32 十五歳の誕生日
ソフィアは目を覚ますと、勢いよく体を起こした。
「まだ生きてる? どうして!?」
あの時、私はマルクス・マーケルに首を落とされたはずなのに。なぜベッドに横たわっていたのだろう。
全身には、ひどい脂汗をかいている。そっと首元に手を当てると、頭と体はきちんと繋がっているうえに、傷跡さえ残っていないようだ。
処刑の瞬間に聞こえた、刃の滑り落ちる音は、鮮明に耳に残っている。しかし、痛みを感じた記憶はない。
もしかすると、私はあの恐ろしい処刑の場から、逃れることができたのだろうか。
「大丈夫、姉さん?」
聞き馴染みのある声で、後ろを振り返ったところ、不安げな表情を浮かべた弟がこちらを見上げていた。
「ケビン!?」
思いきり弟を抱くと、きゃーっと嬉しそうな声を上げて、こちらを抱きしめ返してくる。
「どうしたの?」
「ごめんね。姉さんのせいで、辛い思いをさせて……!」
「ひどい夢でも見たの? もう怖くないよ」
幼い弟は、それから懸命にソフィアの背中をさすってくれた。
あれが全て夢なら、どれほどよかっただろう。けれども、亡くなったはずのケビンが、目の前で元気に動いている今のほうが、よっぽど夢らしく思えた。
ソフィアは、かつて家族で暮らしていた生家を、ぼんやりと眺める。仮にここが死後の世界だとしても、もう一度弟に会えただけで、ソフィアは幸せだった。
「なにを騒いでるんだ、ふたりとも」
扉を開けて部屋に入ってきたのは、兄のエリアスだ。
「エリアス兄さん!」
裸足のまま走り寄り、ハグをしたソフィアを、兄は勢いよく引き剥がす。
「こういうのはやめろって言っただろ! 俺もお前も、もう大きくなったんだから」
兄は顔を背け、ぶっきらぼうに告げるが、黒髪の陰からは赤くなった両耳が見えていた。
そういえば、エリアス兄さんはこういう風に、強い言葉で感情を誤魔化しながら、照れ隠しをする人だったっけ。
「明日が祭りだからって、遅くまで浮かれてるんじゃないぞ」
「はーい! 僕、母さんにお花を贈るんだ!」
この何気ないやりとりも、ソフィアには懐かしく感じられた。
「ケビン。母さんは少し具合が悪いみたいなんだ。明日は家で大人しくさせてあげよう」
「えっ。どうしたのかな、大丈夫なの?」
「ああ。でも父さんは、しばらく出稼ぎから帰ってこないだろうし、俺が先生のところへ連れて行くよ。お前はソフィアと一緒に、祭りを楽しんでくればいいさ」
ふと、過去の記憶を思い返す。何年か前に、同じような会話を交わす兄弟たちの姿を、ソフィアは見たことのある気がしていた。
「エリアス兄さん。私、明日で何歳になるんだったかしら……?」
「寝ぼけてるのか? 十五だろ」
そうだ。それまでは家族全員で楽しんできた花祭りを、初めてケビンと二人きりで過ごしたのが、十五歳になったばかりのことだった。
冷静に兄弟たちを観察すると、弟は別れた頃よりも幼く見えるうえに、十代の後半で一気に背を伸ばしたはずの兄も、まだ自分とは同じくらいの目線で、こちらに呆れ顔を向けている。
「あれ? 姉さん、そんなネックレス持ってたっけ?」
ケビンはソフィアの胸元にさがった十字架を指差して尋ねた。
「ええ。これは昔、エリアス兄さんにもらったのよ」
「ん? 俺、そんなのあげたことあったか」
きょとんとした兄の顔を見て、ソフィアは気づく。このネックレスをもらったのは、公爵邸に入る直前の、十七の時だ。
十五歳の誕生日すら迎えていない私が、なぜこれを身につけているのだろう。
「どうしたの? 姉さんも調子が悪い?」
「う、ううん! あの、私もう眠るね!」
慌てて布団にくるまったソフィアを、兄弟たちはしばらく不思議そうに眺めていた。
同じベッドに横たわる弟が、眠りについたのを確認し、ソフィアは静かに起き上がる。
“悪女”の代わりに処刑台へ連れて行かれたのは、十九歳の誕生日を迎えるよりも前の、春先のころだった。そこから考えると、今は四年近く時を遡っていることになる。
このネックレスは、自分が過去へ戻ってきたという証なのだろうか。それでいて、服装は処刑時にまとっていたものではなく、かつて実家で愛用していた寝間着を着ているのだから、いよいよ訳が分からない。
けれどもこれが、夢ではなく現実だとすれば。このままステファニーと出会わずに過ごしていけば、あの悲惨な未来を避けることができるのかもしれない。
たしか彼女は、花祭りの日に初めて私を見たと話していた。だが、それが何年前のことだったのかという点については、言及していなかったはずだ。
今年の花祭りにステファニーが現れる可能性だって、じゅうぶんあるだろう。
それならば、と静かに戸棚を開き、中からつば付きの帽子を取り出す。
細かい計画は改めて練り直すとして、今年の誕生日だけは、前回と違う一日にしなくちゃ。
そして、当日の朝を迎えた。
いつもは家族みんなで食卓を囲むところだが、母が体調を崩していることもあり、それぞれが簡単に朝食を済ませていく。
久方ぶりに顔を合わせた母親は、少し疲れが感じられるものの、肌にも張りがあり、最期を迎えた時の痩せ衰えた姿とは大きく違っている。思わず涙ぐんだソフィアは、スープ皿へと顔を向け、家族たちに気づかれないよう、必死に食事を続けた。
それから、兄は宣言通りに母親を連れ、町医者の元へと向かっていったのだった。
「姉さん、僕たちもそろそろ出かける?」
ケビンは祭りが楽しみでたまらないのか、まだ昼前だというのに、いそいそと身支度を始める。
「ねえ、ケビン。姉さん、面白いことを思いついたんだけど」
ソフィアが耳打ちしたところ、弟はきらりと目を輝かせる。
「いいね、それ! すっごく楽しそう!」
そうして、飛び跳ねる弟と一緒に、ソフィアは兄の部屋へ入っていった。




