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06 運命の出会い②

 いずれこの国を継ぐ、第一王子の婚約者がようやく定まったという知らせは、下町でも何かと話題になっていた。


 もしかすると、紙面に肖像画くらいは載っていたのかもしれない。けれども、新聞を買う余裕のないソフィアは、人づてに噂を聞いただけで、王太子妃となる女性のことは何ひとつ知らなかった。


 公爵家の令嬢と聞かされただけでもおじけてしまうというのに、目の前に立つ少女が、いつかはこの国で最も高貴な女性になると考えると、あまりの身分の差に眩暈(めまい)すら覚える。


 本来、このように軽々しく口をきける相手ではないのだ。慌ててひざをつくと、深く首を垂れ、声を上げた。


「どうかご無礼をお許しください! ご尊顔(そんがん)を存じ上げず、大変失礼なことを」


「いいのよ。お顔をあげてください、あなたにそうされてしまうと、まるで自分自身が頭を下げているように見えるじゃないですか」


 彼女は軽く笑い飛ばし、床についたソフィアの手を優しく取った。ぱっちりとしたラベンダーの瞳が、こちらをじっと見つめてくる。


「あなたには、未来の国母に手を貸していただきたいの」


 ソフィアの両手を包み込む、令嬢の細い指はきめが細かく艶やかで、自分の荒れた肌とはあまりにかけ離れており、えも言われぬ恥ずかしさに襲われた。


「王家に嫁がれるお方は、ご自身で影武者を探さねばならないという定めでもあるのですか」


 なんとか絞り出した言葉には、すぐ返事が返ってくる。


「いいえ。私はあくまで王太子妃となるまでの間、個人的にあなたの力を貸してほしいだけです。ええと、まだあなたのお名前をお聞きしていなかったわね?」


「ソフィアです」


「ではソフィア。あなたに、続きを聞く覚悟はおありですか」


 それまでの和やかな雰囲気とは異なり、強い語気に背筋が寒くなる。


 ステファニーの背後では、目を鋭く光らせたアンヌが仁王立ちになっていた。早く返事をしろ、ということなのだろう。


 机の上に広がる金貨へ、ちらりと目を向ける。ここにある前金だけでも、借金は利息を含め、帳消しにできる。


 とはいえ、今までの人生では見たこともないほどの金の山を目の当たりにすると、降ってわいたうまい話を気軽に信じていいものかと不安になってしまう。


 それでも後ろ髪を引かれるのは、返済のためだけでなく、他にもお金を必要とする理由があるからだった。


 弟が昔から憧れていた近衛隊は、多くが貴族出身者で構成されており、平民が入隊するためには、体力や知力だけではなく、一定の財力も必要といわれている。


 手習所へ通い、鍛錬(たんれん)を続けたところで、今の経済状況では気軽に夢を追わせることすらできない。しかし、まとまった金が確実に手に入るならば、金策に走っている兄も、安心して弟の応援ができるだろう。


 これが、最初で最後のチャンスかもしれない。悩みはしたものの、こくりとうなずくと、ステファニーの表情が華やいだ。


「よかった! では、詳しい話を始めましょうか」


 アンヌは私たちの間に割って入ると、一息にまくし立てる。


「ソフィア様、いくら容姿が似ていらっしゃるとはいえ、そのままではお嬢様になりきることはできません。話口調や仕草、生活習慣を叩き込んでいただかないと、すぐに偽物だと見破られてしまいます。まずは公爵邸にて、お嬢様のことを徹底的に学んでください」


「もちろんです」


「並行して、貴族としてのしきたりも学んでいただきますよ。文字の読み書きはできますか?」


「ええっと、トランキル語であればなんとか」


 弱々しい声で答えると、アンヌは諦めたように息を漏らし、それから力強く言い放った。


「分かりました! 最低でも、国交のある国の言語は身につけていただく必要があります。ご想像以上に忙しくなるとは思いますが、ご協力願います」


 二人を見つめながら、ステファニーは変わらずにこにこと微笑んでいる。


「本来、語学や国の歴史といった基本的な知識は、神殿入りの前に時間をかけて行われるはずだったの。ただ、私の場合は婚約者の選定までに時間がかかり過ぎてしまったために、どうしても学習時間が足りないのよ」


