58 ある青年の諦念Ⅰ ー 宵闇での邂逅
こちらは番外編で、レオン目線の過去編となります。
59話から本編に戻ります。
夕暮れ時のジラール邸は、葬儀を控えた埋葬室のような、重苦しい雰囲気に包まれている。
その中の一室で、男たちは膝を突き合わせていた。日は沈みきっていないものの、厚手のカーテンで窓が塞がれているため、夜半のころと見紛うほどに部屋は暗い。たった数本の蝋燭だけが、わずかに瞬いている。
張り詰めた空気を打ち破るように、突然声を上げたのは、アドルフ弁護士からの報告に耳を傾けていた、一人の家令だった。
「いけません。おやめください、レオン様!」
引き止められた子爵令息──レオン・ジラールは、使用人の手を強引に振りほどく。
「今向かわなければ、彼女は無実の罪で打ち首にされてしまう!」
「だからこそ! ……だからこそ、です。ステファニー様は、我々のためを思って、嘘を吐かれたのですから」
バーナードは強い瞳で、こちらを見据えている。“ステファニー”の証言によって、ジラール家が難を逃れたことは、屋敷中のみんなが知っていた。
近くに佇むアドルフは、力なくうなだれている。
もちろん、家令の言い分には理解できる点もある。けれども、目の前の二人とレオンの見解には、天と地ほどの差があった。
ステファニーは身勝手に周囲を翻弄し、姿をくらませただけだ。
アンヌが捕えられた今、あいつがどこにいて、誰とどのように過ごしているのかは、見当すらつかない。
絶望的な状況から俺たちを救ったのは、たった一人のか弱い少女だ。けれども、それを知る者も、もはや自分だけになった。
「これが彼女の望んだ結果だとしても、真相を知っている以上、隠し続けるわけにはいかない」
「どうしてあなた様は……いえ、そこで見過ごせないのが、レオン様らしいと言うべきでしょうね」
バーナードは渋い顔のまま、ぐっと口をつぐんだ。
レオンは固く握りしめていた新紙を、手元でそっと広げる。それは、“稀代の悪女”への宣告内容を報せる号外だった。
紙面に書かれた罪状は、どれも真実味がなく、作り話めいている。にもかかわらず、世間は偽の情報を疑うこともせず、彼女への怨みを募らせていた。
レオンの両手に力がこもる。少なくとも、俺がモンドヴォール邸へソフィア嬢を連れて行かなければ、このような事件に巻き込むことはなかった。
『入れ替わりなどといった、馬鹿げたことはやめろ』と、ステファニーを説得できていたなら、彼女は今も下町で、慎ましくも穏やかな暮らしを営んでいたかもしれないのに。
しわの寄った印刷物を横目に、バーナードは呟く。
「なにか、考えがおありなのですね」
「ああ。地下出版の記者たちに、情報を掴ませようと思う」
どんな情報を、とは聞いてこないところに、バーナードからの信頼の厚さを感じ、わずかに胸が痛む。
それでも、ここで胸の内を明かすわけにはいかなかった。そうすれば今度は、忠実な家臣までも、巻き添えにすることとなるのだから。
レオンは、ステファニーとソフィアの入れ替わりについて、知りうる情報を全て公にするつもりでいた。下町をあたれば、証人の一人や二人は、容易に見つけられるだろう。
大手の新聞社にたれこむのではなく、地下出版に目をつけたのにも理由がある。
仮に、王室から認められた団体に情報を持ち込んだ場合、統制局からの出版許可を得られない限り、記事は表に出せない。
今回の裁判には、秘密警察も噛んでいるのだから、正攻法でいったところで、もみ消されるのがオチだろう。
それに比べて、非公認の印刷所は、所定の手続きを経ることなく、刊行物を発行することができる。さらに一般市民からは、地下新聞のほうが人気だというのだから、これを利用しない手はない。
ステファニーの事件は、今一番の話題となっている。仮に記事が採用されたならば、一面を飾ることができるはずだ。
獄中にいる彼女が、“ステファニー”でないことが明らかになれば、悪女の処刑によって収拾を図っている王室も、動かざるを得なくなる。
唯一の懸念点は、告発者が“悪女”の幼馴染だという点だろうか。ステファニーを庇うために、偽りのネタを掴ませようとしたなどと疑われれば、今度こそ俺の立場が危うくなる。
これは、一種の賭けだった。
レオンはあらかじめ用意していた勲章を、静かに机へ載せる。弁護士はそれを凝視して、調子外れの声を上げた。
「まさか、貴族としての称号をお捨てになられるのですか!?」
「ええ。ジラール家に迷惑をかけるわけにはいきませんから」
迷いのない答えに、彼はたどたどしげに応じる。
「お気持ちは分かりますが、レオン様の人生と引き換えにしても、判決が覆ることはありません。ステファニー様の身柄も、すでに監獄へ移されたあとでしょうし」
「そうだとしても、処刑を遅らせることはできるかもしれない」
レオンの言葉に、弁護士は哀れみの表情を浮かべる。
確かにステファニーが見つからない限り、事態はなにも好転しないだろう。けれども、世論さえ味方につけてしまえば、あとは人民が“稀代の悪女”を探し始めるに違いない。
