04 真の悪女
なぜ、彼は『汚名をそそぐ』などと言い残したのか。
ジラール子爵家は代々王族に仕える名家であり、私と行動を共にしていたのは、あくまで“王太子の婚約者”という立場があってのことだった。
あのように言ってくれたのは、彼自身が“ステファニー”の昔馴染みだからなのか。
それとも、やはり彼も“稀代の悪女”に惑わされた一人だったのだろうか。
足元に影がさす。はっと顔を上げると、目の前に処刑人が立ちはだかっていた。
遠目に見た印象よりも、随分と小柄なようだ。背はこちらよりほんの少し高いぐらいで、フードを目深に被っているため、その表情をうかがうことはできない。
「なにか、残しておきたい言葉はありますか」
感情のこもらない、くぐもった低い声には聞き覚えがあるような気もしたが、それが誰のものかは思い出せそうにない。
今更、と小さくこぼしたその時。
とある人物の姿が、目に飛び込んだ。
処刑台のふもと近くに、彼女は立っていた。
被り物で頭を覆っているが、そこからはみ出した柔らかい墨色の髪や、手入れの施された美しい指先、そして厚みのある特徴的な唇が、間違いないと私に告げている。
一点を睨みつける“悪女”の姿に、処刑人は首を傾げ、そちらへ体を向けた。
「私、……私は何もしていません!」
咄嗟に口をついた悲鳴に、民衆たちは一拍の間ののち、笑い声を上げた。
「何言ってんだ!?」
「今更命が惜しくなったのか! とっくに裁判は終わってるんだ!」
民衆は声を揃え、殺せ、殺せと訴える。
兵士たちも痺れを切らしたのか、こちらに駆け寄り、三人がかりで刃のたもとへ罪人を押し倒した。
「絶対に、許さないから!」
無情にもその声は、首を処刑器具に固定する際の、ガチャリという金属音にかき消されてしまう。
もう、体を起こすことすらできない。
悔しさのあまり噛みしめた下唇から、たらりと血が溢れ、首桶の中に散った。
ああ、これが最期の景色なのね。
点々と弾けた血の跡は、まるで赤い小花のようで、美しいとすら思えた。
ぼんやり眺めていると、白い指がすい、と眼前に割って入る。細長いそれは、桶底に咲いた赤の雫を念入りに拭いとると、突如、私の両頬に掴み掛かった。
「僕も、絶対に許しません……ステファニー嬢のことを」
不自然な体勢でこちらを覗き込む、ツルつきの眼鏡姿を見て思い出す。
彼は処刑人などではない。頬は痩せこけ、目は落ち窪んでいるが、そばかすだらけの顔には見覚えがある。
魔塔で暮らす、“稀代の悪女”の若き信奉者、マルクス・マーケルだ。
おおかた、彼女に裏切られたと知り、恨みを募らせていたのだろう。まさか、あの規律に厳しい塔を抜け出してまで、自分の手で“悪女”を殺そうとするとは。
あるいは、己の手で全てを終わらせたいという、彼なりの愛情表現なのかもしれない。
だが、最後までこれだけは理解できなかった。
そこまで心を奪われておきながら、なぜ彼らは“私”のことを、“稀代の悪女”だと呼び続けるのか。
『迂愚な方々ですから、こんなにも簡単に騙されてしまうのよ』
〈あいつ〉の甲高い声が聞こえた気がした。
民に紛れ、斬首を心の底から楽しんでいる、ステファニー・ドゥ・ラ・モンドヴォール──真の悪女の声が。
05から、主人公目線の過去回想編となります。
更新の順番が前後しますが、次回は00(プロローグ)の掲載を予定しています。