74 未知なる魔女術
「ステファニーがここまで力を尽くしたというのに、そなたらはなにをしていたのだ!」
ビリビリと鼓膜が震える。王太子が臣下に向かって、これほど声を荒げるのは、珍しいことかもしれない。
「申し訳ございません。ですが、その」
憲兵の一人は、こちらを見つめながら言い淀む。
「はっきりと申せ」
王太子は低い声で呟いた。どうやら、続く言葉をなんとか堪えているらしい。
ソフィアを支える指にも、力がこもっていく。耐えられないわけではないが、だんだんと痛みを感じ始めていた。
「あのう、殿下」
ソフィアは顔を歪めつつ、そっと王太子の指に触れる。すると、彼は弾けたように私から距離をとった。
「す、すまない。さすがに近すぎたな?」
予想外の返しに、目を瞬かせる。
なんと、王太子は本気で照れているらしい。腕で顔を覆っているが、その隙間からは紅潮した肌がのぞいていた。
あまりの初心さに、こちらまで恥ずかしくなってしまう。
そういえば、とソフィアは回帰前のことを思い起こす。
あの頃も、“聖女”の話題が出てくるまでは、浮ついた話が一切ない、清廉潔白な方だった。
それによく考えれば、初めて出会った時より、まだ四つも若いのだもの。
今のこの人が、女性に慣れていないのも当然の話だわ。
「んんっ……。して、なにが言いたいのだ」
王太子はわざとらしい咳払いのあと、再び尋ねた。
憲兵らは顔を見合わせて、言葉を選んでいるようだ。
ああ、もう! まだ毒を取り出しただけで、それ以外のことはなにもできていないのに!
レオンはというと、変わらず横たわったまま目をつむっている。ただ、毒抜きが功を奏したのか、顔色は少しだけ良くなってきていた。
「その……モンドヴォール公爵令嬢が、見たこともない邪悪な術を使ったものですから。ヒィッ!」
短い叫びが上がる。まるで蛇に見込まれた蛙のように、兵たちはその場で直立した。
ええと、『邪悪な術』というのは、さっきの魔力操作のことよね?
モンドヴォール公爵は何食わぬ顔で突っ立っているが、憲兵たちは遠巻きに、こちらの様子を窺っている。
試しにちらりと視線を送ると、怯えたような瞳が返ってきた。
もしかしなくとも、まずいことをしちゃったかしら?
自分に向けられた警戒心を、ひしひしと肌で感じる。『邪悪な術』を操る公爵令嬢なんて、そんなのまるで、本物の“悪女”じゃない!
焦り始めたソフィアだったが、思いもよらない方面から、助け舟が出される。
「これは立派な聖魔法ですよ、ルイス王太子殿下」
誰が連れてきたのか。そう口にしたのは、とある壮齢の男神官だった。
ダークシルバーの髪には、白髪が混ざっている。着用しているのは、大神殿の白い神官服で間違いなさそうだ。
ただし、ソフィアが神殿で過ごしていた頃に、彼を見た記憶はない。
前世のソフィアは、ステファニーとともに神殿入りをしてから、たいていの神職者の顔は見ていた。
ということは、私たちが大神殿に行く前に、あそこを去った方かしら?
まじまじと観察を続けていたソフィアの視界が、不意に遮られたのは、すぐ後のことだった。
モンドヴォール公爵が、こちらに背を向けるようにして、間に立ちはだかったのだ。
顔を見なくとも、神官に向けて敵意をむきだしにしているのが伝わってくる。
今現在も所在の知れない、愛娘の失踪には、おそらく神殿が関わっているのだ。注意深くもなるだろう。
初対面の神官は、公爵からの不信感に疑問を抱くこともなく、憲兵の持つ毒入りの瓶に目を向けた。
「そちらが、ジラール子爵令息の体内に取り込まれていた毒物でしょうか。どういったものかは分かりませんが、試合中に戦闘が困難になるほどに強い毒です。いち早く取り出せたのが、不幸中の幸いと言えるでしょう」
それから彼は、倒れているレオンに手を添え、まぶたを閉じる。
「体内からは、すでに有毒物質が消え去っているように感じられますね。神聖力を使って液体を動かす技は、初歩的なものでありながら、繊細な技術が求められます。令嬢も、これを取り出すのは大変だったでしょう」
穏やかな笑みを向けられて、他の面々との温度差に、調子が狂ってしまう。
「お褒めいただきありがとうございます。ですが、私が操作したのは神聖力ではなく、魔力になります」
そもそも、『神聖力』とはなんなのだろう? マルクスの講義でも、『聖魔法』という単語を聞いた記憶はなかった。
「……魔力ですか?」
ソフィアの返答を受け、神官はなぜか引っ掛かりを覚えたような顔になる。
「失礼ですが、令嬢はどちらで魔術を習得されたのでしょうか」
ただでさえ、魔術は『選ばれた人間のみが行使できるもの』と思い込まれているのだ。
ひ弱な公爵令嬢が、魔力をいきなり操作し始めたら、このような反応になってもおかしくはない。
神官は公爵にも意見を求めたが、私がジラール邸で受けている講義のことは、詳しく知らないはずだ。
これ以上“ステファニー”の立場が悪くならないように、自分の力でなんとか切り抜けなくちゃ!