このまま終わらせたりはしないよ、ステファニー。なにがどうなっているのか、お前自身の口から聞くまで、俺は納得しないからな。
「バーナード。お前も反対するか?」
レオンは沈黙を貫く家令に尋ねる。すると、彼は首を軽く振り、穏和に答えた。
「いいえ。ご健闘をお祈りいたします、レオン坊ちゃま」
「……ありがとう、じい」
懐かしい呼び名に、バーナードはふっと笑みを漏らす。
「そういった話であれば、私はここで手を引かせてもらいますね!? レオン様」
それまで二人の様子を見守っていたアドルフは、荷物を両手で抱えながら、か細い声で囁いた。
「もちろんです。これまで本当にありがとうございました、アドルフ弁護士」
レオンはできる限り深く頭を下げて、恩義に報いたのだった。
家令と弁護士が部屋を出るのを見届け、身支度を始める。そうと決めたからには、早く動かなければならない。
身なりはなるべく、貴族らしくないものに。帯刀はできないにしても、最低限は己の身を守れるように、策を講じる必要もある。
レオンが考え込んでいると、背後からしゃがれた声が響いた。
「やめておくんだね、レオン・ジラール」
即座に壁飾りの剣を掴み、声が聞こえたほうへ向ける。
「誰だ、お前は?」
部屋の片隅にたたずんでいたのは、ステファニーや、ソフィア嬢と同じくらいの背格好の人物だ。灰色のポンチョについたフードをかぶり、すっかり顔を覆っている。
本物の剣が手元にないのはつらいところだが、相手を気絶させるくらいのことはできるだろう。
目の前の人物は、問いかけには答えず、黙ってフードを外した。
レオンはわずかに戸惑う。男の姿に、見覚えがあったからだ。
おそらく、彼の名はマルクス・マーケル。魔塔の魔導士長だ。
確証を持つことができないのは、彼の外見が、記憶の中のものと大きく異なるためだろう。
病人のようにげっそりとしていて、目の周りには深いくまも刻み込まれている。
歳は自分とさほど変わらないはずなのに、まるでくたびれた老人のようだ。
魔導士長と思われる人物は、武器を向けられても動じることなく、ぼそぼそと話を続ける。
「いいか、レオン・ジラール。本当にソフィアを救いたいなら、処刑の日まで邪魔をしないでくれ」
レオンは耳を疑う。聞き間違いでなければ、この男は彼女の“本当の名”を唱えたようだった。
「“ソフィア”と、そうおっしゃいましたか?」
「とにかく、大人しくしててくれないか。変に行動を起こされて、警備が厳しくなろうものなら、なにかと面倒なんだ」
彼は苛立たしげに言い捨てる。もはや、こちらの言葉に応えるつもりなど、ないように思えた。
それでも、語りかけずにはいられない。なぜだか魔導士長は、現状を打破する術を、明確に心得ているようなのだから。
「あなた様は、彼女のなにをご存知なのですか」
すると、マルクスの眉がぴくりと反応する。
「ソフィアのことなら、お前よりもよっぽど多くを知っているさ、僕は」
なにが逆鱗に触れたのか、厳しい声で魔導士は告げたのだった。
この言い分だと、もしかすると彼は、下町にいたころからの知り合いなのかもしれない。そういった話を、ソフィア嬢から聞いたことはないのだけれども。
油断している隙に、マルクスが指を鳴らそうとするものだから、レオンは慌てて掴みかかる。彼が魔術を使う際に、そういった仕草をするのは、過去に目にしたことがあった。
「これ以上、お前に言いたいことはない。その手を離せ、レオン・ジラール!」
魔導士はこちらに一瞥もくれず、騎士の腕から逃れようとする。
レオンは力を緩めることなく、声を張り上げた。
「失礼を承知で申し上げます! ソフィア嬢をどのように助け出すのか、きちんと話していただけない限り、あなた様を解放するわけにはいきません」
「なんだっていいだろ。大体ソフィアとは、顔見知り程度の付き合いじゃないのか? なぜ、そこまで執着する」
確かにこれまで、彼女とは最低限の関わりしか持っていない。
けれども胸の奥では、王太子を想って涙を流す、小さな後ろ姿がずっと燻っていた。
「ソフィア嬢を下町から連れ出した日に、誓いを立てたのです。これからは私が守ると。だから、その約束を違えるわけにはいきません」
真剣に伝えたつもりだが、なぜかマルクスは、呆けたように大きく口を開ける。
「まいったな。そこまで不器用なのか!? 君は」
マルクスは戦意を喪失したのか、一切の抵抗をやめた。
そっと手を離すと、彼は絨毯の上に力なく崩れ落ち、それから諦めたように両腕を上げる。
「分かった、全部話すよ! 君には、これまでのことを知る権利があるだろうから」
こちらを見上げる魔導士は、微笑みとも苦笑いともつかない、歪な笑みを浮かべていた。
第二章完結までお読みいただき、誠にありがとうございます。心に残った話がありましたら、感想等いただけますと励みになります。
次回より、身代わり奮闘編が始まります。お楽しみに!




