54 二人の同居人②
「そこまで言うなら、ジラール家で面倒を見ればいいさ。ただし、僕も一緒に暮らすからね。君だけでは、魔導士に太刀打ちできないんだから」
それからマルクスは、ソフィアに近づき、ぽそりと囁いたのだった。
「禁術の生き証人なんて、滅多に出会えるものじゃないんだ。存分に調べさせてもらうよ」
おそらくこの魔導士は、私のことを、貴重な研究対象と捉えているのだろう。
そんな彼の、好奇心に満ちた瞳を向けられて、母はすっかり面食らっている。
「あなたは一体……?」
「あ、自己紹介がまだだったね。僕はマルクス・マーケル。一応、魔導士長をやってるよ」
母と強引に握手をするマルクスを眺めながら、ソフィアは無意識に呟いてしまう。
「魔導士長?」
「もしやソフィア嬢は、マルクス様がなんのお仕事をなさっているか、ご存知ないのですか?」
レオンは驚いた様子で、こちらに尋ねてくる。
「魔塔の魔導士……ではないのですか?」
「間違いではありませんが、あえて付け加えさせていただくならば、このお方は、少数精鋭の魔導士たちを率いる、魔塔の最高責任者であらせられます。つまり、このトランキルで、最も力を持った魔導士ということになりますね」
「おっと、分かりやすい説明をありがとう!」
思いがけない情報に、母はすっかり身を固くする。ソフィアも慌てて、マルクスに詰め寄った。
「なにそれ! 魔塔で一番偉いの!?」
「あれ? 知らなかった?」
なぜだか、彼は目を丸くしている。前世で関わりがあったのだから、当然のように、自分の素性は把握されていると考えていたのかもしれない。
確かに、初めて出会った時も、この男は“国一番の魔導士”と名乗っていた。けれども、そんなのはただの冗談話だと思っていたわ!
「知らなかったわよ!」
「そっか。じゃあ、いま君が聞いたとおりさ。なんなら、魔導士長サマと呼んでくれたって構わないんだよ?」
「嫌に決まってるじゃない!」
素早い返しに、マルクスは両手を叩いて喜んだ。
「ふふっ! やっぱり、ソフィアは面白いね!」
マルクスと騒いでいる背後で、ようやく解放された母親は、レオンに向き直った。
「レオン・ジラール様。本当に、私の娘をお任せしてもよろしいのでしょうか?」
「もちろんです。騎士に二言はありません」
胸元に拳を当てながら、はっきりと宣言する。レオンの腰には、王から下賜された剣が、静かに備わっていた。
母は難しい顔のまま、今度はマルクスに問いかける。
「魔導士長様も、恐ろしい魔術の使い手から、この子を守ってくださるのですね?」
「うん。ソフィアと一緒にいることは、僕にとってもメリットがあるし、他の魔導士たちには指一本触れさせないよ」
そして最後に、私をまっすぐに見つめ直した。
「ソフィアも、そうするべきだと考えているのね?」
「そうよ。それが、家族みんなにとっての、最善策だと思うから」
しばらく目を伏せていた母は、観念したように息を漏らす。
「お二人には、息子を救っていただいただけでも、感謝してもしきれないほどですのに。なんの対価も払えないことは、大変心苦しいのですが……どうか、この子を守ってやってください」
深く深く、頭を下げながら、掠れた声で懇願したのだった。
レオンは申し出を快く承諾し、マルクスも満更でもないのか、機嫌よく鼻歌を歌っている。
顔を上げた母は、青年騎士に向かって、こう尋ねた。
「ところで子爵様は、お元気でいらっしゃいますか」
「ええ。あと十五年は、家督を譲る必要もないと豪語するほどに、元気に過ごさせて頂いております。失礼ですが、父と面識がおありですか?」
すると母はあたふたしながら、レオンの発言を訂正した。
「いいえ! 私ではなく、夫が仕事でお世話になったことがありまして」
出稼ぎで生計を立てている父が、ジラール子爵と関わりがあったとは、ソフィアも初耳だった。
そして、そのやりとりを耳にして初めて、肝心な点を忘れていたことに気がつく。
「大変! 父さんには、どうやって伝えればいいのかしら。このままだと、なにも知らずに、家へ帰ってしまうんじゃないの!?」
「落ち着いてください、ソフィア嬢。取り急ぎ、今の所在を調べますから」
けれどもレオンの申し出を、母はあっさりと断った。
