33 花祭りでの再会
ソフィアの育った下町は、比較的王都に近い集落とはいえ、こぢんまりとした田舎町だ。
名だたる都市は祝賀の際、競うように華々しい装飾を街中に施すのに対し、ここでは普段よりいくらか豪華な料理を準備して、それをご近所同士が持ち寄る程度である。
ただし、花祭りは例外だった。
農業が日々の生活と密接に結びついてきた先人たちにとって、豊穣の祈願や収穫感謝を神に伝えることはとても重要で、農耕儀礼は町をあげて祝うのがならわしとなっていた。
時を経て、商業を営む者が多くなった今でも、その頃の伝統は守られ続けている。暖季の始まりに合わせ、作物の豊作を願う花祭りは、その名のとおり、溢れんばかりの花々で町が彩られ、人々は新しい春の訪れを祝ってきた。
至るところに飾られた春花は、町中に甘い香りを漂わせている。時折そこに、肉の焼ける香ばしい匂いが混ざり、客の食欲を刺激していた。
普段は商店を営んでいる隣人たちは、出店で飴菓子やクッキーを売り、見知った子どもたちも、遊戯用の弓矢で的当てに興じている。
色とりどりの花飾りを楽しげに眺めながら、ケビンは店を順番にのぞいていく。
「あらケビン! 今日はエリアスと二人きりなのね」
売り子の女性に声をかけられ、ケビンはにんまりと微笑んだ。
「本当に兄さんだと思う? よーく顔を見てごらんよ」
「ええー?」
彼女は帽子に隠れた顔を覗き込み、目を丸くさせる。
それもそのはず。自宅で母親の看病をしている兄が、祭りを訪れることなど、できるはずもないのだから。
「まさか、ソフィアなの!?」
「ふふっ! 大せーいかーい!!」
ソフィアが答えるよりも前に、弟が自慢げに声を張った。
驚かれるのも無理はない。町娘はみな、春らしい華やかな装いに身を包み、一年に一度の祭りを楽しんでいる。
にもかかわらず、今日のソフィアはというと、カーキのトラウザーズに綿のシャツを押し込み、長い髪も帽子の中へ隠しているのだから、遠目からだと男性にしか見えないだろう。
「これ、エリアスの服よね?」
「そう。身長がほとんど同じだから、試しに袖を通してみたら、本当に兄さんみたいになっちゃって。自分でもびっくりしたのよ」
一緒に店を守っていた彼女の父親も、正体がソフィアだとは思っていなかったようで、大口を開けて笑っている。
「本当にエリアスそっくりだな。すっかり騙されたよ! 楽しませてもらったし、よかったらこれ、持ってってくれ」
ケビンは熱々のローストアーモンドを差し出され、手を叩いて喜んだ。
「姉さん! その変装、大成功だね! 来年も同じことする!?」
はしゃぐ弟を追いかけつつ、ソフィアは苦笑いを浮かべる。
おしゃれができないのは残念だが、ここまでみんなを騙せているのだから、男装は意外と有効かもしれない。まあ、さらしも巻いていないのに、誰一人ソフィアが女だと気づかない点には、複雑な気持ちもなくはないが。
そんなことを考えながら、アーモンドをかじっていると、ケビンが足を止めた。
「姉さん。あのリンゴのチョコ、母さんに買って帰ろうと思うんだ。お小遣いを使ってもいい?」
目線の先には、小さなリンゴを丸ごとチョコレート漬けにした、棒付きのお菓子が並んでいる。
「少し高いけど、いいの?」
「うん。僕、お祭りが楽しかったってことを、母さんにも教えてあげたいからさ」
ケビンは手持ちの小銭を数えながら、はっきりと言い切った。
「優しいのね。じゃあ姉さんのお小遣いも使って、兄さんにもお土産を買って帰りましょう」
ソフィアに頭を撫でられ、ケビンは得意げに体を伸ばす。
「ねえねえ、兄さんにはソーセージを買って帰ろう! 酢漬けのキャベツがついてるやつ。急いで買ってくるから、姉さんはチョコのお店に並んでおいてね!」
同意を得るよりも前に、弟はその場から走り出していた。
ソフィアは行列の最後尾に向かって、ゆっくり歩き始める。
熱いソーセージを買えば、ケビンはすぐ帰宅を促すだろう。どうやら今年は、ステファニーに姿を見られることなく、自宅へ帰ることができそうだ。
すっかり安心しきっていたソフィアは、自分を見つめている男たちの存在に気づくことができなかった。
列に加わるよりも前に、ソフィアは後方から、右の手を強く引かれる。
「痛っ!?」
「失礼ですが、少々ご同行願えますか」
ソフィアが振り返ると、黒のフードをかぶった人物が三人、こちらを取り囲んでいた。
一瞬で血の気が引く。まさか、ステファニーの手の者だろうか。
それにしても、過去にこんな人たちと出会ったことはなかったのに!
