表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
68/98

67 若獅子の剣光

 剣術大会まであと数日。春らしい穏やかな日差しの中に、夏の匂いが漂い始めていた。


 田舎では、ちょうどラベンダーが咲き誇っているころだろう。


 ソフィアが実家を離れて、ひと月ほどが経過している。けれども、ステファニーからの連絡は、いまだに途絶えたままだった。


 なんの音沙汰おとさたもないところから考えるに、ソフィアが公爵令嬢に成り代わっていることさえ、知らないのかもしれない。


 娘からの連絡を、ただ待ち続けているであろうモンドヴォール公爵の心労は、察するに余りある。

 剣術大会が、この状況を変えるなにかしらのきっかけになればいいのだけれど。


 ソフィアは部屋の小窓から、ジラール邸の庭園を見下ろした。


 まだほのかに明るい屋外では、レオンが一人、剣の素振りを繰り返している。


 サラいわく、ここ数年間の剣術大会は、レオンの独壇場どくだんじょうだったらしい。

 王太子の信頼を得るだけの実力を、この若さで身につけているのは、すごいことだと率直に感じる。


 しなやかな身体の動きに合わせて、剣がまばゆく光を放つ。無駄のない動きから、彼の重ねてきた日々の重さが伝わってくるようだった。


 本来ならレオンは王城で、近衛の仲間たちと毎日訓練を重ねていたはずだ。


 一日の終わりになるまで、彼が練習を始められないのは、王命によって“ステファニー”の側に寄り添う必要があるために他ならない。


 女騎士らに護衛を任せる、湯浴ゆあみや着替えといった時間帯を除き、彼は一日のほとんどをソフィアのそばで過ごしていた。


 でも。私なんか、ステファニー様の身代わりでしかないのに。


 心苦しさを覚えながら、ソフィアは指を一つ鳴らす。すると、レオンの額をつたしずくが、静かにくうへ浮き、消えてなくなった。


 他者の肉体に影響を及ぼすほどの魔術を、ソフィアはまだ扱うことができない。彼の疲れをいやしたり、安眠にいざなうこともできない。


 それでも、護衛騎士が夜半やはん前に剣を振るっていると気づいた時から、ソフィアはレオンのことを、陰ながら応援し続けていた。


 自分にできるのは、せいぜい彼の汗をとりのける程度だとしても。


 いつものレオンは、外が暗くなってきたころに、ようやく剣を収める。けれども、今日は少し勝手が違っていた。


 再び指を鳴らそうとしていたソフィアは、偶然にも呼吸を整えていた護衛騎士と、目を合わせてしまったのだ。


 胸がどきりと跳ねた。なぜだか彼は、驚く素振りも見せず、まっすぐにこちらを眺めている。


 ええと、私がいることには気づいているわよね?


 しばらくソフィアの部屋を見上げていたレオンは、すっと右腕を伸ばし、なにかを呟く。『あちらへ』と、そう言われた気がした。


 彼の指した先には、ソフィアの部屋から続く、バルコニーが広がっている。

 寝間着を着ていたソフィアは、手近な膝掛ひざかけをストール代わりに羽織はおってから、バルコニーの入り口となる大窓へと急いだ。


 これまでは、外部からの侵入を防ぐため、ガラスドアを開けないよう厳しく言い聞かせられていた。

 そのため、ソフィアがバルコニーへ足を踏み入れるのは、これが初めてのことになる。


 観音開かんのんびらきの大窓に取りつけられた、仰々ぎょうぎょうしいじょうを外すのに手間取っていると、バルコニーにひらりと降り立つレオンの姿が見えた。


 今、片手で手すりを乗り越えたわよね? ここは二階だというのに?

