24 聖なる神殿
神殿入りは教典に則り、祭日の早朝にひっそりと行われた。
伝統的な白装束に袖を通したステファニーは、荷車へ腰掛けた格好のまま、ゆっくりと運ばれていく。
ともに神殿入りを許されたソフィアも、同じく全身白の装いに身を包み、ヴェールで顔を覆いながら、荷車の後ろをついて歩いた。
道の脇では民がひざまずき、そして平伏している。未来の王太子妃を一目見ようと、早い時間であるにもかかわらず、集まってくれているのだろう。
神殿は国の各地に点在しているが、これからの一年間を過ごすことになる大神殿は、王城の敷地内に建立された、最も権威高い聖域だった。
時の権力者も、重要な局面では神官に判断を仰ぐと言われるほど、彼らの地位は高い。そのため、神殿入りを妨げることは、王族であれど許されないとされている。
それは民においても同じことで、彼らは決して口を開かず、最大限の敬意をもってステファニーを送り出した。
荷車は城壁を越え、王の敷地に入っていく。舗道の両脇にならんだ兵たちは、敬礼をしたまま一向の歩みを見守る。
そして、神殿の前に控えた王と王后、さらに第二王子のフィリップが、朗らかな笑顔で一群の神殿入りを見届けた。
そこに、婚約者は現れなかった。
ステファニーが考えていたとおり、神殿での生活は、入れ替わりで過ごしていたそれまでの日々よりも容易なものとなる。
ここには神官たちが常駐しているが、彼らは神との対話に一日を捧げているため、未来の王太子妃の動向になど無関心であった。
そのようななか、ソフィアに任されたのはステファニーの身の回りの世話ぐらいで、暇を持て余すほどだった。
「それにしても、暑いわね……」
腕に抱えた洗濯物を片手に持ちかえ、そっとヴェールを上げる。じっとりと汗のにじんだ頬に、清しい風が触れた。
ステファニーと瓜二つの姿を見られないよう、ここでは顔を覆って生活している。幸いなことに、ソフィアの他にも面を隠す聖職者たちが数名いるため、追及を受けることはなかった。
現に、少し離れたところにいる巫女も、顔をすっぽりと覆い隠したまま、神具を運んでいる。
神官たちは身分が高いとされているが、訳ありで神殿に入った者も多いようだ。忍びながら月日を送る彼らに、ソフィアはひっそりと親近感を抱いていた。
神殿に入ってから知ったことは、他にもある。この聖域には、原則的に男性の入室が禁じられていて、異性の聖職者だと思っていた人々は、みな宦官なのだそうだ。
ステファニーの激しい口付けを目の当たりにしたあの日から、ソフィアの心の中には、彼女を疑ってしまう気持ちが残っていた。そのため、神殿での和やかな暮らしは、久しぶりに訪れた平穏な日常だった。
もうじき、ステファニーが祈祷から帰ってくるころだろう。ソフィアはヴェールをおろし、早足で部屋へと急ぐ。
神殿の内部は非常に簡易的で、祈祷を行うための礼拝堂の他は、神官たちが居住する建物のみが併設されている。原則的には、そのなかの小部屋が、一人につき一室のみ与えられていた。
それぞれの部屋には、祈りを捧げるための小さな勉強机と、簡素なベッドが置かれている。ステファニーが伴った侍女たちにも、彼らと同じ居室が用意されていた。
けれどもただ一人、王家への輿入れが定められているステファニーには、特別な部屋が設けられた。
侍女たちの個室と並びにはなっているものの、他の部屋よりも少しばかり広い室内には、白で統一された彫刻家具が所狭しと収められている。
天蓋つきのベッドも、手編みのレースカーテンで飾られた、純白の美しいものだった。
「ここ、横になってみなさいよ」
神殿へきたばかりの頃、ステファニーはソフィアを呼びたて、広いベッドに並んで仰向けになった。
ふと、初めてモンドヴォール邸を訪れた日を思い出す。あの時も、こうして横に並んだまま、明け方まで話し続けたのだっけ。
ステファニーも同じことを考えていたようで、なんだか懐かしいわね、と微笑んだ。
「夜中にこの幕を見上げると、あのシミがまるで、人の泣き顔のように見えてくるの。ほら、あそこ」
ステファニーの指先にある、カーテンに染みついた汚れは、言われてみると、瞳から涙を流す女性のように見えなくもない。
「歴代の王族の方には、望まざる婚姻を結ばれた人もいたでしょう。その方々の姿が残されているようで、なんだか恐ろしいのよ」
『だからお願い!』と、彼女は寝室を交換することを提案した。
特別な部屋で寝泊まりをするのは気が引けたが、そうでなければ満足に眠れないとまで言われてしまい、仕方なくステファニーの案を承諾した。
それ以降、部屋を替えたまま二ヶ月ほど過ごしたが、一向に気づかれる気配はない。
その間、第一王子がステファニーへ面会を求めることはなかったが、彼も王太子教育に励んでいるとの話だけは漏れ聞いていた。
ステファニーとの契約は、残りの一年を切っている。
王太子妃の影武者となるかどうか、まだ回答こそしていなかったものの、ここから出たあとは、『平民のソフィア』に戻ろうと密かに決意していた。
そうなると、王太子と添い遂げるステファニーを、リリーを、自分は一国民として祝福しなければならない。その未来を想像し、少しだけ胸が痛んだ。
もしかすると、私はもう二度と、彼と対面することはないかもしれないわね。
けれども、その予想はすぐに外れることとなる。




