31 人形の目覚め 〜 そして、刃は落とされた
人払いをされた牢獄が、ほんのひとときだけ、しん、と静まり返る。
事態を飲み込めずにいると、ステファニーは改めて同じ言葉を囁いた。
「フィー。どうか私の代わりに死んでください」
「まさか、冗談ですよね? 死ねだなんて。ステファニー様は無罪なんでしょう? やはり、証拠集めが難しいのですか!?」
矢継ぎ早に問いかけるソフィアへ、彼女は和やかに答える。
「あの裁判の内容に、大きく違うところはないのよ。ステファニー・ドゥ・ラ・モンドヴォールは、みながそう呼んでいるとおり、生粋の悪女なの」
「まさか本当に、複数の男性と体を重ねられたのですか。それに、秘密警察が話していた、アンヌ様の件だって!」
息巻く相手にも怯まず、むしろいつもより気楽そうにステファニーは微笑んだ。
「落ち着きなさい、フィー。アンヌも証言していたのでしょう? 薬を盛ったのは、私の命令ではないと」
「では、訴状の内容が事実だとでもおっしゃるのですか! なぜ、あのように愚かな行動をなさったのです。王太子妃になるという、輝かしい未来が約束されていたのに!」
「んー。言いたいことは分かりますが、人の幸せを決めつけるだなんて、傲慢だとは思いません? 私の未来は自分自身で掴みとります。あんな陰険な男の後ろ盾など、必要ありませんから」
婚約者のことを語る時だけは、わずかに表情が陰ったように思えた。けれども、すぐに満面の笑みを向けられて、ソフィアはすっかり混乱してしまう。
「それはつまり、ご自身のお相手は自ら探されると、そういうことですか?」
たどたどしい問いを投げかけられ、彼女は軽く吹き出す。
「あなたがそう思いたいのなら、そういうことにしておこうかしら!」
冗談めかした物言いに、ふつふつと湧き上がる感情を抑えながら、いたって冷静に告げる。
「そのためにステファニー様が、様々な男性と交わりを持ったのであれば、心底軽蔑いたします」
「ええどうぞ、お好きになさって。世間の風潮も、おおむねそのようなものですよ。最も、その矛先は私ではなく、捕えられているあなたへと向けられていますが」
無責任な発言を繰り返す相手には、少なからず打ちのめされていた。これが、今まで慕ってきたステファニーの本性だというのか。
くすくすと笑う少女に、ソフィアは声を荒げる。
「よく考えてください、ステファニー様! “悪女”の絵姿は国中にばら撒かれているんですよ。平民の格好に身をやつしたところで、すぐに見つけ出されるでしょう。牢屋に私がいたとしても、瓜二つのあなた様が見つかれば、暗殺事件への関与を疑う秘密警察から、尋問を受けることだってあるかもしれません」
「あなたは何も聞かされていないのですね。アンヌは数ヶ月も前に、秘密裏に処刑されています。それも、全ての罪は自分にあると明言した後に。ですから、秘密警察が私を追う理由など、とうになくなっているのですよ」
それは、寝耳に水の知らせだった。
「『処刑された』ですって? なんてこと……!」
「仕方がないわ。それだけのことを、あの子はしでかしたのですから」
明るい返答には違和感を覚える。彼女にとっては、すでに過去の話となっているかもしれないが、間違いなく心を痛める話題であるはずなのに。
「なぜそこまで、落ち着いていられるのです。アンヌ様のことは、家族同然に可愛がっておられたではないですか!?」
その言葉には、眉を上げて反応される。
「『家族』ですか……そうですね。だからこそ、彼女を生かしておくわけにはいかなかったのよ。あの子はあまりにも、私の秘密を知りすぎていたから」
「いっときの快楽のために、人の命を犠牲にするだなんて」
ソフィアが小声で呟いた途端、ステファニーは音を立てて檻に掴みかかった。
「あなたは、私が欲望のためだけに、ここまでのことをしでかしたと思っているのですか!」
それまで見たこともない、こちらを射るような眼差しに、背筋が寒くなる。
「元はといえば、どれもこれも全て……いえ、語るのはよしましょう」
囲いから手を離したステファニーは、ぱっと表情を和らげる。しかし、その瞳はぎらついて見えた。
「ですが、フィー? あなたは家族に愛され、兄弟たちからも求められていたではないですか。そのささやかな幸せを大切にしていれば、このような結末にはならなかったはずなのに。本当に残念でしたね」
