64 剣術大会への誘い
客間へ案内されていた王太子は、仏頂面をしながら、どっかりとソファに寄りかかっている。
待ち人の到着に気づくと、彼は腕を組んだまま、私たちを迎え入れた。
「ずいぶんと遅かったな、ステファニー」
「お待たせしてしまい、申し訳ございません」
ソフィアが深く腰を折ると、王太子のお付きの面々も、気まずそうに頭を下げる。
事前連絡もなしに訪れたのだから、令嬢の支度を待たねばならぬのは、仕方のないことだろう。
背後に控えるマルクスは、なにか口を挟みたいのか、先ほどからそわそわしているところを、家令とレオンが必死に引き止めているようだった。
「……元気にしていたか?」
「はい、おかげさまで!」
勢いよく答えたところ、王太子は鳩が豆鉄砲を食ったような顔をする。
そういえば“公爵令嬢ステファニー”は、誘拐事件によって受けた心の傷を癒すために、社交界から離れているという『設定』にしていたのだった。
「いえっ、そうではなく! 事件の直後は落ち込むこともありましたが、だんだんと元気になってきたといいますか」
「変わりないなら、それでいい」
彼は咳払いをしつつ、短く言い切る。なんとなく、鼻で笑われたように感じたのだが、気のせいだろうか。
「まったく、素直に『心配だった』とは言えないのかね」
驚いて振り返ると、家令に口を塞がれているマルクスが見えた。先ほどの不敬な発言は、どうやらこの青年から発せられたものらしい。
「マーケル魔導士長か。そなたも、ジラール邸で過ごしているのだったな」
「ええ。ずいぶんとお久しぶりですね」
王太子はむすりとしながら、能天気な魔塔の主を正視している。
それにしても、王太子が否定しないところを見ると、“公爵令嬢ステファニー”の身を案じていたというのは、あながち間違いでもなさそうだ。
前回とは違い、今世では良好な関係を築くことができているのだろう。
「ご高配を賜り、恐悦至極に存じます」
「今さら取り繕わずともよい」
恭しく頭を下げたソフィアを、軽くあしらってくる。
口は悪いものの、王太子が伝えたいのは、『気楽に話していい』ということだろう。これが婚約者候補に対する、彼なりの優しさなのかもしれない。
「会いにきていただけて嬉しいです。ありがとうございます、ルイス殿下」
そっと微笑みかけたところ、王太子は頬を赤く染め、勢いよく顔を背けてしまった。
「それよりも、だ!」
そっぽを向いたままの青年は、ソファに座り直してから、言葉を継いだ。
「いくつか、そなたに尋ねたいことがある」
それから、レオンがソフィアをエスコートする姿を不機嫌そうに見守ったあとで、続きを口にした。
「モンドヴォール公爵令嬢の誘拐事件に関しては、引き続き捜査を続けさせているが、今のところ協力者たちの逮捕には至っていない。おそらく、当分はそなたに外出禁止令が出るであろう」
向かいに腰掛けた令嬢の顔色を伺うように、彼はちらりと流し目をする。
「とはいえ、屋敷に引きこもっていても、気が滅入るではないか。だから、そなたに外出の機会を与えようと思って」
「外出、ですか?」
「ああ。来月の末ごろに、王立競技場で剣術大会が催される。観覧席には王族や貴族が集うのだし、会場の警備は万全だ」
王都で毎年開催される剣術大会の噂は、ソフィアも耳にしたことがあった。
身分を問わず、国中から腕利きの実力者たちが集められ、トーナメント形式で試合が進められていく。優勝者には、王太子との記念試合に挑む権利も与えられるらしい。
「レオンは大会に参加するが、その間は別の護衛をつけよう。なにより、モンドヴォール家には公爵がいる。あれも、かつては武功を残した男だ。頼りになるだろう」
隣に立つ護衛騎士も、同意するようにうなずく。やはり、英雄と呼ばれるだけの実力が、公爵にはあるようだ。
ステファニーが姿をくらませてから、すでに半月は経過している。
モンドヴォール邸に届いた手紙が燃え尽きたあの日以降、新たな連絡は入っていない。正直、こちらとしても手詰まりの状態になっていた。
私が“ステファニー”として表舞台に姿を現せば、本物の公爵令嬢はどう動くだろうか。少なくとも、一度くらいはモンドヴォールに連絡を入れようとするはずだ。
なら、この誘いに乗らない手はない。
「そうですね。剣術大会であれば、父も許してくれるかもしれません」
「ふむ。公爵には改めて、私からも連絡を入れよう」
王太子は目尻を下げて、その場に立ち上がった。
「そなたが不安なら、私たちと一緒に観戦できるよう、席を設けさせてもいい。どうだろうか?」
ソフィアは目を丸くする。彼が座るのは、王族方のために用意された、特別席のはず。
そんな所に婚約者でもない私と、公爵閣下がお邪魔するなんて、できるわけないじゃない! しかも、国王陛下はモンドヴォールの一族を毛嫌いしているのに!
