05 運命の出会い①
話は二年ほど前に遡る。
「単刀直入に申し上げます。私と取引していただけませんか?」
いきなり押しかけてきた、名家の令嬢と名乗る少女は、なんの前触れもなくそう告げた。
侍女と思われる小柄な人物を伴ってはいるものの、綿織のローブ・ア・ラングレーズをまとう姿は、平民の娘にしか見えない。
いや、『一市民のよう』というだけでは、言葉が足りないだろう。彼女の容姿は『私』ソフィアにきわめてよく似ていた。
淡藤の瞳にしろ、コンプレックスなほどにぽってりとした唇にしろ、あまりに生き写しで、思わず二度見をしてしまったくらいだ。
違いといえば、私は癖のないまっすぐな髪質なのに対し、彼女の黒い髪にはふんわりとしたゆるいウェーブがかかっている程度かもしれない。
質素な佇まいが気になるのか、彼女は台所や食卓を物珍しそうに眺めながら話を続ける。
「失礼ですが、あなたのことは事前に調べさせていただきました。父親は数年前から行方知れず。そのうえ、過労の末に倒れた母親も急逝し、今は市場で下働きをして、年子の兄とともに弟を養っている。そうですよね?」
「は、はい」
その言葉通り、私が十四のころに出稼ぎに出たはずの父親は、十七になった今でも所在が不明のままである。
「お若いのに、ずいぶんとご苦労をされたそうですね。公爵家で甘やかされて育った私になど、想像もできないことばかりでしょう。心から尊敬します。けれども、子ども二人が休まず働いたとしても、稼ぐことのできる金銭は微々たるものだと聞きました。私に協力してくださるなら、報酬は惜しみませんよ」
『報酬』という言葉に思わず反応してしまう。
母の治療のため、私たちは金貸しにいくらか支援を受けていた。借りたお金については、兄と自分の給金から細々と返済を続けてきたものの、次第に膨らみ始めた利子に悩まされているところだった。
「その取引とは……?」
小声で尋ねると、彼女はニィッと口を開き、胸元で軽快に手を合わせる。
「お願いしたいことは、たった一つだけです。あなたには私の影武者になっていただきたいの」
「影武者?」
彼女は得意げな笑みを浮かべ、私の腕を強引に引き寄せた。
「詳しい話は後にしましょう! まずは、体型を似せるところから始めなければいけないわ。いくら瓜二つといっても、ここまで痩せてしまっていては、周りもすぐに別人だと気づいてしまいます。さしあたっては、これで栄養のあるものを食べてください」
主君の目配せを受け、後ろに控えていた侍女は、斜めがけにしているカバンの中身を探り始めた。
顔立ちはずいぶんと幼く見えるが、おそらく弟よりも年上だろう。ブルーブラックの短髪が、彼女の動きに合わせてさらさらと揺れている。
お目当てのものはすぐに見つかったようだ。目尻の上がった丸い瞳が、ぱっとこちらを捉えた。
「お待たせいたしました。どうぞお納めくださいませ」
差し出されたのは、小紫色をしたビロードの布袋だった。大きさはかろうじて片手に収まるほどだろうか。おずおずと手を伸ばしたが、こちらが受け取る前に、侍女はさっと袋を投げ渡してくる。
「重たっ!?」
慌てて掴んだ小袋は、想像以上にずっしりとしていて、つい大きな声を漏らしてしまう。
「開けてごらんなさいな」
二人のやりとりを楽しげに眺めていた令嬢は、短くうながすと、スツールへ緩やかに腰掛ける。
言われるままに結び目を解くと、中身がじゃらりと音を立てた。どうやら、硬貨がびっしり詰まっているようだ。
試しに一つ取り出してみたところ、丸い物体は蝋燭の明かりを映して、鮮黄色に輝く。
「嘘でしょ。まさかこれ、全部金貨なの!?」
慌てて袋の口を広げると、黄金でできた貨幣が食卓の上に勢いよく溢れ出した。
「ひとまずの支度金です。正式に引き受けていただけるなら、この十倍だってお支払いしますよ」
「はい? 正気ですか!?」
咄嗟に口から出た返しが、非難の物言いだと捉えられたのだろう。侍女は猫のような目をキッと細め、こちらを牽制してくる。
しかし、無意識に叫んでしまったのも無理はない。金貨はたった一枚だけでも、数日間はゆうに暮らせるほどの価値を持っている。
それがざっと見た限りでも、数十枚はあるのだから。
「あの……そもそも仕事内容から理解ができていないのですけど、実は雇用期間がものすごく長いとか、劣悪な環境だとか、そういう裏があったりしますか?」
その漠然とした問いかけに、目の前の令嬢は小首をかしげていたが、従者に耳打ちをされ、さらにきょとんと目を丸くする。
「怪しい仕事をさせられると思ったのですまか? 安心してください。労働環境は今より良くなるでしょうし、正体さえ隠し通せれば、仕事の内容は特段難しいものではありませんので」
すると、それまで口をつぐんでいた侍女が、息を長く吐いた。
「お嬢様。まずは概要だけでもお伝えしなければ、なにかとご納得いただけないかと。僭越ながら、ここからは私がご説明申し上げてもよろしいでしょうか」
「そうね、そうしていただけるかしら。ああ、あなたにも紹介しておきます。この子はアンヌ、私の筆頭侍女よ。護身術にも長けていますから、いざという時は彼女を頼ってくださいね」
アンヌと呼ばれた少女はこちらをじっと見つめ、それから申し訳程度に頭を下げた。
「ええと、アンヌ様? よろしくお願いします」
慌てて挨拶を返したが、気に食わないところがあったのか、彼女は眉間に深いしわを寄せる。
