57 大きな選択②
自分の発言の重さを、マルクスは理解できているのかしら? 陽気に楽しむ姿に、ソフィアはえも言われぬ異質さを覚える。
公爵やレオンは、声こそ上げなかったものの、青白い顔で魔導士を見つめていた。
「今はまだ、令嬢も元気そうじゃないか。だからこそ、犯人の誘いには乗らずに、抗ってみるのもありじゃないかな」
「マルクス様には、なにか策がおありなのですか?」
レオンが不安げに尋ねる。質問を受けた魔導士長は、平然と胸を張った。
「魔術は物を介在すると、手がかりが残りやすい。このまま入れ替わりを続ければ、おそらくまた、魔導士を通して連絡が入るだろう。そこが狙い目だよ」
「『狙い目』なんて、そんなふざけた言い方はやめなさいよ。今回は、その『手がかり』すら得られなかったじゃない!?」
ソフィアが噛みつくと、マルクスは照れ笑いを浮かべてみせる。
「痛いところを突くなあ」
「あなたに人の心はないの? 公爵閣下は、今この瞬間も、家族の命を脅かされているのよ!?」
レオンが、興奮するソフィアをなだめようとしてきたが、構わずに想いをぶちあけていく。
「家族を失うことが、どれほど辛いか。私だって、少しでも到着が遅れていれば、兄さんとはもう二度と、話をすることすらできなかったかもしれない! 確かにあなたを見ていれば、魔導士がすごいのは分かるわよ? けど、『狙い目』とか『拷問』だとか……あなたたち、人をなんだと思ってるの!?」
「ソフィア!」
耳元で叫ばれて、はっと正気に返る。
私の両肩を、背後から抱きとめるように押さえつけていたレオンは、とても悲しげに、こちらを見ていた。
「お願いですから、もうそれ以上、涙を流さないでください」
「え……?」
気づけば大粒の雫が、ぼろぼろと頬を伝っている。
「あれ? すみません、すぐに泣き止みますから」
けれども、次から次へと涙があふれ出るものだから、目の前の騎士は、焦り顔で固まってしまう。
ソフィアは両手に顔をうずめつつ、それでいて冷静に、自身の感情と向き合っていた。
なぜかしら。転生してからこれまで、泣いたことなんてなかったのに。
この事態は、マルクスにとっても予想外だったようで、あたふたしながらこちらへ駆けてきた。
「ごめんよ、ソフィア。悪気があったわけじゃないんだ」
魔導士は、ゆったりとした袖元をソフィアに近づけると、豪快に顔全体を拭ってくる。
「僕も、言い方がよくなかったかもしれない。ねえ、許してくれない?」
なぜだかマルクスまでもが、泣き出しそうな顔をしていて、ソフィアは目元を擦りながら、軽く吹き出してしまった。
ああ、そうか。私、自分で思っていたよりも、ずっと不安だったのね。
訳もわからないまま、首を切り落とされてしまった、一度目の人生。
そして、いきなり与えられた十五歳の体に加えて、経験したことのない事件ばかりが襲ってくる、二度目の暮らし。
今世こそは生き延びよう、家族を死なせるわけにはいかないと、気を張り詰めていたところもあった。
自分を救うことができるのは、結局のところ、過去を知る己だけだと思い込んでいたのだから。
でも、一人で抱え込む必要なんて、なかったのかもしれない。
ソフィアの表情が和らいだことに気がついたマルクスは、ほっと一息つき、丁寧な口調で続ける。
「色々話したけど、これは全部、ソフィアが“公爵令嬢のフリ”をする場合のことだから。もし君が辞めるって言っても、僕は止めたりしないよ」
曇りのない瞳は、まっすぐにソフィアをとらえていた。
「でも、ソフィアが頑張るってんなら、僕も力になるし、子爵令息だってそばで守ってくれるさ。そうだろ? ジラールの長男坊さん」
突然話を振られたレオンは、苦しげにこう漏らす。
「私は、身代わりを続けることは、危険すぎると思います。ですが、ソフィア嬢がこれからも、“ステファニー”として行動するおつもりなら、身命を賭してお守りするだけです」