「ご質問にお答えします。私が一人になっても賊へ対処できるよう、誘拐事件のあとに、魔術を学び始めたところなのです。公爵邸で指導してくださっているのは、“魔塔の長”マルクス・マーケル様です」
すると、周囲の空気が一変した。
「マーケル魔導士長だって!?」
「一人で一国を潰せるほどの能力を持つという、あのお方が……」
「しかし、彼が弟子をとるなど、聞いたこともないぞ!」
憲兵らがざわざわと騒ぎ出す。思いがけない反応に、ソフィアは度肝を抜かれてしまった。
マルクスって、本当にすごい魔導士なのね……。
質問をした当の本人は、なぜだか嬉しそうに微笑んでいた。
「そうですか。あなたの師は、魔導士長なのですね」
状況に納得がいったのか、うんうんと何度も頷いている。やはり、“魔導士長”の肩書きは、相当強いものらしい。
それから神官は、にこやかな笑みのまま、王太子に近づいていった。
「お聞きのとおりです、王太子殿下。彼女の行動になんら問題はありません。医務官が到着するまで、処置を続けていただくべきかと」
対する王太子は、仏頂面でぼそりとこぼす。
「もちろんだ。私は初めから、ステファニーのことを疑ってはいないからな」
「ということですので、お任せしてもよろしいでしょうか? モンドヴォール公爵令嬢」
「ええ!」
神官に促されたソフィアは、小走りで護衛騎士のもとへと走った。
「レオン、大丈夫ですか!?」
体をあまり動かさぬよう配慮しながら、彼の頭の下にひざを差し入れる。
うっすらと目を開けたレオンは、黙ったまま、わずかにうなずいた。
「皆さま、手を貸してください!」
ソフィアの声がけに応えるように、憲兵たちが一斉に敬礼をする。
「まず、そこのあなた! レオンにお水を飲ませたいので、グラスに入れ替えてもらえませんか。その間にあなたは、たくさんのお水で、傷口を洗い流していってください!」
ソフィアは銀杯を受け取ると、自身のハンカチーフにも水を注ぎ、護衛騎士の口元の汚れを拭いとった。
「飲めるだけ飲んでください」
ソフィアが近づけたグラスに、レオンは大人しく口をつける。
よかったわ、これで脱水を防ぐことはできそう!
額にはりついた前髪を、そっとつまみ上げる。あとは傷口を洗浄し、医師に引き継ぐだけだ。
ふと王太子からの視線を感じたが、ソフィアが顔を上げたころには、すでに別のところへ関心が移ったあとのようだった。
彼は、各々動いている憲兵らに目を配りながら、毒瓶を持つ憲兵を呼び寄せる。
「じきに秘密警察が到着するだろう。それはベナールに託してくれ」
心臓が飛び跳ねた。べナールの名を聞くのは、裁判所で顔を合わせたとき以来だ。
前世のころ、べナールは連続毒殺事件の犯人がアンヌだと特定したうえで、彼女の証言を引き出しにきた。
アンヌの姿が見えない今世で、彼はどういう動きを見せているのだろうか。
これも、一連の事件の続きと捉えられているのか。そもそもこの時代で、連続事件は発生しているかどうかさえ、分からなかった。
もやもやしているソフィアを置き去りにしたまま、王太子は拘束されているフリオン侯爵令息のそばへ歩いて行く。
「さて、テオドール。そなたの話を聞かせてもらおうか」




