41 予想外の展開①
見合いの日から、はや数日。下町に戻ったソフィアは、母親とともに家事に励んでいる。
幸いなことに、母の病状はそこまで悪化しておらず、十分な休養をとれば大丈夫だというのが医師の見解だった。家族みんなで相談しあい、内職については一旦休むように話を持っていけたのも、大きな成果かもしれない。
見合い相手の代行業で、まとまったお金も手に入り、しばらくは落ち着いた暮らしを享受できるとソフィアは考えていた。
けれども、その期待はあっけなく裏切られてしまう。
とある朝、ソフィアは一人で青空市場を訪れていた。この季節の朝市は、色彩豊かな食材が並んでいて、店先を見て回るだけでも楽しい。
青果店には、みずみずしいイチゴが所狭しと並んでいる。甘い香りを胸いっぱいに吸い込みながら、幸せな気持ちで商品を待っていたソフィアは、店主の手に握られた包装紙代わりの新聞を目にし、咄嗟に叫んでしまう。
「ちょっとそれ、見せてくれない!?」
混乱する男性から紙束を奪い取り、一面記事をまじまじと見つめる。そこには『王太子の婚約者が内定か?』という見出しが踊っていた。さらに、『お相手はモンドヴォール公爵令嬢』とも書かれている。
おかしいわ! 王太子にはあんなに失礼なことをしたのに、どうしてフリオン侯爵令嬢ではなく、ステファニーの名前が載っているのかしら。
それに記憶が正しければ、婚約に関する報せが広まるのは、まだ先の話だったはずよ。
考えがまとまらないまま自宅へ戻ったソフィアは、戸口で待ち構える人物を見て、記事の内容が真実であることを悟った。
「もうお会いすることはないと、そう思っておりました」
「ソフィア嬢が、嫌味の一つでも言いたくなる気持ちは分かります」
ジラールは赤茶の髪をくしゃりとかきあげ、頭を下げる。
「とにかく、家に入ってください! ここは目立ちすぎます」
ソフィアは強引に手を引き、彼を自宅へと誘う。ちょうどみんなが出かけている時間帯でよかったわ!
「卿、新聞記事を読みました。ステファニー様が、王太子様の婚約者に内定されたのですよね?」
「もうご存じでしたか」
「なぜ、ステファニー様が選ばれたのです? てっきりクロエ様が婚約者になると思っていたのですが」
じりじりと迫るソフィアから距離をとり、ジラールはしどろもどろに答えた。
「わ、我々も同じように考えておりました。ですが、ことの次第を聞いた王后様が、モンドヴォール家の一人娘をいたく気に入り、推挙なさったとか」
「でも、いくら王后様から薦められたところで、王太子様はご不満でしょうし、婚約をお受けになるとは思えないのですが」
「それがルイス様も、ソフィア嬢のことが気になっているご様子で」
「なんで!?」
ソフィアが反射的に返した言葉を受け、ジラールは説明を付け加える。
「もちろん、ルイス様はあなたのことを『ステファニー』だと信じきっていますよ! おそらくですが、王太子という地位に惑わされることなく、自分に物申したモンドヴォール公爵令嬢に、なにか思うところがあったのかと」
「それで、ジラール卿はなぜ、うちにいらしたのですか。おおかた、婚約話と関係があるのでしょう?」
「その通りです。ステファニーは婚約者に指名されてからというものの、部屋に閉じこもっていて。明日は王城への召集がかかっているというのに、出てくる気配すらないようです。つきましては、大変申し訳ないのですが、ソフィア嬢に」
「身代わりは一度きりだと、はっきりお伝えしましたよね!?」
ソフィアが強くにらみつけると、彼は怯むことなく、こちらをまっすぐに見つめ返した。
「ソフィア嬢のお気持ちは理解しているつもりです。ただ、お許しいただけるのであれば、この件に関して、ぜひあなたの意見をうかがいたいと思いまして」
「え? もう一度、ステファニー様の代わりになってほしいとのお申し出ではないのですか?」
