51 それは愛ゆえに
一行が次に移動した先は、ソフィアの生家だった。
ジラールは急な出来事に驚きながらも、これはマルクスの魔術による瞬間移動だと察しているようだ。
「少し遅かったみたいだね。連れ去られた跡がある」
マルクスは部屋を眺めつつ、きっぱりと言い放つ。一目見た限りでは、自宅に異常は見られないのだが。
「じゃあエリアス兄さんは、どこへ行ったっていうの!?」
興奮するソフィアを支えながら、今度はレオンが口を開いた。
「マーケル様がお探しなのは、ソフィア嬢の兄君ということになりますでしょうか?」
「マルクスでいいよ。あと敬語はむず痒いし、普通に話してくれない?」
「では、マルクス様。ソフィア嬢の兄君を助け出すために、私の力が必要だという理解でよろしいですか」
「堅苦しいねぇ!? まあいいか、そんなところだよ。幸いなことに、後を追うのは簡単そうだし、すぐにでも向かおうか」
「承知しました」
マルクスはローブの袖をたくし上げながら、にこにこと話し続ける。
「お兄さん以外は、みんな敵だと思ってくれればいい。魔導士は僕が相手するから、他を適当にやっつけてね。ああそれと、君はソフィアっていうのか! とりあえずソフィアは、僕たちの足手まといにならないように、近くでひっそり隠れておくんだよ」
「……はぁ!?」
ソフィアが反論する前に、マルクスは再び指を鳴らしたのだった。
その一方で、三人が追いかけているエリアスはというと、仮面をつけたフード姿の男と対峙していた。
「いったい、なんだってんだよ!」
謎の男へ語りかけても、こちらからの問いかけには、反応すら示さない。
エリアスは内心焦っていた。
つい先ほど、来訪者を確認すべく、自宅の戸に手をかけたところまでは覚えている。けれども、次に目を開いた時には、この殺風景な廃墟に捕らえられていた。
状況から察するに、自分は誘拐されたのだろう。麻紐を使い、全身が古びた椅子にくくりつけられていて、その場に立ち上がることすらできない。
あの時、他の家族が家にいなかった点だけは、不幸中の幸いと言うべきか。
目の前に立つフード姿の男が、どうやら主犯のようだ。建物の中には、他にも数名、同じ仮面を被る者たちが控えているが、整列したままこちらの様子を窺うだけだった。
それにしても、なぜ俺を誘拐したのか。金も持っていなければ、大した利用価値もないのに。
男を睨めつけていると、強い力で頭を押さえつけられた。
「いてっ!?」
『なぜ“流星の跡”が消えている?』
不気味な声が脳内に響き、背筋がぞわりとする。
目の前の男が、口を開いたわけではない。しかし、彼から発せられた言葉ではあるようだ。
『この数日間で、転生目的を果たしたというのか。そもそもお前は、なぜ生きながらえている?』
周囲のお付きたちに、彼の“声”は届いていないらしい。緊迫した空気を感じてか、こちらを怪訝そうに見ている。
エリアスにも、彼の話はほとんど理解できなかった。しかし、星型の痣についてだけは、心当たりがある。
先ほどこの男は、俺のうなじを確認していた。エリアスの頭には、ちょうど数日前、首元に謎の跡をこさえたばかりの妹の顔が浮かんでいた。
おそらく、花祭りで男装していたソフィアのことを、俺だと思い込んでいるのだろう。
『見たところ、魔力量はそこまで多くないようだが……まさか、跡を消す方法でもあるのか?』
「魔力量? 転生? さっきからなに言ってんだよ」
『あくまでしらを切るなら、こちらにも考えがある』
そう言いながら、男の手がエリアスの肩に置かれた瞬間。
「!?」
体中に強い衝撃を覚える。それはまるで、内臓が内側から爆発したかのような、激しい痛みだった。
堪えきれずにむせ込むと、口元から勢いよく鮮血が溢れ出す。
こいつ、なにをしたっていうんだ!?
