26 張り巡らされた策略①
深夜であるにもかかわらず、神殿内のただならぬ雰囲気に、聖職者たちは目を覚まし始めていた。そしてそれは、ステファニー付きの侍女たちについても同じだった。
兵士に捕えられているソフィアを見て、一人の侍女が王太子へ嘆願する。
「どうか、私をおそばにつかせてください!」
彼の足元にひれ伏したのは、あのアンヌだ。
「そなたはステファニーの侍女であったな。悪いが、城へ連れて行くことはできない。脱走の手引きをされては困るからだ」
「ではせめて、ここを発たれる前に、身だしなみを整える許可をくださいませ! いくらなんでも、あのお姿で人前を歩かせるなど、そのようにむごい仕打ちをなさらないでください」
王太子はしばし躊躇いを見せたが、寝間着姿のままにさせておくのは気が引けたのか、仕方なくその案を受け入れた。
兵士の立ち会いのもと、ソフィアはアンヌとともに、一旦『ステファニー』の部屋へと戻る。
兵が一時的に手錠を外すと、短い時間であったにも関わらず、擦れて腕首が赤くなっていた。
「ここには、はめ込まれた出窓があるだけで、扉を使わなければ部屋からは出られません。お嬢様の衣服を替えますので、外でお待ちいただくことはできませんか」
アンヌの問いかけを受け、兵は部屋の中を点検し、それを承諾する。
彼らが室外へ出たのを見届けて、アンヌは手早くネグリジェを引きはがしながら、ソフィアへ囁いた。
「ステファニー様からの伝言です。『何を言われようと、それは全て王太子の妄言。聖女との婚姻を結ぶために仕組まれた罠にすぎない。あなたを助け出すその時まで、どうか希望を持ち続けて』と」
その言葉に、無言で何度も頷く。
「そしてこれは、私からの忠告です。余計な口は開かないでください。お嬢様に害をなすようなことがあれば、私はあなたを決して許しません」
質素なドレスに身を包んだソフィアは、そのまま兵に引き渡され、城の中へと導かれていく。
人払いがされているのか、薄暗い回廊には警備兵の一人すらいない。その異様な雰囲気に、ソフィアは底気味の悪さを感じる。
玉座の間に足を踏み入れると、ゆったりとした平服を身にまとった国王と王后が、壇上に座していた。そして階下には、先に到着していたであろう王太子と神官が控えている。
膝立ち位の神官は、虚けた顔つきで固まっていた。
「ようやくきたか。すぐに始めるぞ」
広々とした空間に、王太子の声が響き渡る。王后はそのとき初めて、ソフィアへ嵌められた手錠に気がついたようだ。
「ルイス! あなた、ステファニーになんてことを!」
それは、ほとんど悲鳴と言っていいほどの、金切り声だった。隣り合わせに座る国王も、厳しい目で息子を見つめている。
ソフィアを連行した兵士たちは、彼女を神官の横に跪かせてから、静かに部屋を去っていく。
王太子は玉座へゆっくりと歩み寄り、こう切り出した。
「この二人は、神殿という聖域に身を置きながら、罪を犯そうと目論んでいました」
それから彼は、資料の束を両親に手渡し、続きを口にする。
「まずは、神殿の話から始めましょう。お二人もご存知のとおり、神殿に入る男性には、去勢が施されます。しかし、処理をしたところですぐに性欲を失うわけではありませんし、数年経てばその機能が戻ることもあります」
王らは訝しみながらも、手元の書類に目を通し始めた。
「そのため、聖職者の中には“無欲であるべし”という教典に反して、不貞を働く者がまれにいました。詳細を話さなくとも、神殿を追われた者については、王室への報告義務がありますから、おおよそのことはお二人も把握されているでしょう。改めて資料でご確認いただきたいのは、それらの発生年月です」
「こんなものを用意してまで、あなたは一体、何を伝えたいのですか?」
王后が首を傾げる一方で、息子に促された国王は、目を細めて当該箇所を見つめているようだ。