ぽかんとするソフィアへ、ジラールは慌てて答える。
「まさか。そのようなことをお願いできるはずもございません! 私がここへきたのは、なぜあいつが引きこもっているのか、ソフィア嬢であれば、なにか気がつく点があるのではと考えたからです」
「すみません、勘違いしてしまって」
身をすくめるソフィアに向かって、ジラールはそっと首を振り、それから丁寧な言葉で続けた。
「そう思われるのも当然です。無関係のあなたを巻き込んでしまったのは、他ならぬ私なのですから。ソフィア嬢は聡明で、この状況を知る数少ない一人。さらにステファニーとは年も近く、同性であられる。ですから公爵様や私よりも、あいつに共感できる点があるのではないでしょうか」
そう尋ねられたところで、ステファニーの考えることなど、想像すらできない。
一般的な男女関係の問題だとしても、経験のないソフィアには、参考になるようなことなど言えそうにもなかった。
「ええと。内定ということは、まだ辞退もできるのですか?」
「どうだろう。しかし、ステファニーが望まないのであれば、公爵様は申し出を断るつもりでいらっしゃる。問題は、ステファニーがこの話をどう捉えているのか、私たちには話そうともしないことでしょうね」
「では、私が確認してまいります」
「……ソフィア嬢、今なんと?」
ソフィアがきっぱりと言い切った、思いがけない返答に、ジラールは目を瞬かせる。
「婚約を断る意思があるのかどうか、私には判断しかねます。ですから、真実についてはステファニー様から直接お聞きしましょう。モンドヴォール邸へ、私を連れて行ってください!」
彼女と会わずにすむのなら、そうしたいというのが本音だ。
けれども、婚約者を疎ましく感じていたであろうステファニーが、今世で再び王太子妃候補となれば、辛い過去が繰り返される気がしてならない。
気迫に満ちた表情を見て、こちらが本気であることがジラールにも伝わったようだ。彼は意を決し、ソフィアに手を差し伸べた。
そして、話題の中心人物であるステファニーはというと、モンドヴォール邸の自室に籠城し、使用人たちからの声がけにも耳を貸さずにいる。
「お願いです、ステファニーお嬢様。どうか私めに、お顔を見せてくださいまし!」
「絶対に嫌! あなたもお父さまと同じで、私を王城まで引っぱっていくつもりなのでしょう!?」
「ですから、そのようなことはございませんと、何度も申し上げておりますのに」
頑なな態度の少女に、熟年の女中が疲弊しきっているところへ、ばたばたと駆け寄る者が現れた。
「マルゴー様! ジラール子爵令息がステファニー様にお会いしたいと、邸宅へいらしたようでして」
「なんですって?」
下男が息を整える前に、彼の背後からはっきりとした声が届く。
「突然の訪問をお許しください。急を要することだと思ったものですから」
「あら、あらあら! 本当にレオン坊ちゃまではないですか! ずいぶんと大きくなられて!」
「子ども扱いはやめてくれよ、マルゴー。もうとっくに成人しているんだから」
ジラールは、少年のような悪戯っぽい笑みを浮かべるとともに、優しく訴えた。
「あらやだ、私ってば! 大変失礼いたしました。ところで、レオン坊ちゃまがいらっしゃったのは、もしや……?」
「ああ。ステファニーのことは公爵様から聞いている。しばらくの間、二人きりにしてもらえないだろうか?」
「もちろんですとも! 坊ちゃまであれば、ステファニーお嬢様も素直にお話ししてくださるかもしれません」
そうして彼女は、使用人たちを引き連れ、その場を後にした。ジラールの陰に立つ、顔を隠した小柄な人物を訝しみながら。
2024年1月1日に発生しました令和6年能登半島地震に際し、被災された皆様に心よりお見舞いを申し上げます。
被災地域の一日も早い復旧をお祈りいたします。
 




