62 魔導士長の専属レッスン②
ちなみにレオンは、除け者にされたと分かってから、ひと足先にアフタヌーンティーを始めている。とはいえ、腰を下ろすこともなく、視線をこちらへ向けたまま、紅茶を口に含んでいるだけのようだが。
さらに不思議なことに、使用人であるはずのイザベラやサラは、茶菓子を囲んで楽しげに談笑していた。
主人を置き去りにして休むなど、常識外れな行いで、本来は咎めを受ける場面だろう。けれどもレオンは、そんなことを意に介する様子もない。
「ちょっと休憩ね。いっただっきまーす!」
茶菓子をつまみ上げたマルクスを、レオンはわずかに横目で見てから、私を手招きする。
慌てて駆け寄ると、彼はこちらの手を引き、一人掛けのソファへと導いた。
姿を見なくとも、使用人たちがはしゃいでいるのが、ひしひしと伝わってくる。ああ、もう。レオン様って、本当に過保護なのね!
準備された紅茶に手を伸ばしつつ、ソフィアは魔導士へ語りかける。
「なんだか、ずいぶんと難しいのね。禁術を使ったマルクスは、それまでよりも強くなったということ?」
休憩中にも関わらず、遮音術は解除されていないようだ。マルクスはクッキーをかじりながら、気楽に答えた。
「うーん。確かに、容量は増えたみたいだね。一ヶ月ぐらい前のことかな? 目を覚ましたら、魔力の限界値が大きく変わっていたんだ。ま、“流星の跡”を見つけたから、理由はすぐに分かったけど」
一月前といえば、ちょうど私が、この時代へ戻ってきたころだ。
「ただ奇妙なことに、禁術を使うと増えるはずの魔力が、むしろごっそりと減っていた。だから、こう考えたのさ。自分以外のなにかに禁術を行使したことで、魔力を奪われたのでは、と。予想はそれなりに当たってた」
彼はこちらにティースプーンを突きつけ、にやりと微笑む。
「器に空きがあって、よかったね。もし、魔力量が限界を超えていれば、大変だったろうし」
「まさか、運任せで術をかけたわけじゃないわよね……?」
「さあねぇ。結果的に問題はないんだから、いいじゃないか」
ソフィアは冷ややかな目で魔導士を見つめる。考えなしに術を使ったわね、これは。
「深くは追及しないであげる。あの時のことは、覚えてないんだろうし」
「ふふ、ご厚情痛み入ります」
慇懃無礼な態度で、マルクスは目を細めた。
「それにしても、なぜ“流星の禁術”は、禁忌とされているの? 過去に戻った人間が、歴史を自由に変えることができるから?」
「もちろん、それもあるんだけどさ。一番の理由は、術者を守るためなんだ。禁術を使った人間のほとんどは、すぐに死んじゃうからね」
「死ん……!?」
予想外の返しに、言葉を失ってしまう。
驚くソフィアの顔を見て、レオンは魔導士に視線を向けたが、マルクスはそれを完全に無視している。
「一昔前はね、己の魔力を増幅させるために、魔導士たちが意欲的に禁術を試していたこともあるんだよ。けれども、命を落とす者があまりに多くて、術の行使すら禁じられてしまった」
「き、禁術を使った人は、なぜ亡くなってしまうの?」
おどおど尋ねると、マルクスは深刻そうにまぶたを閉じた。
「理由はいくつかあるかな。まず単純に、禁術を扱いきれない場合が多い。術を発動させるためには、自分自身を殺す必要があるけど、技術が足りていなければ、禁術は失敗する。だから、その時点で命が尽きてしまうんだ」
つまり、単なる自害になるね、と彼は告げた。
「二つ目として推測できるのは、魔力量の限界の問題かな。転生時に獲得した魔力が、自分の容量を超えてしまえば、そこでおしまいだからね。そして、最後の問題。これが少し、厄介なんだけど」
ぽりぽりと頭をかきながら、マルクスはわずかに言い淀む。
「流星の禁術を発動するには、強い意志が必要となる。ええと、言い方を変えると、『明確な目的』がなければ、転生できないということになるかな」
「目的?」
「そう、それが発動条件の一つなんだ。この術は、転生すれば終わりというものじゃない。その目的を果たすまで、“流星の跡”は決して消えないんだ」
ということは、いまだに跡が残っているマルクスは、転生の目的とやらを遂げていないのだろう。
「それなりに急がないとね。本懐を遂げることができなければ、“いずれ術者は死に至る”と伝えられているから」
またしても、不穏な言葉が飛び出してきた。とことん物騒な魔術ね!