「色欲に惑わされ、処罰を受けた者はここ数年の間、一人も現れていません。我々はその報告に、なんの疑問も抱きませんでした。ただ彼らは、教えを忠実に守っていると思い込んでいましたから。しかし実際のところは、より巧妙な手口で不正が隠し続けられていただけだったのです」
王太子は一息つき、さらに言葉を続ける。
「宦官に対する再処理の手続きが形骸化していたことも、重要な証拠となるでしょう。もともと、過ちの全てが顕在していたわけでもないのでしょうが……神殿内部の協力者によると、公爵令嬢の一行が入殿してから、より一層風紀が乱れたそうです。どうやら神殿では、夜毎契りが交わされていたと」
王后が息を呑んだのが、ここからでも分かった。あまりに現実離れした話題に、王も戸惑いながら答える。
「それは、あくまで聖職者たちの話だろう?」
「いえ。残念ながら、私が話しているのは、モンドヴォール公爵令嬢の犯した罪に関する証言です。その証拠に今夜、この二人が同衾しようとしていたところを、私自身が目撃いたしました」
視線が一斉に集まり、ソフィアの心臓は縮み上がった。特に国王の炯炯たる瞳には威圧感があり、改めて最高権力者の権勢がうかがい知れる。
「わ、私はそのようなことなど行なっておりません!」
決死の思いでソフィアが叫ぶと、隣にいる神官も正気に戻ったのか、慌てて助けを乞い始めた。
「そうです! 勘違いです、国王陛下! 今夜は、ステファニー様が悪夢にうなされていることを知り、悪魔祓いを行おうとしただけです」
その言葉を聞いて、国王は静かに一つうなずく。
「悪魔祓いは、神官のみに許された、悪縁を切る施術であったな。それが事実であれば、多少の身体的接触は必要となってくるだろう。今の発言についてはどうだ、ルイス?」
「ずいぶんと上手い言い訳を考えたのですね。では神官よ。これのことは、どのように説明してもらえるだろうか」
「なっ……!?」
それまでとはうって変わり、神官は明らかに動揺した面持ちで、片膝を立てる。
王太子が取り出したのは、小さく折りたたまれた便箋のようなものだった。
「これは、彼の鍵付きの引き出しの中に、大切にしまい込まれていたそうです」
神官は困り顔で、こちらの様子をうかがってくる。中身が見当もつかないソフィアは、手紙を広げる王太子を、ただじっと眺めていた。
「では読み上げましょう。『どうか今宵は、私の部屋へお越しいただけないでしょうか。あの広い寝台で、明月を一人眺めるのは、あまりに寂しすぎます。あなた様の腕の中で、ぬくもりを分かち合いたいのです。フィー』」
送り主の名を聞き、内心驚く。けれどもそれは、ソフィアには書いた覚えのない文だった。
眉ひとつ動かさない婚約者の様子に気を害したのか、彼は一際大きな声を放つ。
「最後の『フィー』というのは、おそらく令嬢の愛称でしょう! 私が見るかぎり、筆跡はステファニーのもので間違いないと思います」
神官は、あああ……とかすれた声で唸りながら、手首を縛る錠をガチャガチャと振り回した。
「知らない! そんな手紙、読んだこともなければ見たこともない! おおかた、私の地位を羨んだ誰かが、私を陥れるために仕込んだのだろう。憶測だけでものを言われても、後々困るのはそちらですぞ、王太子殿下!」
「簡単には認めないか。神官、情ゆえに口を閉ざしているのであれば、間違っているぞ。令嬢はそなたに対して、特別な感情など抱いておらぬ」
その言葉を聞き、神官は小馬鹿にしたように笑う。
「そう言い切れるのは、彼女の愛が自分だけに向けられているという自信がおありだからですか?」
煽るような物言いにも動じず、王太子は静かに首を振る。
「そうではない。もはや、彼女が愛という感情を正しく知っているのかさえ、私には分からないのだ。いいか、神官よ。ステファニーの相手は一人ではない。平民、異国の民。そして神殿へきてからは、そなたのような聖職者に加え、国の要職や兵士に至るまで、王宮中の男を手玉に取っていたことが明らかになっている」
神官にとって、王太子の発言は思いがけないものであったに違いない。また、それは国王や王后、ソフィアにとっても寝耳に水だった。




