02 交わらない世界
聖女は、処刑場には似つかわしくない、カナリーイエローのふんわりとしたドレスに身を包んでいた。
怯えたように肩を振るわせながらも、その両腕は、しっかりと第一王子の左腕に絡みついている。
伸ばし始めたばかりのホワイトブロンドの巻き毛は、鎖骨あたりまでしかなく、お世辞にも令嬢らしいとは言い難い。
さらに驚くことに、濡れた金青の瞳は、まっすぐに“悪女”を見据えていた。
まさか、あれが国母になるなんて。
正式に婚約を結んでもいない殿方に対し、人前で堂々としなだれかかることのできる図太さには、さすがに驚かされた。
いくら身分が低いとはいえ、公の場でどのように立ち回るべきかは、少し考えれば分かりそうなものなのだが。
王太子妃教育の際、一貫して“淑女たるもの”と唱えられ続けた身としては、彼女の立ち居振る舞いのどれもが信じがたかった。
『婚姻も政治。たとえそこに愛がなかろうと、国のために体を重ねるだけだ』
そう話していた王太子は、自分の欲望にかまけて、不相応な女を召し上げたのだ。
ああ、この女の何が好みだったのかしら。
社交儀礼において、王太子妃は貴族たちの手本となるべく、誰よりも崇高な女性として在ることが求められる。
“正直者”といえば聞こえはいいが、己の感情を隠そうともせず、不快感を露わにする少女は、王太子の婚約者となるにはあまりにもお粗末すぎた。
いずれ后となれば、王を支えるだけでなく、常に周辺国から狙われるこの国を自ら守っていかねばならない。
時に狡猾ささえ求められる過酷な世界だ。貴族社会で生き残る術すら知らない娘が、対等に渡りあえると、本当に彼はそう考えているのだろうか。
元婚約者に視線を移すと、シルバーグレーの瞳にも、はっきりと侮蔑の色が宿っていた。
その光景に、思わず笑みが漏れてしまう。
そういえばあの方も、考えが表に出やすい質だったわね。
彼の隣に立ちたいと、努力を続けてきたつもりだった。
けれどもどうだろう。
私が求めていた人は、本当に王の器を持ち合わせていたのだろうか。
気高くあれと、身を律して研鑽に努めてきた自分自身さえも滑稽に思えてきて、笑いが止まらなかった。
すると、こちらの嘲笑が気に障ったのだろう。
王太子はわなわなと口元を振るわせつつ、強い語気で言い放つ。
「度重なるそなたの無礼な振る舞いに加えて、禁制を破り、神殿に穢れを持ち込んだ重罪。その身をもって償ってもらう!」
改めての宣言に、再び民衆が湧き上がる。
「殿下、どうか私の話を聞いてく……きゃあ!」
陳情を遮るように、唐突に腕を押されこまれ、その場にひざをついてしまう。
「なにをするの!」
後ろを睨めつけると、まだ幼い少年兵がこちらを見下ろしている。彼の吐き捨てた唾が目元に当たり、ゆっくりと垂れていった。
「勘違いすんな。お前はただの罪人。もう殿下とお言葉を交わせるような、お貴族様じゃないんだ!」
大きく腕を振りかぶる姿に、思わず固く目をつむる。だが、不思議と痛みは襲ってこなかった。
そっと片目を開くと、赤褐色の髪が視界に飛び込んでくる。
「……ジラール卿!?」
第一王子の懐刀であるレオン・ジラールは、兵の前に立ち塞がり、“悪女”へ投げられた拳を手のひらで受けとめていた。
「ジラール様、王族の命に逆らう気ですか……!?」
少年兵は戸惑いを隠しきれず、わずかに後ずさる。
彼の言葉で、周囲の兵士たちに緊張が走った。王太子も怪訝そうに階下の様子を見守っている。
そして、こちらへ向いていたマスケット銃のいくつかが、静かに照準を変えた。
ジラールはふう、と息を漏らすと、両の手をひらりと挙げる。
「勘違いしないでください。私は王家に仕える身。処刑時刻は間もなくです。重罪人の処罰を遅らせるわけにはいきません」
彼は私を強引に立たせると、腰を抱いた。そのまま背中を押して、処刑台まで歩ませようとしてくる。
「卿。私は自分の力で歩けます!」
返事をする代わりに、彼は指先に込める力を強めた。
「……抵抗などしません。あなたに迷惑をかけたいわけではありませんから」
その呟きにジラールは体をこわばらせたが、なにも応えることなく、階段に左足を掛けた。
ゆっくりと歩を進めながら、“悪女”は市民たちを見つめる。
背伸びで辺りの様子をうかがっていた少女は、こちらからの視線にぎょっと目を丸くして、素早く顔を背けた。
歳は十に満たないぐらいだろうか。
ふと、懐かしい弟の顔がよぎる。
最後に別れた時は、ちょうどあれぐらいの年頃だった。
生きていれば、今ごろは王都に赴き、憧れの近衛兵として働き始めていたかもしれない。
けれど、それも叶わぬ夢だった。
〈あいつ〉に目をつけられたあの日から、私たちには、選べる未来などなかったのだ。
ぎらりと輝く刃がだんだんと近づいてくる。
聖女とやらは、一人の命が奪われようとしている事実に、ようやく実感が湧き始めたのだろう。口元に手を当て、目を閉じたまま青白い顔をしている。
王太子はジラールを雑に手招きし、早く登ってこいと命じているようだ。一刻も早く、恋人をこの不浄な場所から離してやりたいのだろう。
私たちが台を登り終えると、王太子は小さく舌打ちしたあと、娘を優しく抱きあげ、階段を滑るように降りていった。
かつて将来を共にするはずだった女子への惜別の言葉など、ただの一つもなかった。