「あのさ、ちょっといいかな?」
間に割って入ったのは、それまで会話を控えていた、マルクスだった。
「さっき話せなかった、襲撃者への対策の件だけど。剣術大会に行くなら、ちょうどいいだろうと思って。こっちを向いてくれないかな、“お嬢様”?」
ソフィアが顔を上げた瞬間、両耳に痛みが走る。
「いたっ!?」
なんらかの魔術を使ったのか、マルクスは指を構えたまま、得意げに顔をほころばせていた。
「大丈夫ですか?」
「え、ええ」
レオンに尋ねられたソフィアは、耳元を押さえたまま答える。どうやら、ピアスのようなものが、一つずつ付いているらしい。
「なにをした、魔導士長! ステファニーが未来の王太子妃と知っての狼藉か!?」
いつのまにか、王太子はマルクスに掴みかかっている。
「暴力はやめてくれよ。僕は“公爵令嬢”を守るための、魔導具を授けただけなんだから」
「ねぇ、マルクス。これが魔導具なの?」
耳たぶを指すと、こちらを見た王太子がはっと表情を変えた。
「そうだよ。付けっぱなしにしていても、それなら咎められることもないだろう」
王太子はにやけ顔のマルクスを解放し、「怒鳴りつけてすまない」とだけ漏らす。
「ソフィアに攻撃が加えられた際、その魔導具が痛みを肩代わりしてくれる。それと、居場所が分かるようにもしてあるから、なにかあった時は僕が駆けつけるさ。これで、君たちも少しは安心できるだろう?」
レオンと王太子は顔を見合わせ、しぶしぶ承諾した。
「殿下。公務がありますので、そろそろ」
「分かっている」
お付きに促された王太子は、扉へ向かっていったが、はたと足を止め、再びこちらを振り返る。
「ステファニー! 剣術大会の出場者たちは、子女から贈られたハンカチを身につける慣習がある。それは、そなたも知っているな?」
慌ててうなずいたが、下町暮らしのソフィアにとっては初耳だった。
「そもそも、私は記念試合にしか参加しないのだから、そういった伝統に縛られる必要はない。だが、そのせいで女性の影が感じられないと騒ぐ臣下もいて、大会のたびに『婚約者を据えるべき』という煩わしい声があがっていたのも事実。それで」
彼は気まずそうに、くぐもった声で呟く。
「厄介な世話焼き者どもから逃れるために、今年はハンカチをつけておきたいと考えているのだ」
そこまで言い終えると、王太子は固く口を結んだ。
続きを話すつもりはないのだろう。けれども、どういった答えを求めているのかは明らかだった。
「分かりました。殿下に相応しいものを、ご用意させていただきます」
「そうか。引き受けてくれるか!」
ソフィアの返答を受けて、王太子は晴れやかな表情を浮かべる。
「では、そなたの手作りの品を、楽しみにしているぞ」
上機嫌で帰路についた王太子一行を見送ってから、ソフィアはレオンに詰め寄った。
「あの! ハンカチっていうのは、自分で作らなきゃいけないものなんですか!?」
「いや、そうではなく。既製品に刺繍を施してから贈るのが、慣わしとなっているのです」
「ですよね!? ああ、驚いた! 一から作るなんて、どう考えても時間が足りないもの」
「とはいえ、素材や糸を選ぶところから、デザインを考えて縫い上げるまでを、一人でこなさねばなりません。ソフィア嬢にそういったご経験は」
「あるわけないですよ! そりゃあ、ほつれた服を繕ったりはしてきましたが、装飾目的の刺繍なんて、する機会もほとんどなかったですし」
そもそも、性能に問題があるわけでもないのに、時間をかけて布を飾りつけること自体が、生活にゆとりのある人間だけに許された、道楽に思えた。
息を荒くしてしゃべるソフィアをよそに、レオンはなにかを思案している。
「残念ながら、私では力になることができません。ただ、ソフィア嬢の助っ人として、思い当たる人物が一人だけいます。フリオン侯爵家のクロエ嬢です」
「クロエ様、ですか?」
にこにこと微笑むクロエの姿が、ソフィアの頭に浮かぶ。
「クロエ嬢は、ステファニーとの面会を熱心に申込み続けているそうです。一流の淑女教育を受けている彼女であれば、強い味方となってくれるでしょう。誘拐事件とは無関係のようですし、いかがですか?」
「ええと、そうですね……」
ソフィアは悩みながらも、ゆっくり口を開く。
「レオン様が大丈夫だと思われるのであれば、是非ともクロエ様に力を貸していただきたいです」
「分かりました。では協力を仰ぐ方針で、公爵様に相談する機会を設けましょう。一連の話をお伝えしてから、最終的には公爵家が判断することになりますので」
そう言って、慌ただしく動き出す。ふと、レオンの後方にある壁掛けの小さな鏡が、ソフィアの目に留まった。
そこには、一粒ダイヤの耳飾りをまとう、自分の姿が映り込んでいる。一般的なダイヤモンドとは異なり、うっすらと灰色がかっているようだ。
それはまるで、王太子の瞳にそっくりな色合いだった。