ソフィアが憐れむような目を向けると、マルクスは意外そうに声を上げる。
「ねえ、他人事じゃないよ? ソフィアの体にも、“流星の跡”があるんだから。禁術を他人に使うなんて、前例がないから分からないけどさ。僕が目的を果たさない限り、二人とも長くは生きられないかもしれない」
「なっ……な、なによそれっ!?」
ソフィアは悲鳴を上げたが、幸いなことにマルクスの遮音術が継続されているため、使用人たちを驚かせることはなかった。
明らかに動揺するソフィアを、レオンは静かに見つめている。
「なんにせよ、まずは転生目的を明らかにしなくちゃいけないんだけど、心当たりはない?」
「そんなこと言われても、心当たりなんて」
『ない』と返す前に、ふと思い出す。処刑の直前に、彼が口にした言葉があったことを。
「『絶対に許しません、ステファニー嬢のことを』」
「え?」
「前世のマルクスが、私を殺す前にそう話していたの。あの時は、ステファニー様に告げた言葉だと思い込んでいたけれど」
魔導士は珍しく神妙な面持ちで、あごに指を当てる。
「僕が、君たちの魔力を見間違えるはずがない。つまりそれは、ソフィアに向けたものだということか」
背中を丸めたまま押し黙ったあとに、マルクスは勢いよく体を起こした。
「ステファニー・ドゥ・ラ・モンドヴォールを、消すのはどうかな」
「はい!? なんてこと言うのよ!」
「いやあ、そういうメッセージかと」
「んなわけないでしょ! 駄目に決まってるじゃない!?」
「そうかなぁ。どちらにしろ、公爵令嬢を探すのが急務か。よいしょ!」
マルクスの掛け声に合わせて、「ひいぃ!?」と情けない叫びが響く。
声の主は、部屋にいきなり現れた、挙動不審な青年だった。華奢な身体に、フードつきの黒いポンチョを羽織った男性は、大量の書類を両腕で抱きしめたまま、すっかり震え上がっている。
そうなるのも仕方がないだろう。自分の喉元に、レオンの剣を突きつけられているのだから。
「やめてあげてくれないかな? 僕が呼び寄せたんだよ、彼を」
マルクスが声を投げたところ、護衛騎士は不満げに腕を下ろした。
「やっと術を解除したな、マルクス」
「ありゃ。そういえばずっと、音を消していたかな? すっかり忘れてたや」
いけしゃあしゃあと、魔導士はうそぶく。
「紹介するね、彼の名はシャリエ。僕の補佐役を務めてくれているんだ」
「は、初めまして、皆さま……」
彼は私たちの顔をひとしきり眺めたあと、マルクスの背後に素早く身を隠す。
「マ、ママッマーケル魔導士長!? 予告もなしに召喚するなんて、いったい何事です!?」
ほとんど悲鳴に近い訴えに、直属の上司はおっとりと答えた。
「単なる事務連絡だよ。しばらく忙しくなりそうだから、魔塔の業務を君に一任しようかと思って」
「……はい?」
「おっ、いい返事だねぇ。じゃあ早速、今日からよろしくね!」
「ご冗談はおやめください! ただでさえ、決裁がたまりまくっているのに!」
慌てる部下を目前にして、なおもマルクスは、気楽に構えている。
「適当に押しちゃっていいよ、ハンコは。後でどうとでもなるし」
「そういう無茶なことをするから、いつも私たちが、事後処理に追われる羽目になるんじゃないですか!?」
「じゃ、なおさらいいじゃないか。はじめから責任を持って、片付けていけるんだから」
「あーもう! いい加減にしてくださいよぉ!?」
勢いに圧倒されていたソフィアが、ふと視線を横に向けると、同情的な面持ちでやり取りを見守る、レオンの姿が目に映った。