「ご心配には及びません。滞在先に心当たりはありますので、手紙を出してみます」
「左様ですか。では、うちの者に持たせましょう。みなさんに過ごしていただく仮住まいには、護衛を数名つけますので、気軽に声をかけてください」
「ちょっと待ってよ。どこに父さんがいるか、母さんは知ってるの?」
「当たり前じゃない」
ソフィアの尋ねには、実にあっさりとした答えが返ってくる。
「なら、今度からはちゃんと、父さんがどこにいるのかを、私たちにも教えてよね! 前は連絡がとれなくて、本当に困ったんだから!」
「あんたたちが、父さんの仕事先を気にしたことなんて、ほとんどないじゃない。それに、『連絡が取れなくて困った』なんて、一体いつの話よ?」
呆れ顔での反応に、思わず言葉が詰まってしまう。母さんが危篤だった時よ、とは言えるはずもなかった。
ソフィアが返答に窮しているころ、レオンとマルクスは、特別室の出口をふさぐようにして、二人で向き合っていた。
「マルクス様。いつごろから、ジラール邸に滞在なさるおつもりですか」
「ああ、明日からでもお世話になろうかな。魔塔の仕事は、どうとでもなるからね」
「承知しました。すぐにお部屋を用意いたします」
会釈してみせたレオンに、マルクスは乾いた笑いを返す。
「君は僕のことを、信用してないんだね」
「そんな、まさか」
「本音で話していいよ。ソフィアを魔塔へ行かせたくないのは、他にも理由があるんだろう?」
そつのない言葉を返そうとするレオンに対し、マルクスは畳みかけたのだった。
問い詰められた青年は、しばらく続きを口にすることを躊躇っていたが、息を吐ききってからしゃべり始めた。
「では、正直にお伝えします。花祭りの日に、ソフィア嬢へ絡んでいた者たちは、魔塔のローブをまとっていました。そちらに裏切り者がいないとも言い切れないですよね」
「その通りだよ。君のことだから、僕が命じた可能性についても、当然考えているのだろうね」
にやけ顔をした魔導士の、真意を測りかねているレオンに、彼は言葉を付け足した。
「いや、責めたいわけじゃないんだよ! むしろ、疑ってもらったほうがいい。どこに裏切り者が潜んでいるのかは、僕だって分からないからね」
「どういうことでしょうか。ソフィア嬢の周辺に、手引きした者がいるとでも?」
「さあ、なにも分からないね。とりあえず、僕のことを疑っているなら、ジラール邸でも監視を続ければいいさ。とはいえ、僕は無実なんだし、信じてもらえるように努力はするよ」
それから一つ指を鳴らすと、マルクスの手元には、一枚の羊皮紙が現れた。
「ほら、あげるよ。これがソフィアのお兄さんを襲った、出来損ないの魔導士の正体だ」
受け取った資料に、さっと目を通したレオンは、勢いよく顔を上げる。
「犯人とは面識があったのですか?」
「まあ、一応ね。こいつの取り調べは、魔塔が責任を持って行うから。あと、お兄さんを襲った犯人たちとは別に、近衛の駐屯地へ、3人ほど男を届けておいた。ソフィアを監禁していたやつらだよ。そいつらに、ソフィアを襲撃させたのは誰なのか、しっかり問い詰めてもらいたい。任せてもいいだろ?」
「ちょ、ちょっと待ってください!」
怒涛の報せに、レオンは待ったをかけた。
「ソフィア嬢の話だと、自分の乗っていた馬車を襲ったのは、魔導士長であるあなた様だということになっていませんでしたか?」
「ああ、面倒だから否定しなかったけど。僕は偶然監禁先を見つけただけで、誘拐を手引きしたわけじゃない。彼らは“ステファニー”が乗るはずだった馬車を襲ったのか、それともソフィアを狙ったのか。それすらまだ、分からないんだ」
「ですが、モンドヴォールの騎士たちを倒した相手は、明らかに魔導士ですよね? そうでなければ、騎士たちが抵抗する前に、一瞬で意識を失った理由が説明できません」
「そうだね、確かに犯行現場には、魔術の痕跡があった。ということは、犯人がよっぽど高性能な魔導具を使ったわけでないなら、僕ら魔塔の人間が預かり知らぬところで、魔導士たちが暗躍しているのかもしれない。どちらにしろ」
マルクスはレオンの胸に人差し指を当て、低い声で囁いた。
「本気でソフィアを守りたいなら、気を引き締めることだね。もしかすると、僕たちはとんでもない敵と、戦っているのかもしれないから」