「入れ替わりの提案者が、よくもそんなことを言えますね」
おそるおそる反論すると、彼女は拍手で応える。
「うふふ。確かにその通りね! それでも、私はあなたに会えてよかったわ」
そう言うと、彼女は指の腹で檻をなぞりながら、感慨深げに語りだす。
「初めはただ、厄介な面倒ごとをあなたに押しつけられればと、それぐらいにしか考えていませんでした。けれども、欲が出たのです。ねえ、フィー? 私はあなたの処刑を見届けたら、ランドサムスへ旅立ちます。もちろん、下町育ちのソフィアとしてね」
彼女が唱えたのは、トランキルの隣にある大帝国の名だった。
「ランドサムス帝国に、いったい何があるというのですか?」
「あなたは知らなくてもいいことよ。これからは、私がソフィアとして生きていきますから」
彼女は周囲の人々を貶めるだけでは飽き足らず、今度は私の人生まで、そっくりそのまま奪い取ろうとしているのか。
怒りのあまり、身体中の震えが止まらなくなる。
「そんなの、私の家族が黙っているはずありません! さすがにエリアス兄さんもケビンも、町のいたるところで、私と同じ顔をした“悪女”の肖像画を目にしているはずです。入れ替わりが白日のもとに晒されれば、殺されるのはステファニー様ですよ!」
肩を揺らしながら訴えるが、彼女はこちらを瞥見し、せせら笑う。
「あなたの家族など、もうとっくにこの世にはおりません」
「……いま、なんとおっしゃいましたか?」
「あっ、ごめんなさい。あなたにはまだ、お伝えしていませんでしたね」
彼女は両頬に手を当て、おどけて見せたが、こちらの空気が変わったのを察してか、感情を出さずに早口で続ける。
「遅かれ早かれ、あなたの兄弟たちには、入れ替わりに気づかれていたでしょう。あなたは必要な人材でしたけど、彼らの存在は、私を脅かす不安材料でしかありません。ですから、人知れず始末させていただきました」
「嘘をつかないで! 手紙だって、ちゃんと返ってきていたのよ!?」
「では、その手紙が最後に届いたのはいつですか」
ぽそりと放たれた言葉に、はっとさせられる。兄弟からの手紙を受け取ったのは、もうずいぶんと前のことになっていた。
「では、お給金を実家に送ってくださっているという話も、偽りだったのですね」
「あら。彼らの存命中には、きちんとお渡ししていましたよ。もっとも、お亡くなりになってからはお支払いできておりませんが。その分いいお墓を建てますし、それで許していただけません?」
悪びれる様子もなく、楽しげに話し続ける姿に、ソフィアは気味悪さを感じる。
「正気ですか? 人を殺しておいて、罪悪感も感じないなんて」
「あなただって、生きるためには動物の肉を口にするでしょう? それと同じです。私が生き残るために、あの方々の命をいただいただけですから」
「そんなの、おかしいです……」
「なんとでもおっしゃってください。“ステファニー”の悪口を言われたところで、“ソフィア”には何の関係もありませんからね」
看守が見回りにやってくる前に、ステファニーは姿をくらませる。
階上から注がれる囚人たちの騒がしい声に混ざって、彼女の笑い声が、独房の中に響き渡った。
そして、ワアアァッという民衆たちの声で、ソフィアは現実に引き戻される。
処刑時刻を目前に控え、広場にはたかぶる声があふれていた。
その喧騒の中からはっきりと、あの牢獄で聞いたのと同じ高笑いが届く。
彼女は群衆に紛れて処刑を見届け、そして、これからは“私”として生きていくのだろう。
あまりの悔しさに、涙が止まらなくなる。けれども、“悪女”の紅涙は、人知れず首桶へと消えていった。
シャァッと鋭い音を立て、ギロチンは勢いよく落ちていく。ソフィアの眼界は、真っ白に瞬いた。
ステファニー・ドゥ・ラ・モンドヴォール公爵令嬢の処刑が行われたその日、滅多に雨も降らないトランキルでは珍しいことに、日雷が国を襲う。
それは、民衆たちも視界を奪われるほどの眩さだった。
第一章完結までお読みいただき、誠にありがとうございます。心に残った話がありましたら、感想等いただけますと励みになります。
次回より、逆行転生編が始まります。お楽しみに!