振り払おうとするが、反対にギリギリと手首を締められてしまう。
「抵抗はおやめください。私たちは“流星の跡”についてお話を伺いたいだけです」
“流星の跡”とは、なんのことだろう。心当たりすらないが、この人たちから逃げるべきだと、本能が告げている。
ソフィアは左手に握りしめていたアーモンドの袋を、その男めがけて投げつけた。
「うわ!?」
相手の力はわずかに弱まったが、すぐさま別の人物に、腕を捕えられてしまう。
「こいつ、ふざけやがって!」
身体中にアーモンドを貼りつけた男は、顔を赤くしながら、こちらへ殴りかかってきた。
ソフィアが覚悟を決め、ぎゅっと歯を食いしばったその時、あたりに低い声が響き渡った。
「なんの騒ぎだ!」
間に割って入った男性は、黒子たちに向き直ると、短く敬礼をしてから名乗る。
「私はラウル・ジラールが長子、レオンだ。お前たちは、魔塔に所属する魔導士だな」
名だたる子爵家の名を聞き、男たちは身をこわばらせる。
そしてソフィアも、いきなり現れたジラールを見て、すっかり腰を抜かしていた。
「少年。彼らは知り合いか?」
どうやら彼は、まだこちらが女だということにも気づいていないようだ。
首を左右に激しく振るソフィアへ、ジラールはこそりと囁きかけてくる。
「私の助けが必要か」
慌ててうなずくと、彼はキャップ越しに頭をがしがしと撫でてきた。
「分かった。私の後ろから離れないでくれ」
そうして彼は、腰に下げた剣に手を添えながら、黒子たちに声を投げた。
「互いに面識はないようだが、どういった了見で彼を連れ出すつもりだ。魔塔の管轄ということであれば、国王からの命であるな?」
その問いかけに、彼らはしどろもどろになりながら答える。
「そうではございません。この件に関しては、王様は一切関与されておらず」
「では、誰の命令だ。魔導士長か?」
「ま、まさか! そんなはずありません!」
「つまり、権限の委譲も得ることなく、国民を連行すると? それは越権行為ではないのか」
そのあとも魔導士たちは反論を試みたが、相手を説き伏せられないことが分かると、しぶしぶその場を去っていった。
「あの、ありがとうございます」
尻もちをついたままお辞儀をしたソフィアに、ジラールは右手を伸ばす。
「立てそうか?」
「すみません、少し力が抜けちゃっただけですから。……わわ!」
勢いよく手を引かれたがために、そのまま彼の腕の中へ飛び込んでしまう。そのはずみで、頭の上からは帽子が落ちてしまった。
「あっ」
急いで帽子を拾おうとしたが、ジラールはこちらの肩を掴み、それを阻んだ。
「ステファニー!? なんでそんな格好を」
彼の険しい表情に、思わずたじろいでしまう。ソフィアは逃げ腰になりながら、必死に口を開いた。
「ひっ人違いです、私はソフィアです!」
「ソフィア? 君は、ステファニーじゃないのか?」
ジラールは当惑しながらも、こちらを真剣な眼差しで見つめてくる。
「あの。とりあえず、帽子をかぶってもいいですか?」
「ああ、もちろん。……それは男性の服だろう。どうして君は」
ジラールの問いかけに重なるように、「あー!」という叫びが飛び込んできた。
声の主へ顔を向けると、湯気の立つソーセージを手にしたケビンが、呆然と立ち尽くしている。
「姉さん酷いよ! まだ全然食べてなかったのに!」
そう言いながら、弟は足元に広がったアーモンドを指差す。
「兄ちゃんが僕のお菓子を落としたの? ねえ、リンゴのチョコはどこ!?」
弟は鼻息荒くジラールに迫り寄ると、彼の顔をじろりと睨みつけた。




