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76 疑惑に本音②

「話はそれだけか」


 大人しく耳を傾けていた王太子が、呆れ声を上げる。


「勘違いするな、ステファニー。これは私の判断ではなく、国王の意志だ」


「国王陛下のご意志……ですか?」


 ソフィアの問いに、彼は深くうなずいた。


「考えてもみろ。我々王族が、そろって参列しているのだぞ? 剣術大会は、単なる娯楽ではないのだ」


 王太子はゆっくりとこちらへ歩み寄り、ソフィアを見下ろす格好で足を止める。


「いいか、ステファニー? 大会の一番の目的は、国にとって有益な人材を見つけ出すことだ。こちらから探そうにも、限界があるからな」


 それは、ソフィアも納得の理由だった。


 決勝トーナメントに参加するには、各地で開催されている予選大会を勝ち抜く必要がある。


 レオンらの強さが圧倒的すぎて、他の参加者たちがかすんでしまっていたが、本戦への参加資格を手に入れることのできた猛者もさは、それだけで実力を保証されているようなものなのだ。


「大会を一般公開しているのも意味がある。レオンやテオドールといった、若き才能を目にした民は、彼らのような存在がいれば、国は安泰だと感じるだろう。つまり、国防に対する漠然とした不安感を、和らげることができるというわけだ」


「それは……とても、大切なことですね」


 同意を得られるとは思っていなかったのかもしれない。神妙な返答に、彼は少しだけ目を見開いた。


 高まった国民の不満が爆発すれば、その影響は計り知れない。わずかな火種が内乱へと発展し、最悪の場合は、革命にも繋がりかねないのだから。


 そんな集団の悪意を、前世のソフィアは身をもって体感していた。


 “稀代の悪女”の処刑場に集った民衆たち。彼らはみな、狂気をはらんでいた。


 だからこそ、あらかじめ脅威を取り除くことがどれほど重要か、この場にいる誰よりも、ソフィアは理解しているつもりだ。


 けれども、なんの名分めいぶんがあったって、さっきまで瀕死の状態だったレオンを、引き渡すわけにはいかないわ!


 護衛騎士はソフィアに体を預けたまま、静かに寝息を立てている。ようやく、体を休めることができたところなのだ。


 王太子は、険しい顔をした婚約者候補を見つめながら、再び口を開いた。


「……安心しろ、レオンはここで休ませる」

「へ?」


 ソフィアが気の抜けた声を出すと、王太子は子どもに言い聞かせるように、ゆっくり続ける。


「なにも難しい話ではない。いずれ国を背負う私が、表に立つことにも意味があるというだけだ」


「つまり、……どういうことでしょう?」


 理解力の乏しいソフィアに、王太子は苛つきながらも説明を重ねた。


「記念試合は中止だ! その代わりに、私が観客たちに剣技を披露する。決勝を見た者は、レオンが負傷したと知っているのだから、私が一人で出てきたとしても、文句は言わないだろう」


 彼は腰に携えた剣を持ち上げ、さやから引き抜いてみせた。銀白色の鋭い輝きが、剣身の上を素早く走る。


 それから王太子は、白刃はくじんに手を添え、ソフィアの前に近づけた。


「これは私の愛剣だ。毒が仕込まれていないことも、すでに確認している。これを使うのであれば、そなたも安心か?」

「あ、はい」


 ソフィアの生返事を、王太子は鼻で笑い飛ばす。そうして、わずかに遠い目をしながら、彼は抜き身の剣を鞘に納めた。


「まあ、レオンが必死に耐えてくれたというのに、我が身可愛さで逃げるわけにもいかないからな」


 ぽそりと漏れ聞こえた本音に、ソフィアは頭を殴られたような衝撃に襲われる。


 王太子様だって、怖くないわけがないじゃない!


 今から彼の向かう場所が、まさに事件の犯行現場なのだ。

 身の危険を感じながらも、それでも国のために、観客らの前へ出ていくと決めたのだろう、彼は。


 なのに私は、偉そうに説教を垂れて! 正しい話をしているつもりで、結局のところは、彼の決意を踏みにじっただけだわ。


 ソフィアは自分自身への怒りに震えながら、体が折れるほどに深く頭を下げた。


「大変申し訳ございません! (ぶん)をわきまえず、無礼な口上を致しました。何卒ご容赦くださいませ!」


「いや、別にいい」


 王太子は目も合わせずに、ソフィアの隣へ座り込む。


「殿下……!? お召し物が汚れてしまいますよ!?」

「分かっている! これぐらいのことで、いちいち騒ぐでない!」


 彼は苛立ちを隠すこともなく、小声で叫んだ。

 もしかすると、レオンのことを気にかけていたのかもしれない。護衛騎士はわずかに眉をひそめたが、またすぐに穏やかな表情へと戻った。


「重ね重ね申し訳ありません……」


 肩を落としたソフィアの真横で、王太子は片膝を立てたまま、微動だにしない。

 彼は真顔で、レオンを強く見つめている。


「もう一つ、そなたに聞きたいことがある」

「はい。なんなりとお尋ねください」


 ソフィアは返事を待ちながら、伏し目がちの横顔を眺めていた。その長いまつ毛にさえ、簡単に触れてしまえそうなくらいに、二人は近いところにいる。


 雪色の髪があまりに懐かしくて、胸がきゅっと痛んだ。


 馬鹿ね、ソフィアったら。この人は“稀代の悪女”を断罪し、死刑に追い込んだ相手なのよ?


