48 流れる星の跡①
ソフィアが目を開くと、あたり一面には役目を終えたはずの、わくら葉が広がっていた。
この場所には見覚えがある。もしかすると、また“予知夢”とやらを見てしまっているのかもしれない。
ソフィアを取り囲む森の木々は、まばゆいほどの新緑をつけている。
『これが夢なら、早く目覚めないと!』
慌てふためくソフィアをあざ笑うかのように、どこからかあの大蛇が現れた。
蛇は鋭い牙をのぞかせつつ、細く息を吐き、こちらを警戒している。対抗しようにも、武器になりそうなものは何一つ落ちていない。
『だからって、なにもせずに終わるなんて、そんなのは嫌!』
ソフィアは手近な枝葉を折り、両手で構えた。
相手はそれを挑発ととらえたのだろう。尾を地面に叩きつけ、こちらを睨んでくる。
『怖いわよ!? 怖いけど、もう諦めないって決めたんだから!』
大きく腕を振り上げた、ちょうどその時。けたたましい鳴き声が辺りに反響した。
さらに頭上から羽音が届き、慌ててその場にかがみ込む。
『きゃあ!?』
ソフィアの声をかき消すように、ギェッという悲鳴が重なった。
おそるおそる顔を上げると、純白の羽が目に映る。どうやら目の前に降り立ったのは、大きな鳥のようだ。
この子は鷹かしら? いいえ、鷲のようね。
ソフィアは座り込んだまま、突如現れた狩人の動向を見守る。
蛇は鋭い爪に貫かれているうえに、絶え間なく攻撃を受けていた。
初めこそ、闘う素振りを見せていたものの、大蛇の動きは次第に鈍くなり、最期は鳥足に全身を絡ませながら、ぱたりと動きを止めてしまう。
生き絶えた獲物には興味がないのか、鷲は黒蛇を足蹴にし、こちらを振り返った。
対面した生物の美しさに、ソフィアは恐怖心も忘れ、目を奪われる。
驚くほどに真っ白な体躯には、深紅の瞳が輝いていた。ここまで混じり気のない、雪のような羽色を見るのは初めてで、ほれぼれしてしまう。それにあの眼なんて、まるでガーネットのようだわ!
その鳥は、ソフィアには近づこうともせずに、ゆっくり翼を広げた。
『あ、ちょっと待って!』
けれども、白鷲は制止を振り切り、素早く飛び立ってしまう。
「待ってってば!」
勢いよく身を起こすと、そこはもう、まるきり別の場所だった。どうやら、悪夢からは解放されたらしい。
先ほどまで一緒に行動していたはずの、騎士たちや侍女の姿は見当たらない。
「ひとまずは、命があることに感謝ね」
ソフィアは音を立てぬように、部屋の様子をうかがう。幸いにも体は拘束されていないため、自由に動くことができた。
この建物は、おそらく丸太で作られた小屋だろう。こじんまりとした空間には、お情け程度にテーブルと椅子が置かれている。
窓には板が貼りつけてあり、外の様子をうかがうことはできない。もちろん、扉にはしっかりと、鍵がかけられている。
犯人たちは襲撃の際、はっきりとステファニーの名を呼んでいた。つまりこれは、公爵令嬢を狙った、誘拐事件といったところになるのだろう。
とはいえ彼らは、さらう相手を盛大に間違えているのだが。
しばらく聞き耳を立ててみたが、どうやら見張りがいる気配は感じられない。ソフィアは思い切って、脱出を企てることにした。
「ドアを蹴破るのと、窓を壊すの、どちらがいいかしら」
扉は手で押したところで、びくともしない。一方、窓枠にはめられた板は、思いのほか薄手のようだ。
「……これで殴るしかないわね」
「ははは! ずいぶんと思い切りがいいんだね!」
その大きな笑い声は、ソフィアが椅子に手をかけた時に、耳元で響いたのだった。
「ああ、ごめんごめん。驚かせるつもりはなかったんだけど」
慌てて身を翻したソフィアは、相手の顔を見て、言葉を失う。
癖のある小麦色の髪に、まんまるの眼鏡姿。頬に散在するそばかすが、彼の正体を教えてくれていた。
なぜここに、マルクス・マーケルがいるの!?
前世で私の命を奪った若き魔導士は、変わらずゆるい笑みをたたえている。
声をかけられるまで、マルクスが近づいてきたことには全く気がつかなかった。
そもそも、扉が開かれた形跡すらないのに、彼はどのようにして、部屋の中に入り込んだのか。もしかすると、魔導士の術とやらを使えば、密室に立ち入ることなど造作もないのかしら。
なんにせよ、逃げ場のない状態で、この男と二人きりでいるのは、あまりに危険だろう。ソフィアは静かに後ずさり、マルクスと距離をとった。
「あなたが、ここへ私を連れてきたのですか。身代金目的なら、願いは叶いませんよ」
相手を刺激しないよう、慎重に話しかける。仮に、公爵家へ脅迫状を送りつけたとしても、彼らの願う対価は得られるはずもない。私は偽物なのだから。
「いや、お金なんていらないよ。僕はただ、君のことが知りたいだけだから」
マルクスはそう告げたかと思うと、笑顔を貼りつけたまま、上半身をずいとソフィアに近づける。
「単刀直入に聞くけど、君、モンドヴォールのお嬢さんじゃないよね?」
思いがけない問いかけに、ソフィアはめまいを覚える。薄く開いたまぶたからは、刺すような視線がのぞいている気がした。
「失礼ですね!? なにを根拠に、そのようなことをおっしゃるのですか」
冷静に振る舞いたいのに、どうしても声がうわずってしまう。あの処刑の日に、彼が発した怨嗟の言葉が、頭の中で鳴り響いていた。
青年は小首をかしげ、それから背を向けたかと思うと、小屋の中をふらふら歩き始める。
「色々と理由はあるけれど、説明するのが難しいな。まあ、百聞は一見にしかずと言うし」
彼は話を続けながら、もぞもぞとローブの裾を捲し上げた。
「きゃあ! なんで脱ごうとしてるの!?」
「いててて! そんなに暴れないでよ! これを見てほしいだけだから」
「え?」
ソフィアは青年に向けた拳を止め、指の差すほうを眺める。
わずかにのぞいた横腹には、小さな傷跡が見てとれた。
「それがなんだって言うのよ?」
「よく見てよ。君はこの跡に、見覚えがあるはずだ。違うかな?」
警戒しつつも青年のもとへと近づいていき、そこでようやく気がついた。彼のおなかには、自然にできたとは思えないほどに、はっきりとした星型のあざが残っている。
ソフィアはそっと、うなじに手を当てた。見比べなくとも分かる。彼のそれは、いつからか自分に刻まれていた跡と、全く同じものだった。




