50 レオンの焦慮
“公爵令嬢”がさらわれた現場は、騒然としている。
主を失ったがらんどうの馬車が、好奇の目に晒されているものの、周りに集う民衆のなかに、誘拐の瞬間を目撃した者はいないようだ。
異常を検知した警備隊は、早々に辺りの捜索を始めていた。しかし、近くで気絶していた侍女も、襲撃者の姿を見てはおらず、捜査は難航を極めている。
誘拐された人物が、王太子妃の最有力候補と囁かれる『ステファニー・ドゥ・ラ・モンドヴォール』だと判明してからは、憲兵たちもこの場に派遣されていた。しかし、彼らの力を持ってしても、有力な情報を得ることはできなかった。
「モンドヴォールの騎士は、腕利き揃いだというのに。いったい、なにがあったんだ?」
今もなお、体を起こすことすらできない騎士たちを見下ろしながら、一人の憲兵が呟く。
「目立った外傷はない。なのに彼らは、突然の痛みが全身を襲ったと、そう話してるんだろう? 訳が分からないよ」
困惑する憲兵らのもとへ、仲間の一人が駆け寄った。
「ああ、レオン! そっちはどうだった?」
同僚に問いかけられたレオン・ジラールは、無言で首を振る。
「首謀者はフリオン侯爵令嬢じゃないのか!?」
「ということは、振り出しに戻ったってわけか……」
一縷の望みが断たれ、憲兵たちは残念そうに肩を落とす。
ステファニー失踪の一報を聞いた王太子は、クロエとステファニーの間になんらかの因縁があると考え、真っ先にレオンを侯爵邸へ向かわせた。
ただレオン自身は、クロエが黒幕だという説に懐疑的だった。
確かにあの二人は、夕べの舞踏会で、大きな騒ぎを起こしたばかりだ。しかし会場を去る段には、クロエもすっかり大人しくなっていたうえに、素直にステファニーの肩を借りているように見えた。
とはいえ、疑問点はいくらでもある。
昨日の今日で、なぜ二人きりの茶会を催すことになったのか?
フリオン侯爵令嬢は、自身の邸宅にソフィア嬢を招き入れ、なにを語ったというのか?
現場はフリオン侯爵家から離れているものの、屋敷から出た一行を尾行すれば、機を見て襲撃するのは容易なことだろう。
けれども、モンドヴォール公爵令嬢の行方が分からないと聞かされたクロエの、ひどく動揺した様子は、演技とは思えなかった。
『どうか、ステファニー様をお助けください、ジラール様!』
去り際にそう訴えてきたクロエは、涙さえ浮かべているようだった。
侯爵邸ではなんの手がかりも得られなかっただけに、現場での捜査の進展に期待をしていたが、どうやら簡単には終結させてくれないらしい。
『ステファニー様は、あなた様に会いに行くところでした。ですから、モンドヴォールの邸宅ではなく、王城へ向かわれたのです』
クロエの証言を思い返し、唇を噛みしめる。
「……俺のせいだ」
レオンは小さな声で呻いた。
晩餐会を訪れていた招待客の多くが、次期王太子妃の座を射止めるのは、モンドヴォール公爵令嬢だと感じていたはずだ。
昨晩のうちにでも、王太子に“公爵令嬢”の警護の必要性を説いておくべきだった。もし現場に居合わせていたなら、ここまで大ごとにはならなかったかもしれない。
そもそも、自分がモンドヴォール公爵と彼女を引き合わせていなければ、このような事件に巻き込むこともなかったのに!
