03 秘密の誓い
ようやく姿を現した“稀代の悪女”に、民衆たちは大きな歓声をあげる。
「うおお! こりゃあ噂どおり、良い身体つきのべっぴんさんだなあ!」
「馬鹿言うんじゃないよ、あれは薄汚い情婦だ。早く首を刎ねちまいな!」
人々は思い思いに叫び、荒く腕を振り上げている。その顔に、狂ったような笑みをたたえながら。
真相を知らずに煽る民のことは、愚かだと思うものの、どうにも責める気持ちにはなれなかった。
みな、娯楽に飢えているのだ。
なかなか改善しない貧しい暮らしに加え、次々と課される重い税。次代の王に期待が高まっていた分、その婚約者の醜聞は、民衆の不満を高めた。
一貴族の処刑に、これほど大掛かりな場を設けたのは、王政に対する不満の捌け口とする目的もあったに違いない。
ただでさえ、公爵令嬢という立場では、税金を浪費しているという先入観がついて回っていた。
そこに加えて、“偉大なる王家に泥を塗ろうとしたあばずれ女”という話が持ち上がったのだ。ステファニー・ドゥ・ラ・モンドヴォールを悪女たらしめるには、それだけで十分だった。
いつのまにか、王太子は貴賓席へと移動していたようだ。
“聖女様”は、どこか離れたところで休んでいるのだろう。彼は広いソファー席に一人で腰掛け、不機嫌そうに足を組んでいる。
さらにもう一つ、王太子のそばに設けられた簡素な木製の椅子も、空席となっていた。
それが誰のものであるかは、聞くまでもない。モンドヴォール公爵──つまり、ステファニーの父親が、本来はあそこにいるはずだった。
大罪人の血縁者でありながらも、モンドヴォール家への処罰は、領地の一部没収と公爵のわずかな謹慎処分で済んだと聞かされている。
刑が減ぜられたのは、ひとえに彼が戦地であげた過去の華々しい功績によるものだろう。さすがに王室も、英雄にまでは手を出せなかったということか。
どうにか家門を守り切った当主は、娘が捕えられてから今日まで、完全なる沈黙を貫いた。実に幾月ものあいだ、面会を申し出ることすらなかった。
そう、“悪女”は父親にさえも見捨てられたのだ。
覚悟はしていたつもりだったが、こうも寂しげな腰掛けを見せつけられると、胸が苦しくなる。
その一方で、安堵もしていた。
できることなら、先に子が亡くなる姿など、親には見せたくない。そのうえ、私は首を切り落とされる運命なのだから。
そういった意味では、この場に家族がいない私は、恵まれていると言えるのかもしれない。
手を休めていた刑場の者たちも、王太子が腰を下ろしたことを確認し、刑の準備を再開させたようだ。
台の上に無言で立ち尽くしていた、手足の細長い人物は、漆黒のローブを引きずりながら、処刑器具の元へと進み始める。
あの奇妙な男が、執行人なのだろう。
足音も立てず、ぬるりぬるりと動いていく。
その姿はあまりに浮世離れしていて、夜を纏った骸のように思えた。
彼はそっと刃に触れると、そこへ頬ずりをする。その不自然な光景に、観客たちも思わず息を呑む。
このような職を生業にしている者は、やはり常人離れしているのかもしれない。ぶつぶつと何かを呟きながら、鋼の上に指を滑らせる。まるで、処刑器具と対話でもしているかのようだ。
きっと民衆になど、興味のかけらもないに違いない。だがこの男であれば、自分を一思いに殺めてくれる気がした。
意を決して姿勢を正すと、ジラールが手首を軽く掴み、やんわりと私の歩みを阻む。
「卿? なにをされるのですか」
見上げた彼の瞳は、なぜだか不安げに揺らめいている。
「……最後に一言、よろしいですか」
返事をする代わりに、そっと口角を上げると、ジラールは大きく目を見開いた。そしてゆっくり眉を下げ、苦しげに呟く。
「力のない私を、どうかお許しください。あなたの汚名は必ず私がそそぎます」
こちらに触れていた指先が、ほんの少しだけ震えていることに、その時初めて気がついた。
言葉の真意を問いただす前に、ジラールは私から離れ、階下へと走り去っていった。