもなら反射的に言葉を返すところだが、ぐっと堪えて続きを口にする。
「併せて、過去の発言を訂正させてほしい。ソフィア嬢の誘拐事件があった頃、俺が『魔塔の人間は信頼できない』と告げたことを覚えているか?」
「もちろん、覚えているとも! 魔導士長に向かって、馬鹿正直に意見をぶつけてくる男は、そうそういないからね」
マルクスは何度も頷きつつ、嬉しそうに答えた。
「いや、なんというか、失礼な態度をとった自覚はある。その節は申し訳なかった」
「別に気にしちゃいないよ! 面白い人間は好きだからね、僕は」
気まずげなレオンを、マルクスはからからと笑い飛ばす。
その言葉に偽りはないのだろう。なんともご機嫌な様子で、実験器具を片し始める。
「正直なところ、今も魔塔に対する不信感はある。だがそれは、組織に抱いている感情だ。ソフィア嬢と一緒にいる姿を見てきて、お前個人に悪意はないと信じられるようになった」
「本当? それは嬉しいなぁ!」
マルクスはこちらに近づいてくると、先ほどまでレオンが座っていた椅子に腰掛けた。
「だから改めて、今後の話がしたい。おそらくステファニーは、ルイス様の婚約者になるだろう。そうすると、身代わりを務めるソフィア嬢へ向けられる悪意も、増えていくはずだ」
「まあ、そうかもしれないね」
ぶっきらぼうにマルクスが言い放つ。多少敵が増えようとも、なんの支障もないのだろう。
だが、それはあくまで“自分が動ける”ことが前提での話。いくらこいつが強かろうと、一人ではどうしようもない場面だってあるかもしれない。
今回の暗殺未遂事件を経て、レオンは属人的な警備態勢に対する不安感も覚えていた。
もちろん身を挺してでも、ソフィア嬢を守り抜く覚悟はできている。
けれども自分がまた、行動不能の状態に陥ったら? 彼女が再び誘拐され、所在が分からなくなってしまったら?
危機的な状況であっても、この男と力を合わせることができれば、心強い気がした。
「マルクス、正式に手を組もう。俺はこれからも、ソフィア嬢をそばで守り続ける。それでも太刀打ちできない時は、一緒に戦ってほしい」
「うーん。なんだか、今までとあんまり変わらない気がするんだけど?」
こちらを見上げる魔導士長は、にやけ顔で首を傾げる。
レオンは大きく息を吸い、覚悟を決めた。
「単なる協力者ではなく、仲間になりたいんだ、お前と」
「は?」
予想外な返答だったのか、マルクスは口を開けたまま固まった。
「俺はお前に背中を預けるし、いざという時は盾になってやる」
「あのさ! 僕は国一番の魔導士なんだよ? 君の手助けがいると思う!?」
なぜか慌てたように、早口でまくし立ててくる。
こいつが狼狽えている理由は分からないが、『マルクスとの間にある奇妙な距離感をなくしたい』というのが、レオンの本心だった。
「お前が強いのは分かっている。俺の助けなんか、全くいらないかもしれない。それでも、頼れる人間がそばにいると、安心できるだろう? だから、腹の探り合いはやめたいんだ。お互いに信頼して、力を合わせていかないか」
黙っている魔導士長に向かって、レオンは手を差しのべる。
マルクスにしては、珍しく逡巡しているらしい。
大したことは話していないはずだが、なにが引っかかっているのだろう。
俺では力不足なのか、あるいは近衛士官というこちらの立場が、決断を迷わせているのかもしれない。
魔塔の人間は、国王のみに忠誠を誓う特殊な存在で、その他の王城に勤める騎士や使用人たちとの交流を、よしとしない風潮もあるからだ。
しばし沈黙が続いたものの、マルクスはそろりと手を握り返した。
「……まあ、断る理由はないからね。それと」
「!?」
指の鳴る音とともに、レオンの左耳に痛みが走る。
「一つ貸しておいてあげよう。とはいえ、ソフィアに渡した魔導具ほど緻密には作っていないから、いざという時のお守り程度に考えといてね」
「分かった。ありがとう」
耳たぶには、つるりとした丸い石がついていた。おそらくソフィア嬢のピアスと同じように、外部からの攻撃を吸収してくれる魔導具なのだろう。
耳元を静かに触っているレオンを見て、マルクスは悪戯っぽい笑みを浮かべる。
「なんの宝石か、気になってるんだろう? 琥珀だよ」
そして得意げに、自分の瞳を指差す。
「まさかと思うが……お前の目の色か?」
「正解! ちゃんと大切にしてね? なくしたら許さないから」
女性の仕草を真似ているのか、マルクスは体をくねらせながら、異様に高い声を上げた。
「気色の悪いことをするな! それに、自分の色を贈るなんて、冗談にも程があるだろう」
「じゃあなにさ。ブラックダイヤか、ラベンダージェイドでも用意してほしかったの?」
「そうは言っていないだろ!?」
黒と薄紫が彷彿とさせるのは、幼馴染であるステファニーか、あるいは身代わり役のソフィア嬢だ。
性懲りもなく、軽口を叩きやがって。
苛立つレオンを見て、マルクスは鼻でふっと笑った。
「よかったよ、否定してくれて。そんなのを身につけたら、今度こそ王太子が黙っちゃいないだろうからね」
「なぜそこで、ルイス様のお名前が出てくるんだ?」
ぼそりと言葉を漏らしたところ、魔導士長は奇異な目をレオンに向ける。
「本気で言ってんの?」
「いや、話の流れがよく分からなくて」
真顔で構える護衛騎士に、マルクスは長いため息を漏らす。
「君のそういうとこは、むしろ長所だと思うけどさ。これからは十分気をつけるんだね」
マルクスが指を鳴らしたかと思うと、次の瞬間には、ソフィアの部屋の前に移動していた。
「王太子は嫉妬深い性分だ。変に勘違いさせると、ソフィアが身代わりをしていることを見破られかねないよ」
「分かった、肝に銘じておく」
「いい心がけだね」
理解半分で答えたレオンの、情けない顔がツボにはまったのか、マルクスは声を震わせながら、部屋の戸を叩いた。
中から女騎士が顔をのぞかせ、それから扉が開かれる。
長いソファに腰を下ろしているソフィアが、はにかんだ笑顔で二人を迎えた。
第三章本編は、こちらで完結となります。
次話は番外編の更新を予定しています。