「ふふ、模範解答って感じだね。じゃあ、モンドヴォール公爵はどうかな?」
魔導士は満面の笑みをたたえつつ、公爵のほうへ向き直る。
娘の所在すら分からぬ父親は、ひどく苦々しい顔つきで答えた。
「いくらステファニーの命がかかっているとはいえ、そのためにソフィア嬢を危険に晒すなど、あってはならぬこと。尊重すべきは、ソフィア嬢の意思でしょう」
「ふーむ。それじゃあ、君の気持ちを聞かせてもらおうか? ソフィア」
全員の視線が、こちらに移る。ソフィアは乱れた髪を素早く整え、大きく息を吸った。
「正直に言うと、もともと私は、ステファニー様に対して、あまりいい印象を抱いてはおりませんでした。ですが……」
ソフィアはこの場にいない、ステファニーを想った。
私にそっくりで、私とは何もかもが違う、特別な星のもとに生まれた少女。
私の一度目の人生を、あっけなく終わらせた“前世のステファニー”には、恨みすら抱いていた。さらに、こちらの世界にきてからは、貴族としての責任すら放棄する、身勝手なところに辟易したものだ。
けれども、彼女と再び出会い、まだ幼いステファニーと交流を重ねるうちに、いつしかこちらの気持ちにも、変化があった。
「ステファニー様のお考えに触れ、文通を続けていくうちに、いろいろな面を知ることができました。純粋なまでのひたむきさに、分け隔てなく接する情け深い心。彼女自身が重ねてきた努力の数々が、多くの人から信頼される結果に繋がっているのだと、今ではよく分かります」
それからソフィアは、モンドヴォール公爵の前へ進み、穏やかに語った。
「この失踪が、誰かの策略によるものならば、私はステファニー様の頑張りを無駄にしたくはありません。これからしばらくは、子爵邸でお世話になりますし、その間だけでも、身代わりをしてみます。あ、もちろん、ずっとは無理ですけどね!」
ソフィアが微笑みかけると、公爵はしずしずと首を垂れる。再びこちらへ向けられた彼の瞳は、わずかに揺らめいてみえた。
「感謝いたします、ソフィア嬢。では私は、引き続き、神殿について調べていきますね」
すると、それまで満足げに見守っていたマルクスが、頭を大きく傾ける。
「なんでいきなり、神殿が出てくるの?」
「そういえば、マルクスには話してなかったわよね。ステファニー様は失踪する直前に、神官たちと会っていたらしいのよ。だから閣下は、この家出騒動と神殿に、なんらかの関係があるとお考えなの」
「へえ……。じゃあそちら側は、公爵に任せるとしよう」
魔導士は頭上で腕を組み、大きく伸びをした。くつろぐマルクスに、レオンは敬礼を向ける。
「マルクス様。ソフィア嬢の警備体制について、お話をさせていただきたいのですが」
「ああ、いいよ!」
「私も聞かせてもらおう、レオン。しばらくは、ジラール領とこちらの土地を、行き来することになるだろうから」
顔を突き合わせる三人を見つめながら、その意外な組み合わせに、ソフィアは不思議な感情を抱いていた。
あの面々が一堂に会するなんて。前世の私が耳にすれば、きっと驚くだろう。
転生を果たしてからというものの、ここまでは一人で、がむしゃらに走り抜けてきたつもりだった。
けれども今、私の周りには、これほど親身になってくれる人たちがいる。
いや、これまでも気づけなかっただけで、きっとたくさんの人が、私を見守ってくれていたのだろう。
思い込みはよくないと、つくづく考えさせられる。
公爵はステファニーから聞かされていたような、家族を蔑ろにする人物ではないし、マルクスも想い人を好んで殺める、狂人ではなかった。
そして、レオンはどうかと思い返したところ、彼に関しては、転生前の印象と異なる点が、ほとんどないことに気がつく。
違うことばかりの二度目の人生で、変わらないものもあるのだと思うと、ほんのり心が温かくなった。
第二章本編は、こちらで完結となります。
次話は番外編の更新を予定しています。