『苦しいよな。大人しく話すなら、手加減してやってもいいぞ』
温情的な声がけとは裏腹に、その声色はとても冷酷なものだった。
苦痛からの解放と引き換えに、ソフィアを差し出せというのか。
たとえ全てを話してしまったとしても、あいつは俺のことを、恨んだりはしないだろう。
純真無垢な妹の、屈託のない笑みが目に浮かぶようだった。
「……話すわけないだろう」
『なんだと?』
彼の声に、初めて動揺が感じられた。
「跡なんて、ちっとも知らねぇよ。他を当たらないと、時間の無駄だと思うがな」
『……そちらがそのつもりなら、徹底的にやらせてもらおう』
そしてすぐに、先ほどとは比べ物にならないほどの痛苦に襲われる。
『安心しろ、死なない程度には治してやる。だが、口を割らない限り、拷問は終わらないぞ』
その言葉通り、男はエリアスの体を治癒しては、凶悪な術を繰り返した。
声にならない叫びを上げながら、青年は悶絶する。ついには椅子ごと倒れ込み、痛みを逃すためか、自身の体を床へ打ちつけ始めた。
あまりに壮絶な有り様に、遠巻きに見守っていた仮面男たちも、たまらず顔を背けていく。
エリアスは必死に意識を保ちながら、本来の標的であったはずの、ソフィアに思いを馳せていた。
こんな痛みに、あいつが耐えられるわけもない。俺でよかったよ、本当に。
それからどれほどの時が経ったろうか。
気を失いかけては、四肢が引き裂かれるような激痛を与えられ、強引に意識を戻される。
もはやエリアスに、抵抗する力は残っていなかった。
『そろそろ、話す気になったか?』
「知らない。俺はなにも知らない……」
それはある意味、本心だった。
頑なな青年の態度に業を煮やしたのか、男はついに、エリアスへ直接手をかけようとする。けれども、次の攻撃が届くことはなかった。
「魔導士様!?」
周囲の男たちがざわめく裏で、エリアスの呼吸が急に楽になる。フード姿の男はというと、気づけば壁際まで吹き飛ばされていた。
「なっ、なんだ、こいつらは?」
「どうして、ここが分かったんだ!?」
薄ぼんやりした視界の端に、周りを囲んでいた仮面男たちが、次々と倒れていく姿が映り込む。
彼らと相対する人物は、先日妹が連れ帰った、若い近衛兵に見えた。
なんでまた、こんなところにあいつがいるんだ。さてはこの男も、性懲りもなくソフィアに付きまとっていたのか?
「エリアス兄さん! 大丈夫!?」
突然、耳元で金切り声が響く。柔らかく巻かれた黒髪が、エリアスの頬をふわりとかすめた。
馬鹿野郎。なんでここへきたんだ!
あいつらの狙いは、俺じゃなくてお前なんだぞ!?
そう伝えたいのに、口を動かすことすらできない。
突如現れた妹は、兄を縛りつけるロープを解こうとしている。しかし、べったりと血がこびりついているせいか、どうにもうまくいかないようだ。
しばらくしてから、仮面男を片付けたレオンがこちらへ駆け寄り、麻紐を切り落とした。
「兄さん、分かる? 私よ。ソフィアよ!」
ようやく解放されたエリアスの体を、ソフィアは優しく抱きとめる。
改めて妹を眺めると、なぜだか見たこともない豪華なドレスをまとっていた。化粧のせいか、いつもより顔色も明るく見える。
もしかすると、これは都合のいい夢なのだろうか。あまりの辛さに耐えきれず、幻覚でも見ているのかもしれない。
それならば、とびきりの笑顔でいてくれればいいものを。
貴族と見まごうほどに華やかな容姿だというのに、ソフィアは顔をくしゃくしゃにしながら、大粒の涙をこぼしている。
また泣いてるのか、こいつは。
俺に手を引かれながら、ぼろぼろと涙を流す幼姿を思い出す。
まったく、人騒がせな妹だよ。すぐにこうやって、めそめそするんだから。
エリアスは、震える指でソフィアの頭を撫で、それから完全に意識を失った。




