28 少女の決意
神殿を巻き込んだ一大事件は、ほどなく国民たちの知るところとなった。
それは、弟王子の不祥事をもみ消すため、あらかじめ操作された情報が王室から喧伝されたためでもある。
“聖女”を貶め、あらゆる男性と体を重ねたというセンセーショナルな話題へ、民はすぐに食いついた。
それまでは、王太子のことを『平民にうつつを抜かす愚か者』だと非難し、廃嫡を訴えていた人々も、次第に“悪女”が全ての要因であったと考えるようになっていく。
「そろそろ関係を認めないか? 向こうさんは全部話してるんだぞ」
机越しにこちらを眺める若い兵が、男性の肖像をひらりとかざし、『ステファニー』へ問いかけた。
硬い椅子で身を縮ませながら、それでもなお、ソフィアは口を閉ざし続ける。あまりに長い沈黙に耐えかねて、相手は尖塔の外へ目を向けた。
糾弾を受けた夜更けから数日。ソフィアは国王の管理する魔塔の一室に、人知れず幽閉されている。
あくまで婚約関係下の事象であることから、通常であれば、公爵邸での軟禁で事足りるはずだった。ところが、“悪女”にかかる嫌疑があまりにも多すぎたため、その身柄は、魔塔の最上部に設けられた小部屋へと移されたのだ。
巷で“悪女”と呼ばれ始めた公爵令嬢から有力な言質を取るべく、この部屋には日々憲兵が訪れる。
「ほら、思い出せないか。衛兵の一員で、巫女の手引きを受けて神殿内に忍び込んだと言っているらしいが」
逃避している相棒を見かねて、羽根ペンを構えたふくよかな青年が、斜向かいから声を投げてきた。
「……」
「ちょっとぐらいは、反応してくれたっていいんじゃないのか?」
容疑者の変わらぬ態度に、あちら側はすっかりやる気を削がれているようだ。
同じ質問を何度繰り返されても、ソフィアはここまで無言を貫いていた。それは単に、アンヌから口止めをされていただけではなく、できることならステファニーを信じ続けたいと、ソフィア自身が考えていたからかもしれない。
けれども、自分の知る彼女と、他人から聞く“悪女”の姿があまりにもかけ離れていて、ソフィアは自信を失いつつあった。
気がかりな点は他にもある。
あの日、王太子の語った話には、多くの疑問が残っていた。ただ、弟王子との出来事に限って言えば、どうしても彼が嘘を吐いているようには見えなかった。
「どうせ全部やってるんだろ? いい加減認めろよ」
しまいには筆記具を放り出し、うんざりした顔つきで言葉をかけてくる。もう一人の憲兵も、顔をそらしたまま吐き捨てるように告げた。
「さすがにジラール子爵令息も、こんな尻軽だとは思っていなかっただろうな。お気の毒に」
「レオンがどうかしたのですか?」
降ってわいたジラールの話題に、ソフィアはすぐさま声を上げる。
覚えのない人物のことであれば、なおざりに聞き流すこともできたが、入れ替わりの事実を知る彼が、なぜ憲兵の憐れみを呼んでいるのか、その点がどうにも引っかかった。
少女の初めての反応を受け、憲兵たちは慌てて姿勢を正す。
「レオン・ジラール子爵令息。当然、彼にも嫌疑がかかっている」
「王命で警備を担当していたにもかかわらず、この不始末。それだけでも、じゅうぶん処罰対象となり得るが、彼が故意に見逃していたとするならば、話は変わってくる」
彼らは、口を挟む隙を与えないほどに、勢いよくまくし立ててくる。
「そもそも協力者もなしに、ここまで多くの罪を重ねるなど、到底無理な話だ。しかし、彼自身が令嬢と親密な関係にあり、罪に加担していたと考えると、全てに合点がいく」
「ジラール家は代々王室に仕える、由緒正しい一族だったのに。反逆罪ともなれば、一族郎党が処罰されるかもしれないな」
一連の会話に背筋が凍りつく。
こんなところでだんまりを決め込んでいる間に、ジラールは、そして彼の家族は、いわれのない罪で命を脅かされているというのか。
『余計な口は開かないで』と、そう忠告したアンヌの顔が目に浮かぶ。しかしこれ以上、黙っておくことはできなかった。
「なぜ、レオンなどに手を出さなければいけないのですか。世の中には、もっと素敵な男性があふれているというのに」
ようやく始まった“悪女”の供述を、彼らは一言一句も聞き漏らさぬよう、必死に筆を走らせる。
「あの男が間抜けなだけです。私の動きに気づかないなんて」
「ちょっと待て! 神殿では、誰彼構わず手を出していたのだろう。容姿も家柄も申し分のない、ジラール子爵令息よりも優れた者など、あそこにはそうそういなかったはずだ。なのに、彼にだけ手を出さなかったというのは、あまりに不自然じゃないか?」
その発言に、もう一人の兵もうなずく。
どうすれば、ジラールへの疑いの目を逸らすことができるのだろう。
ソフィアは精一杯、頭の中で考えを巡らせ、一寸の沈黙ののちに答えた。
「神殿には、娯楽がなにもありませんでしたから。彼らにはただの暇つぶしで、構ってあげただけですわ」
「つまり、ジラール子爵令息以外の、他の罪については認めるということか?」
そのうわずった声からは、興奮が伝わってくる。
「ご想像にお任せします」
にっこり微笑みかけると、彼らは即座に部屋から飛び出していった。
ごめんなさい、ステファニー様。
私にはジラール卿を見殺しにすることなどできません。
これは、覚悟の末の行動だった。
仮にステファニーが過ちを犯していたのなら、彼女は罪を償わなければならないだろう。
けれど、もしこれが冤罪だとしたら。
その時は、代わりに自分の命を捧げるほかないと、そう心に決めていた。




