63 旅は道連れ
魔術の訓練を受け始めてから、はや数日。ソフィアはというと、魔力の気配をわずかに感じ取れるようになってきていた。
この短い期間で分かったのは、マルクスが案外教え上手だということと、相手が素人だとしても、全く容赦のない男だということだろう。
「ほら、集中しなよ。全然できてないじゃん」
「ちょっと黙っててくれない?」
ソフィアは椅子に浅く座り直し、目の前に広がる白砂を両手でならす。
今日の課題は、銀盆に敷き詰められた砂の上に、魔術で文字を描くというものだった。
サラやイザベラは、ソフィアの両隣を陣取り、特訓の様子を静かに見守っている。
もちろん、砂に触れることは禁止されていた。そのため、離れた場所から的確に、魔力を操作しなければならない。
「あーもう、無理! 難しすぎるのよ!」
ソフィアは頭を抱えたまま、天を仰ぐ。すると、真後ろに控えていたレオンと、視線がぶつかった。
実のところ、魔力の扱いに慣れていないソフィアであっても、砂粒程度は簡単に動かせる。けれども、文字を浮かび上がらすことができるかといえば、そうでもない。
細い線を自由に操るためには、繊細な技術が必要となるためである。
いつも以上に進歩のない練習の様子を、レオンはじっと、気配を殺して見守ってくれていた。
もはや何度目に出来上がったのかも分からない、ミミズのような落書きをかき消しながら、ソフィアは無理やり話題を変えてみる。
「そういえば、マルクスに渡したメモは、いつ返してもらえるの?」
魔導士に問いかけたのは、以前の講義の際に手渡している、転生前の記憶を綴った紙束の話だった。
禁術が施されるまでの経緯を伝えるために、ステファニーとの出会いから、マルクスに首を落とされるまでの約二年間の記録を、ソフィアは時系列に沿って書き起こしていた。
「あれなら、とっくに燃やしたけど」
「……はい!? なんでそんなことしたの!?」
ソフィアの嘆きを聞いても、マルクスはあっけらかんとしている。
「そりゃそうでしょ? 他の誰かに見られたら、なんて言い訳をするんだい」
「それは……」
ソフィアが正直に、『死に戻りをする前の記憶を持っている』と打ち明けたところで、理解してくれる人はそうそういないだろう。
さらにメモを見つけた相手が、マルクス以外の魔導士だとすれば。
彼らは真っ先に、ソフィアが禁術を行使した可能性について考えるかもしれない。
「ごめんなさい。私が軽率だったわ」
「なにかあれば、僕もソフィアも魔塔へしょっ引かれるんだから。もう二度と、ああいったものは書き残さないこと。それだけは約束して」
珍しく真顔で話してくるものだから、こちらも思わず、無言でうなずいてしまう。
「安心して、僕らは一蓮托生だ。いざって時は、ちゃんと助けてあげるよ」
それからなぜか、得意げな顔を煽るようにレオンへ向けた。
もちろん彼にも、会話の内容は聞こえていたのだろうが、表情ひとつ変えずにたたずんでいる。
おそらく、この場面で口を挟めば、私が困ると分かっていて、静かにしてくれているのだろう。
レオンは折に触れて、“流星の禁術”の情報を得ようとしているように見える。けれども、ソフィアから禁術の話を聞き出そうとすることは、決してなかった。
「ところでさ」
マルクスはソフィアだけに聞こえるように、耳元へ囁きかけてくる。
「あそこまで酷いことをされて、よくステファニー・ドゥ・ラ・モンドヴォールを許せたね」
どうやら魔導士は、素直に感心しているらしい。
「なに言ってるのよ。許せるわけないじゃない」
ため息混じりに返すと、彼は不可解な面持ちで、ソフィアを凝視した。
マルクスが勘違いしている理由には、心当たりがある。
ソフィアは先日、今世でどのように動きたいかと問われた際に、できることなら王太子とステファニーの恋路を応援したいと告げていた。
だからこそ、前世の怨恨は水に流したものと思われていたのだろう。
確かに、四年前に戻ってきてからの私は、幼い公爵令嬢の力になると決めていた。
けれども、牢獄での苦しい日々を忘れたことはないし、様々な手法で、兄弟たちが無惨に殺められる情景を、何度夢に見たかは分からない。
そしてなにより、私の命だけでなく、“ソフィア”という人格まで奪われたのだから、前世のステファニーを許すことは到底できなかった。
「でも、悪いのは“あの頃の彼女”であって、今のあの子じゃないから」
それに、二人がちゃんと幸せになれば、身代わりの必要はなくなるしね。と言い添えると、目の前の魔導士は呆れ声をあげる。
「とんだお人よしじゃないか! 僕だったら、まずは元凶を取り除くために行動すると思うけど」
マルクスはしばらくぼやいていたが、観念したのか、眉を下げて言葉を継いだ。
「でも、ソフィアの気持ちは分かったよ! もうちょっと本腰を入れて、居場所を探ってみるかぁ」
適当な物言いに、ソフィアは吹き出してしまいそうになる。
今もマルクスは、講義の時間を捻出しながら、頻繁に屋敷を抜け出しては、ステファニーの所在を調べていることをソフィアも知っていた。
「あ、そうだ。ソフィアが襲われた時のために、少し対策をとろうと思うんだけど」
ちょうどマルクスが話し始めたところで、ノック音が響いた。
「失礼致します。みなさま、お忙しいところ大変申し訳ありません」
入室したばかりの家令は、イザベラ達に部屋から下がるよう命じ、扉が閉まったことを確認してから、ようやく口を開く。
「王太子殿下がお越しになりました。“ステファニー様”との面会を所望されています」




