40 嫌いにさせてみせましょう②
ほどなくして、王族専用の馬車が邸宅の前に到着する。そこから颯爽と降り立ったのは、ひとつくくりの髪が肩のあたりまでしか伸びていない、王太子その人であった。
あのころよりも、幼さが顔に残っていて愛くるしい。
「王国の若き太陽にご挨拶申し上げます。ようこそモンドウォール邸へお越しくださいました、ルイス王太子殿下」
「久しいな、公爵よ。健勝か?」
「お心遣いありがとうございます。殿下のご活躍ぶりはかねてより聞き及んでおります。お元気そうでなによりです」
「それに、見合いの場でお前に出迎えられるとはな、レオン」
「今朝は登城できず、大変申し訳ありませんでした。どうしても外せない用事がありまして」
「いい、いい。こんなのは大した用でもないのだから」
その無遠慮な言動に、屋敷の使用人たちは口を閉ざしたまま、当惑している。
ソフィアは場の空気を変えるべく、王太子の眼前へすいと躍り出た。
「お久しうございます、王太子殿下。ステファニー・ドゥ・ラ・モンドヴォールでございます。あなた様をお招きできて喜ばしく思います」
けれども彼は、こちらに一瞥を投げただけで、改めて公爵に語りかける。
「こんなところで長話をするのもなんだ。中へ案内してもらえないか」
「どうぞこちらへ。中庭に席を設けております」
「庭だと?」
王太子は不満を覚えたのか、あからさまに眉をひそめた。
「では、顔を突き合わせて堅苦しい話をするのはよそう。公爵、そなたはこなくともよい。ステファニー、庭園を案内してくれ」
屋敷の主人を遠ざけるとは、どういう意図があってのことか。ソフィアは悩みつつも、王太子を中庭へと導いた。
「お前もこなくてよかったのだぞ、レオン」
王太子は付き従うジラールへ、ぶっきらぼうに告げる。
「そういうわけにはいきません。万が一の事態に備え、誰か一人はおそばにつけてください」
「ではなんだ。ステファニーが、私に危害を加えるとでも言いたいのか?」
「また、そのように悪いご冗談を……」
けらけらと言い放つ主君を嗜めつつ、彼はソフィアへ申し訳なげな瞳を向けた。
「王太子殿下。お食事をご用意させていただいておりますので、こちらにお掛けくださいませ」
「いや、今はいい。少しばかり歩こうではないか」
「……殿下!?」
完璧なタイミングでテーブルのセッティングを済ませていた使用人たちは、離れていく王太子らの姿を見て呆気に取られる。
彼はずんずんと歩を進め、小さな東屋の前で立ち止まった。
「美しいな。支柱に白薔薇が絡んでいるのか」
それから花弁に手を添え、ふっと表情を和らげる。
「薔薇がお好きなのですね」
ソフィアが慎重に語りかけると、彼は目を丸くして呟く。
「それは、そなたのほうであろう」
「えっ?」
「ステファニー。薔薇を見て、思い出すことはないか?」
咄嗟にジラールへ助け舟を求めたが、彼も心当たりがないようで、困った様子で首を振る。
「大変申し訳ありません、殿下」
「いや、なんでもない。私の勘違いだ」
王太子はばつが悪そうに顔を背け、難しい表情のまま黙りこくってしまう。
そして、こちらへ向き直った時には、あの優しげな面持ちは消え去っていた。
「そなた、何が望みだ」
鋭い眼差しに、ソフィアはヒュッと息を呑む。叱責を受けたわけでもないのに、体が強張ってしまう。
「正直に言え。懸想しているわけではないのなら、どういった魂胆がある」
彼がこちらの肩を小突いたところで、堪えきれなくなったジラールが間に割って入った。
「おやめください、ルイス様」
「男女の関係に口出しするなど、野暮だぞ。レオン」
「ですが、手荒な真似は!」
声を荒げた家臣に、王太子は乾いた笑いを返す。
「いいか。この国は、いずれすべて俺のものになるんだ。“モノ”をどう扱おうと、それは俺の勝手だろう」
「それは違います! 臣民あっての王室。多くの献身によって、快適な暮らしを享受していることを、決して忘れてはなりません」
「なんだ、お前もずいぶんと偉そうな口をきくようになったのだな? 近衛の分際で」
その時、ジラールの目が哀しげに揺らめいたのを、ソフィアは見逃さなかった。
聡明で、この国を変えると期待されていた王太子の正体が、これほどまでに身勝手なものだったなんて。
憧れにも似た淡い恋心に、目が眩んでいたのかもしれない。わずかに残っていた青い期待が、心の中で砕けるのを感じた。
ソフィアは王太子の前へ歩み寄り、にっこり微笑む。
「さすがです。鋭い視点は、いずれ国を率いられる殿下にとって、必要な素養ですものね」
「なんだ、いきなり。私をおだてても、誤魔化されはしないぞ」
「しかし、排他的な思想をお持ちでいらっしゃるのは、いかがなものでしょうか。己の考えに固執し、他の意見を受け入れることができなければ、この国は衰退の一途をたどりますよ」
「……そなた、今なんと申した!?」
掴みかからんばかりの勢いで、面前の青年は声を荒げたが、もはや恐怖心はなかった。
それに、生きたまま首を落とされるほどに恐ろしいことが、ここで起こるはずもないのだから。
「耳の痛い提言であろうと、それが苦言かそうでないかを見極められなければ、忠臣の心も離れていきます。少なくとも、先ほどの“レオン”の発言は、殿下のためを思って発せられた言葉に聞こえました」
前触れもなく初めて名を呼ばれたジラールは、一拍置いてから頬を紅潮させた。
王太子はわなわなと身を震わせ、掠れた声を絞り出す。
「一貴族の、何事もなせない女のくせに……!」
「殿下。女性蔑視をなさるのも、いかがなものでしょうか。東方では、子を産む母、ひいては女性こそが頂点に君臨すると考えられている国もございます。もちろん、私ごときは殿下の足元にも及びません。けれども、殿下を身篭られた王后様はどうでしょうか? 同じようなお言葉を、お母様にも向けられているのですか?」
矢継ぎ早の演説に、王太子は言葉を詰まらせる。
ソフィアは大きく息を吸い込み、それからゆっくりと口を開いた。
「一国民が出過ぎたことを申しました。ですが、甘言ばかりを投げかける者には騙されぬようにと、心より願っております」
見合い相手の静やかな辞儀を見下ろしながら、王太子は大きく叫ぶ。
「これ以上そなたと話すことはない。レオン、城へ戻るぞ!」
「しかし」
「文句があるのなら、お前はここに残ればいい!」
躊躇うジラールに舌打ちをし、彼は私たちを残して、城へと帰っていった。
「すみません、言いすぎました。あとで咎められたりするのでしょうか……」
「あれぐらいは問題ないでしょう。むしろ、聞いていてすっきりしたくらいです」
事情を聞いた公爵も、隣で繰り返しうなずく。
「そうだな。まさか公爵令嬢を相手に、そこまで不遜な態度をとるとは。陛下もずいぶんと、子どもには手を焼いておられるのだろう」
「なにもなければいいのですが」
不安げなソフィアに、公爵は朗らかな笑みを向ける。
「あの様子では、おそらく次はない。ステファニーには、茶会が流れたと伝えておこう。本当に助かった、ありがとう」
「お力になることができたのであれば、幸いです」
「君の身になにかが起こったときは、いつでも頼ってくれ。モンドヴォール家が、必ず君を助ける」
ソフィアは公爵と固い握手を交わし、ケビンが王都から戻ってくる前に、ジラール邸へと向かったのだった。