 けれども、あの頃よりもわずかに幼い顔立ちに、心が揺らぐ。


 今の王太子なら、同じ状況に追い込まれたとしても、自分のことを信じてくれるかもしれない。そんな青い期待を抱いてしまいそうになる。

 ああ、本当に愚かだわ! 私は“公爵令嬢ステファニー”ではなく、ただのソフィアだというのに。


 一人で葛藤していると、しばらく押し黙っていた王太子が、ぱっと顔を上げた。丸い目をしたソフィアの姿が、シルバーグレーの瞳に映り込む。


「そなたは、レオンにもハンカチを贈ったのか?」


 それは、あまりにも冷ややかな声だった。


 ソフィアの身体から血の気が引く。これは、単なる嫉妬心から出た質問ではない。


 前の時間軸でも、同じ声色で糾弾を受けたソフィアには、それがすぐに分かった。


 最後のお茶会で起きた大騒動。あの時の王太子は、“悪役令嬢”ステファニーの不貞に、ある程度確証を持ったうえで、私から真実を引き出そうとしたのだった。


 ということは、レオン様との関係を疑われている……のかしら?


 ソフィアはすっかり混乱していた。


 レオンに対し、恋愛感情がないのは当然として。問題は、私たちの関係を勘違いされることになった『きっかけ』はなにか、という点だろう。


 そもそも、あれが私からの贈り物だと、どうして分かったのかしら?


 そこではたと気づく。自分が握りしめているハンカチが、レオンの腕にくくりつけたものと同じ、白金糸で縁取られた品であることに。


 そういえば! 刺繍が失敗した時のために、多めに買い込んでいたハンカチーフを、自分用に使い回していたのだった。


 第三者から見れば、揃いのものを大切にしているように見えたかもしれない。


 王太子の射るような瞳を向けられて、頭が真っ白になる。そりゃあ、勘違いだってされるわよね!?


 ソフィアは冷静を装いながら、必死に対応策を考えていた。


 どうすれば誤解が解けるのだろう。でも、ここで否定すれば、より怪しく見えてしまわない!?


 微笑みをたたえるだけのソフィアへ、王太子が焦燥を感じ始めたころに、弱々しい一つの声が届いた。


「違いますよ、ルイス様」


 苦しげに口を開いたレオンが、目を閉じたまま、深く呼吸を繰り返す。


「私にハンカチを贈ってくれたのは、ソフィア嬢……ステファニーでは、ありません」


「ちょっと、レオン!? あなた病み上がりだっていうのに、なに無茶しようとして……!?」


 うっすらとのぞいた瞳は、ソフィアをまっすぐに捉えていた。静かに、と囁いているような、ひたむきな眼差しだった。


 ソフィアが口をつぐんだのを見届けてから、護衛騎士は再び目を閉じる。


「彼女は礼儀正しく聡明で……努力を惜しまない人……です」


 激しい呼吸を挟みながら、レオンは語り続けた。


「とても優しくて……家族思いのしっかり者で。それなのに、いつも自分のことは、後回しにしてしまう。他人の心配ばかり……だから、俺が助けになりたいって、そう思って……」


 最後はほとんど、消え入りそうな声だった。


 友人の寝顔を眺めながら、王太子は戸惑いの声を上げる。


「……つまり、レオンには夢中になっている相手がいると。そういうことか?」

「ええと、そうですかね?」


 ソフィアはうつむいたままで返答した。今、顔を上げるわけにはいかない。鏡を見なくとも、真っ赤に染まっているのは明らかなのだから。


 確かに、レオン様のおかげで、今回は助かったのですが。別の誤解を与えてしまいましたよ!?


 ソフィアはすやすやと眠っている護衛騎士に向けて、心の叫びを上げた。


 王太子は、婚約者候補がそれ以上なにも言わないと悟ったのか、大きなため息をく。


「まあよい! あとは、レオンが元気になってから、問いただすとしよう。私はそろそろ、剣術大会へ戻らねばならない。ステファニー!」

「はい!?」


 慌てて顔を上げると、王太子が近くに映った。


「今日だけは、そなたをレオンへ貸してやる。容体が落ち着くまで、こいつのそばにいてやってくれ」


「分かりました、ありがとうございます」


「ソフィアとやらでなくて、残念かもしれないが。それでも、誰もいないよりかはマシだろう」


「酷い言い方ですね、……!?」


 次の瞬間、ソフィアは息を呑む。隣に座っている王太子が、こちらの肩にもたれかかってきたからだ。


「お、王太子殿下……!?」


 彼はそのまま、レオンを抱くソフィアの指先に、そっと手のひらを重ねた。


 ど、ど、どういう状況なの!?


 動揺を抑えきれないソフィアの耳元で、王太子が声を落とす。


「私の身を案じてくれたのは、嬉しかったぞ」


 不意な囁きに、首筋がぞわりとする。この人、一体どうしちゃったのよ!?


「い、いえ! 当然のことですから!!」


 慣れない感覚に耐えながら、ソフィアは必死に叫んだ。


 それから王太子は、躊躇ためらうように指を離してから、ソフィアの手を再び握りしめた。


「それと……大切な友を、救ってくれてありがとう」


 掠れた声は、うるんでいるように聞こえた。


 王太子はソフィアが顔をのぞくも与えず、素早く立ち上がったかと思えば、そのまま逃げ出すように部屋を飛び出して行ったのだった。

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