 やはり彼の体力は、常人とは比べ物にならないものかもしれない。


 それから、鍵の開いた頃合いを見計らって、レオンが窓辺に近づいてきた。


「夜分遅くに申し訳ございません。こんばんは、ソフィア嬢」

「こんばんは、レオン様。いかがなさいましたか?」


「少し、お尋ねしたいことがありまして」


 彼は手招きをして、バルコニーに出るよう促してくる。どうやら、部屋の外で警備をしている女騎士たちを意識しているらしい。


 レオンの差し出した手を取り、屋外へ足を伸ばすと、新緑の香りがふわりと鼻をかすめた。


「勘違いかもしれないのですが。先ほどソフィア嬢は、魔術を使われましたか?」


「はい。あの、汗を取り除いた程度ですが、ご不快な思いをおかけしたのであれば申し訳ありません」


 許可もなく魔術を行使されるのは、気持ちのいいものではなかったかもしれない。

 考えなしに行動していた、自らをかえりみる。


「ああいや、そうではなく! ここ数日間、快適に剣を振るうことができていたので、不思議だったのです。やはり、ソフィア嬢のおかげでしたか。ありがとうございます」


 レオンはまくっていた袖元を下ろし、ほがらかに笑った。


 二人は欄干らんかんに手を添え、空を見上げる。頭上には、大きな満月がきらめいていた。


「毎晩遅くまで付き合わせてしまい、申し訳ありませんでした」


「それを言うなら、レオン様だって! 剣術大会が近づいているというのに、私のせいで、まともに練習すらできていないですよね。本当にごめんなさい!」


 頭を下げたレオンに、ソフィアはわたわたと言葉を返す。

 すると、彼は優しく首を振った。


「腕を磨くことは大切ですが、有事の際は訓練などできません。試合に負けたとしても、それは己の実力不足なだけであって、ソフィア嬢のせいではないですよ」


 月明かりのせいだろうか。ほんの少しだけ、レオンの雰囲気が和らいで見える気がする。


 ソフィアはあたたかな気持ちで、次の話題を切り出した。


「あの。実は、レオン様に渡したいものがありまして」


「私にですか?」

「はい! 剣術大会用のハンカチを作ってみたんです。受け取っていただけますでしょうか?」


 ソフィアは肩掛けの中に隠していたものを取り出す。それは、王太子への贈り物と並行してい進めていた、ハンカチーフだった。


「もちろんです、ありがとうございます。ライオンをモチーフにしてくださったのですね」


 護衛騎士は受け取った品を丁寧ていねいに広げ、まじまじと刺繍模様ししゅうもようを見つめている。


 銀糸に囲われた布の片隅に、ソフィアは金獅子きんじしと、国花である百合を描いた。

 どうやら異国では、ライオンのことを『レオン』と呼ぶらしい。そのことを知った時から、この図案にしようと決めていたのだった。


 日頃の感謝も込めて、丹念たんねんに刺し進めたつもりだ。製作期間のわりには、上手く仕上がったのではないだろうか。


「他の方からも、たくさん受けとられると思うのですが。イザベラさんが、“ハンカチを贈られる”という行為自体が名誉だと話していたので、私からもご用意させていただきました」


 この『伝統行事』は、贈り物をもらえればもらえるほど、自慢になるということらしかった。


 『絶対に作ってあげてください!』と訴える、侍女の必死な顔が、強く印象に残っている。


 ようやく顔を上げたレオンは、目尻を下げて微笑んだ。


「こういった品をいただくのは初めてなので、とても嬉しいです」


「ですよね。不要であれば、部屋の片隅にでも置いておいて……ちょっと待ってください。今、初めてって言いました!?」


 ソフィアは耳を疑う。連続優勝を誇るレオンが、誰からもハンカチをプレゼントされたことがないなど、にわかには信じがたい。


「ええ、そうですよ」

「さすがに冗談ですよね?」


 真剣に問いかけると、彼は軽く吹き出した。


「ソフィア嬢は私のことを、買いかぶりすぎていますよ! 所詮しょせんは子爵家の長子ちょうし。私を選んでも、得るところがないと考える子女が多いのでしょう」


 話を聞いているうちに、ソフィアは一つの可能性に思い至る。レオンが遠巻きにされているのは、いつも彼の周りに、幼馴染ステファニーが付きまとっていたからではないだろうか。