苛立ちをぶつけるように、拳を石造りの壁へ打ちつける。他の憲兵たちは、珍しく感情的な仲間の様子にざわめいたが、声をかけようとはしなかった。
行方をくらませた相手が、彼の幼馴染だということは、周知の事実だからだ。
瞳を閉じたまま、レオンは深呼吸を繰り返した。
己の不甲斐なさには、ほとほと嫌気がさす。
ソフィアは今、どこにいるのか。怪我はしていないだろうか。
金銭目的であれば、じきに犯人からの要求が届くはずだ。それをきっかけに、解決への糸口が掴める可能性は高い。
どうかそれまで、無事でいてくれ。藁にも縋る思いでいた彼の耳に、甲高い叫び声が届く。
「どうなってるの? さっきまで小屋にいたのに!」
「わあ!? 耳元で叫ばないでよ、少し場所を変えただけだから!」
その場に居合わせた全員が、口喧嘩をする男女に目を奪われた。
それもそのはず。彼らがどこからともなく現れただけでも、じゅうぶん驚くことだというのに、そのうちの一方は、多くの人員を割いて捜索しているはずの、“公爵令嬢”その人なのだから。
「ソフィ……ステファニー!?」
レオンは同僚を押し退け、“幼馴染”の元へ駆けていく。必死な形相のレオンを見て、ソフィアはふっと表情を和らげた。
「レオン。ご心配をおかけしました」
「ひとまず安心しました。ご気分は? お怪我などされていませんか?」
早口の問いに、吹き出してしまいそうになる。どう考えても、彼は“ソフィア”に話しかけているわよね!
「大丈夫ですよ。私はなんの危害も加えられていません」
そう微笑みかけると、レオンの眉間からようやく深い皺が消えていった。
「ところで、あの青年はいったい?」
彼の指す先には、憲兵の制止を振り切って馬車の中に立ち入る、マルクスの姿がある。
「話せば長くなるのですが……。ひとまず害はありません」
それから、こそりと耳打ちする。
「あの人は、私が公爵令嬢と入れ替わった平民だということも知っています」
「!?」
レオンは驚きの目を向けたが、当の本人は地面に横たわるモンドヴォールの騎士たちを眺めながら、呑気に跳ねている。
「白昼堂々、こんな見晴らしのいい場所で襲われたってのかい? 君らは」
悔しげに顔をしかめる従者たちを見て、さすがに口を挟まずにはいられなかった。
「やめなさいよ、マルクス! いくら屈強な武人でも、魔術には太刀打ちできないでしょう」
「それにしても、彼らは使いものにならないね。敵陣へ乗り込む前に、戦力がほしかったんだけど」
「術をかけた本人が、なにを言ってるんだか」
「ソ……ステファニー! 彼の名を教えてくれないか?」
なぜか慌てた様子で、レオンは尋ねてくる。
「彼はマルクス・マーケル。魔塔に所属する魔導士です」
「マーケル……ではやはり、あなた様は」
「なんだか見覚えがあると思ったら、ジラール家の跡継ぎじゃないか」
マルクスは腕を組んだまま、つかつかとこちらへ歩み寄ってくる。
「はっ。ラウル・ジラールが長子、レオンにございます。近衛隊での階級は大尉になります」
ソフィアはかしこまった様子のレオンを、不思議な気持ちで見守っていた。
『魔塔の魔導士』が地位の高い職業とは知っていたものの、次期子爵の近衛兵が、ここまで丁寧に応対するような相手だとは思っていなかったからだ。
もしかしてマルクスは、相当偉い人なのかしら?
「ちょうどいいや。なかなか強そうだし、君も一緒にきてよ」
「は……」
返答の途中で、レオンの体が忽然と消えてしまう。
さらに、それだけではない。ようやく見つかったはずの“公爵令嬢”も、風変わりな魔導士までもが、同時に姿をくらませてしまった。
「どこへ行った、レオン!?」
仲間たちが声を張り上げても、返事は返ってこない。
「ひとまず、報告を上げよう。モンドヴォール公爵令嬢の無事を、一度は確認できたのだから」
「おそらく令嬢は、あの二人と一緒だろう。レオンと、“魔塔の主”マルクス・マーケル様と」
長らくお待たせいたしました。
X等でお伝えしていましたが、新型コロナウイルス(covid-19)感染とその後遺症のため、休みを取っておりました。
38度の熱が出ている状態で、家族の看病をしていたのがよくなかったようです。尾を引いていた頭痛も、ようやく治まってきたところです。
みなさまも、お体にはお気をつけくださいませ!