「そのため、なかば強引な予定が組まれています。これが今週受けた講義の一覧です」


 アンヌが提示した予定表は、インクで塗りつぶしたかのように真っ黒で、『強引』という表現もあながち間違いではなさそうだ。


「今もステファニー様は、派遣された教師たちのもとで日々勉学に励まれています。ですが講義によっては、公爵邸で事前に学習を済まされている教科もございました。加えて、このように綿密なスケジュールですから、おそばでお仕えする身としては、すでに習得されている教科の時間は、休息に充てていただきたいというのが本音です。しかし、国王が遣わしてくださった方々である以上、むげに断るわけにもいきません」


「王室入りをされた方は、代々この教育課程に沿って学習を進められていますから、それを拒絶することは、一歩間違えれば今の王后様を否定することにもなりかねないのよ」


 授業の数ぐらい、王室との話し合いで調整がきくだろうと気楽に構えていたが、やはり貴族同士の関係というものは一筋縄ではいかないようだ。


「さらにステファニー様は、座学だけでは限界があるとお考えになられています」


「いくら知識を身につけても、実際に足を運ばなければ、本当のことなど学べませんからね」


 そう言うと、ステファニーは嬉しそうにパンバスケットを持ち上げた。


「ですからお嬢様は、ソフィア様に作っていただいた時間の一部を使って、神殿に入るまでの間、様々な土地へ足を伸ばし、ご自身の見聞を深めたいと言っておられるのです」


 はしゃぐ主人を横目で見ながら、アンヌは静かに呟いた。


 実際に見て回るということは、私たちのような平民たちの生活にも、目を向けてくださるおつもりなのかもしれない。


 ふと、低い賃金で長時間拘束されている兄の姿が浮かぶ。この方であれば、平民の置かれている状況を王室へ正しく伝えてくれるのではないかと、期待が持てるような気がした。


「長期間自宅を空けるわけですし、ソフィア様のご兄弟には、公爵邸住み込みの女中の職を得たとでもお伝えいただければよろしいかと。さて、先ほども申しましたように、公爵邸からの出入りは基本的には認められません。ですので、ご兄弟とのやりとりにはなるべく手紙を用いてください。不要な情報を漏らさぬよう、中身はあらためますが、責任を持って届けますので」


「もちろん、事前にご相談いただければ、帰省できるように取り計いますよ。お気軽に申し出てくださいね」


「ありがとうございます、助かります」


 次第に日が陰ってきた。杏色の光が、部屋中を染めていく。そろそろ、遊びに出かけていた弟も帰ってくる頃合いだ。


「こちらの希望する契約期間は、二年間です。その期間のうち、初めの一年ほどはモンドヴォール邸で、後の一年は共に神殿へ入っていただきます」


「神殿には、何人か側仕えの者を連れて行くことになっているの。そこにさえ上手く紛れ込むことができれば、特に問題はないわ。外界から隔離された場所ですから、屋敷にいる時よりも簡単に、周囲を欺けるはずよ」


「もちろん、私アンヌも同行いたします」


「あ、あの……」


 そうっと手を挙げると、アンヌは口を開くよう催促してくる。


「神殿へ入った場合、一年に渡り、敷地外へ踏み出すことは禁じられると聞きました。公爵邸での入れ替わりでは、ステファニー様に自由な時間を提供することができますが、神殿入りをされてからは外出が不可能になるはずです。はたして二年もの間、私と契約を結ぶ必要はあるのですか?」


「それを知ることは、あなたの仕事内容に含まれていません」


 アンヌは間髪(かんはつ)を入れず、そうぴしゃりと言い捨てた。


「まあ、あまり深く考えないでください。とにかくあなたには、一刻も早く屋敷へきてほしいの。いつからなら大丈夫かしら?」


 今晩は兄の帰りが遅いと聞いていたので、帰宅するまでに弟は寝てしまっているはずだ。兄弟たちには、明日になってから家を出ると打ち明けることになるのだろうし、ここを離れる前には、なにかと準備をしておかなければならない。


「少なくとも、二日は時間をいただきたいです」


「では三日後にしましょう。夕刻、ここに遣いをよこします。それまでに、ご兄弟とは別れをすませてくださいね。ソフィア、いえ、フィーと呼ばせていただきます。これからよろしくお願いいたします、フィー」


「こちらこそ、よろしくお願いします。ステファニー様」


 差し伸べられた白い手を固く握り返すと、ステファニーはわずかに頬を緩めた。


 それではまた屋敷で、とだけ言い残した令嬢は、目深に頭巾をかぶると、供を連れてソフィアの家を後にしたのだった。

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