「あなたがステファニー様の代わりをなさってくださるなら、私はその場に限り、あなたにも等しくお仕えいたします。ですが、それ以外の場所ではよろしくしていただく必要はありませんので」
可愛らしい見た目に反して、ずいぶんと強気な態度だ。
令嬢はあごに手をつき、微笑をたたえている。どうやら、うろたえる私の様子を面白がっているらしい。目で助けを求めたが、彼女は静かに首を振るだけで、口を開こうとはしなかった。
一方アンヌはというと、こちらの動揺を気にも留めず、泰然たる態度で話を進めていく。
「労働時間は不定ですが、丸一日をお嬢様として過ごしていただくわけではありません。お力添えをいただきたいのは、朝夕を除いた日中のうち、数時間だけです。原則的に、空き時間は好きなように過ごしていただいて構いません」
「たった数時間? なおさら分かりません。どうしてそれだけで、これほどまでに高額なお給金をいただけるんです」
間を置かず返された問いに、侍女は苛立ちを覚えたようだ。けれども、彼女がなにか物申す前に、令嬢はそれをやんわりと制止した。
「それはね、これが極秘の依頼だからです。入れ替わりを知る者以外には、決して秘密を気取られてはいけません。私のお父さまにも隠し通していただきますし、もちろん、あなたのご家族についても同様です」
「公爵様にも明かさないのですか!? さすがに、それは無理があるのでは」
貴族のフリをしている間、なにを任されるのかは見当もつかないが、公爵令嬢の肉親を騙せるとは思えなかった。けれども、目の前の二人組にこちらの口説は響いていないようだ。
「大丈夫よ。お父様は昔から遠征ばかりで、私と顔を合わせることもほとんどありません。そもそもあの人は、娘に興味がないですしね」
「こういってはなんですが、お嬢様のことは旦那様よりも門番の方が詳しいくらいでしょうし、ご心配には及びません。けれども、ここまで外見がお似ましでいらっしゃるのなら、公爵邸を気軽に出入りすることは難しいでしょう。正体を隠すためにも、雇用期間中は私の部屋で過ごしていただくのはいかがでしょうか」
「それはいい提案ね! あそこであれば、すぐに私の部屋へきてもらうことができますし、他の使用人たちとの接触も避けられます」
「ちょ、ちょっと待ってください! 公爵邸へ入れというのですか!?」
当の本人を交えぬまま、進み始めた話題を遮ると、アンヌは心底不快な表情を浮かべた。
「何かご不満でも?」
「あの、私は初等教育も受けていない、下町育ちの小娘です。そんな私が、王太子妃となられる方のお屋敷に住まわせていただくなど」
「教養がないことを誇らないでください」
言い切る前に、こちらの訴えはぴしゃりとはねつけられた。アンヌはつかつか歩み寄ってくると、こちらを見上げ、胸元を指さす。
「知らなければ、学びなさい。幸いなことに、これまでは無知でも生活できたのかもしれませんが、世間はそれほど甘くありません。現に今、借金に振り回されているのがいい証拠です。『この気に乗じて、貴族の常識を身につけてやる』ぐらいの気概がなければ、頼れる大人もいないあなたが、この世界で生き抜くことは難しいですよ」
畳み掛けられた正論に、ものも言えなくなる。
貧しい暮らしを恨んだことはなかったが、自分に足りないものを、心のどこかでは境遇によるものだと決めつけてしまっていた。それに初めて気づかされ、一気に顔が赤らんでしまう。
「やめなさい、アンヌ。お願いをしにきたのはこちらなのよ」
「申し訳ございません、お嬢様」
侍女は私から離れると、主君に頭を下げ、そっと壁際へ移動した。
「ごめんなさい、アンヌに悪気はないの。厳しい言い方ですが、これはこの子なりにあなたを案じての発言なのです。どうか許してあげてください」
「もちろんです」
「入れ替わりが明るみに出てしまったら、私たちは二人とも首が飛んでしまうかもしれないですし、アンヌはなにかと心配してくれているのよ」
淡々とした口調で話すものだから、つい聞き流しそうになったが、『首が飛ぶ』とはなんとも恐ろしい忠告をするものだ。
しかし『二人とも』首が飛ぶとは、どういう意味だろうか。私の正体がばれたところで、高貴な身分の令嬢を断罪できる者がいるとは思えない。
密かに訝しんでいると、令嬢はすっと立ち上がり、こちらに身を寄せた。
「落ち着いて聞いてくださいね。……来年の春ごろ、私は“神殿”に入らなければいけません。その意味、あなたにも分かりますよね?」
「……神殿? それは、王都にある大神殿のことでしょうか」
すると、彼女は無言で大きくうなずいた。
“神殿に入る”というのは、国教の経典に基づいた、花嫁修行の最終段階と言える。
『一年に渡って俗世と離れ、身の穢れを落とし、祝福を受けて初めて、清らかな乙女となることができる』というのが、この国が建国されたころから伝えられてきた、極めて古めかしいしきたりだ。
もちろん、国民がみなその教えを守っているわけではない。
今時、この方針を貫いているのは、よほど敬虔な者か、そうでなければ国教に従順な王族、あるいは王室への輿入れが定められた者だけだった。
この国の若い王族は、第一王子のルイス殿下と第二王子のフィリップ殿下のお二人だけとなっている。そして先日、第一王子の婚約者が決まったと国民に報されたばかりであった。
「恐れながら……あなた様は、このトランキルの第一王子、ルイス様のご婚約者様でしょうか」
「そうよ。私の名前は、ステファニー・ドゥ・ラ・モンドヴォール。いずれ王太子妃に、そしてトランキル王后となる女よ」
満面の笑みに、偽りは感じられなかった。