 親しげに下の名で呼び合う間柄だ。ソフィアが勘違いをしていたように、周囲が“二人はい仲”だと捉えていたとしても、おかしくはない。


 でなければ、名家の跡取りで肩書きも容姿も申し分ないレオンが、見向きもされない理由が分からなかった。


「レオン様のことを密かにしたう方々は、大勢いらっしゃると思いますよ」


「ははは。そうだと嬉しいのですけどね」


 ふところにハンカチをしまいながら、彼は明るい笑顔で言い放つ。


 駄目ね、これは本気にしてなさそう。


 ソフィアは諦めて天をあおぐ。まん丸の月が、辺りを皓皓こうこうと照らしている。

 レオンも同じように空を見上げて、ゆっくり口を開いた。


「この時期の満月は、『苺月』や『ローズムーン』と呼ばれているらしいですよ。地域によっては、赤みがかった月も観測できるそうです」


「そうなんですか? 初めて聞きました」


 頭上の明月めいげつは、どちらかといえば黄色がかった色味いろみに思える。

 イチゴみたいな月を見られる場所が、本当にあるのかしら。全く想像ができなくて、ソフィアは不思議な気持ちになった。


 夜空には、ちらほらと星がまたたき始めている。


 思い返せば、レオン様とゆっくり話ができるのは、いつも夜遅くのことね。


 前世で故郷を離れた時もそうだ。真夜中を駆ける馬車の中で、彼は私を守ると宣言した。


 四年前の世界に戻ってきてからも、二人でダンスを踊った時や、兄の目覚めを囲んだあの日だって、彼は文句ひとつ言わずに、夜更けまで私に付き合ってくれた。


「ソフィア嬢とは、夜にお話しする機会が多いですね」


 どうやら彼も、同じようなことを考えていたらしい。


「そうですね。人目を忍ばなければ、“ソフィア”としては話し合えないこともありますから」


 さらりと答えた言葉に、レオンは困ったような笑みで応えた。


 まずい。もしかすると、今のは嫌味に聞こえたかもしれないわ。


「あ、あの! よろしければ、これからはここで剣の練習をしませんか!?」


 謝罪を受ける前に、ソフィアは慌てて話題を変えた。


「バルコニーで……ですか?」


 レオンはきょとんとした顔で、こちらを見ている。


「ほら、私が近くにいさえすれば、明るいうちから練習を始められますよね? ええーっと、夜中にお庭で動かれると、どうしても気になっちゃいますし? レオン様がどれだけ暑そうにされていても、距離があれば術はかけにくいですし!」


 必死に答えながら、ソフィアはだんだんと頬が熱くなるのを感じていた。まるで、駄々をこねる子どもみたいじゃない!


「それに……できれば一度、レオン様の剣技を間近で見てみたくて」


 最後の言葉は、ソフィアの正直な気持ちだ。自分を守ってくれている相手が、どれだけ素晴らしい剣の使い手なのかを、きちんと知っておくべきだと思っていた。


 おそらく断ろうとしていたであろうレオンも、こちらの目を見て諦めたらしい。


 部屋から持ち出した椅子に、ソフィアを座らせてから口を開いた。


「……危ないので、そこからは動かないでくださいね?」


 護衛騎士はバルコニーの中央に立ち、剣を抜く。掲げた武器も、レオン自身さえも、月光に照らされて輝いていた。


 鋭い金切り音が、規則正しく発せられる。衣擦きぬずれの音には、時折吐息が混ざり込んでいく。


 熱のこもったまなざしは、どこか遠くを見据みすえているようだ。魂で剣を振るっているのだと、素人ながらに感じる。


 この方が、私の護衛騎士なのね。


 他者のためにたたかう姿は、これほどまでに美しいものなのかと、ソフィアは息をんだ。


 それからあたりが暗くなるまで、レオンは自分の腕を振り続けたのだった。

新しい年が皆様にとって良い年でありますよう

心よりお祈り申し上げます

本年もよろしくお願いいたします

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