17 二度目のお茶会②
王太子が声を荒げるのは想定内だった。
トランキルは今、外交問題を抱えている。犬猿の仲であるハマルと周完、その二国から、それぞれ自国との同盟関係を結んでほしいとの嘆願書が届いているのだ。
「口出しなどするつもりはございません。どちらの国と手を組んでも、トランキルには利がありますから」
ソフィアは席につき、こくりとお茶を飲み込む。
「繊細な絹織物を代表とする、周完の豊かな文化技術は、この国のよりいっそうの発展に寄与するでしょう。そしてハマルには、定期的に氾濫する河川の影響もあって、優れた土木術が存在しています。トランキルは近年、嵐が起こるたびに川沿いや沿岸部へ甚大な被害を受けていますし、国としては喉から手が出るほどに、その秘策がほしいといったところでしょうか」
王太子は不快な表情でこちらを見つめながらも、きちんと話を聞いてくれているようだ。ソフィアは一呼吸置いて、話を続ける。
「それに、ハマルの先住民たちは高い戦闘技術を身につけているとも聞きますし、そちらを気にしていらっしゃる高官の方々も多いと思います」
それから静かに口を閉じると、王太子は長い息を吐いた。
「それぐらいのことは、私でも知っている。しかし、あの二国は過去に大きな争いをしてから、敵対関係が続いているのだ。両国と同時に同盟関係を結ぶなど、不可能に決まっているだろう」
その時、ステファニーの助言が頭をよぎった。
『王太子がフィーを否定した時が、一番のチャンスよ。理想でもなんでもいいの。あなたの考えを、きちんと伝えておきなさい』
そうすれば、反論できなくなった王太子はいずれ音を上げると、彼女はそう話していたっけ。
「確かに私が考えているのは、理想論かもしれません。ですが、このお茶会の間だけでも、耳を傾けてはいただけないでしょうか」
「分かった、分かった。なんでもいいから、さっさと話してくれ」
王太子はうんざりとした顔で、こちらをじっと見つめてくる。ソフィアは咳払いをしてから、『ステファニーの主張』を語り始めた。
「そもそも、表立って国同士の親交を深めるのは、他国の警戒も招きかねません。そのため、まずは貿易にて両国に便益をもたらすところから始めるべきだと考えます。例えば周完が、トランキルに望むものはなんでしょうか」
その問いかけに、彼は間髪を入れずに答える。
「彼らは、大陸での覇権を虎視眈々と狙っている。まずはこの国での影響力を強めておきたいというのが、本音だろう」
「はい。そして、私の出した答えがこちらです」
両手を大きく広げると、王太子は目の前のティーカップを覗き込み、まさか、と口を開けた。
「ここにあるものが、答えだというのか?」
「その通りです。周完には我が国と同じように、茶を楽しむ風習があります。しかしこの大陸では、長く紅茶が愛されてきたために、東洋の茶葉を嗜む文化はほとんど浸透していません。ですから、あの国の茶文化をトランキルから大陸中に広めるだけでも、彼らを満足させることができるでしょう」
きっぱり言い切ると、彼は大仰に手を叩いてみせた。
「ずいぶんとご大層な物言いだな。たかが茶葉ごときで、なにも変わらないだろう?」
「殿下。その茶葉『ごとき』が彼らの誇りなのです。確かに、相手の好みを少し知ったくらいでは、気を許してはもらえないかもしれません。ですが、互いを理解するための努力を怠る人物に、心を開く者はいますでしょうか?」
強い言辞に、王太子はぐっと言葉を詰まらせ、今度はカヌレを指差す。もう一方の南国についても話せということだろう。
「ハマルはトランキルだけでなく、他の国々ともほとんど交流がありません。それは、ハマルが島国でありながらも、自国内でおおかたの物資をまかなうことができていたためです。彼らは長い間、海の外へ出る必要性を感じていませんでした」
元を辿れば、周完がハマルの土地へ足を踏み入れたのも、彼らとの国交を求めてのことであった。
しかし、外界と接することなく過ごしてきた彼らは、突然やってきた東洋からの訪問団を警戒し、強引に追い出すべく武器を手に取った。誤解を解くことができないまま、ついには、国同士の争いにまで発展してしまったのだ。
「今でこそ停戦状態となっていますが、戦争が長引くにつれ、ハマルは後悔したでしょう。彼らには、近代的な武器や大型の船舶がないのですから。それだけでなく、周辺諸国と渡り合うためには、自国内に存在しない鉱物や技術も必要となってきます。そういった物資を得るため、今回助けを求めた相手が、トランキルだったということですね」
ステファニーの計画を知るジラールは、部屋の片隅で目立たないように相槌を打っている。
茶を喉に滑らせてから、ソフィアは話を続けた。
「ですから、まずはいくつか大型の船を贈るのがよろしいかと。船舶の技術でいえば、海洋国家の周完には劣りますが、我が国の船でもハマルにとっては貴重な足となりえるでしょう。相手の望む以上のものが用意できれば、対価として、こちらが欲するものを提供していただくことも難くはないかと」
「して、その後はどうする。彼らは友好を深めたいわけではなく、トランキルとの同盟を求めているのだぞ」
じとりとした目線に、ソフィアは居住まいを正して向かい合う。
「それは両国との絆が深まったころに、改めてこちらから提案すればよろしいのではないですか。奇しくも殿下には、その二国に対して、同盟を求める『切り札』がありますし」
「切り札だと?」
「ええ。私との婚姻です。祝儀代わりに国同士の結びつきを強固にしたいと求めれば、両国とも強くは否定できないでしょう。そもそもどちらの国も、長引く対立関係には終止符を打ちたいと考え始めているはずです。お祝いごとに乗じて、三国間の同盟を進めることができれば、国王陛下もお喜びになられるのではありませんか?」
ソフィアはふぅ、と静かに息を吐く。ステファニーが話していたことは、これですべて伝え切ることができたはずだ。
王太子は表情を変えることなく、テーブルの上のティーセットを注視している。
しばらく沈黙が続いたのちに、目の前の青年は重い口を開いた。
「言いたいことはそれだけか」
それは、優しさのかけらも感じられぬほど、冷ややかな声であった。
「講述が終わったのであれば、私は自室へ戻らせていただく」
そう告げると、彼は荒々しく席を立つ。
「殿下! せめて、こちらのカヌレだけでも召し上がってくださいませんか」
「そなたと違って、私は忙しい。どうしてもと言うなら、執務室へ運ばせるのだな!」
王太子は振り返ることもなく、急ぎ足でその場を後にしてしまった。
帰りの馬車の中、落ち込んでいるステファニーへ、ジラールは穏やかに語りかける。
「茶を淹れるのは、初めてだと聞きました。よく練習されましたね。とても上手でしたよ」
「ありがとうございます。ですが王太子様には、ステファニー様のお気持ちがじゅうぶんに伝わらなかったようでした。結局、お茶菓子の一つさえ口にしていただけなかったですし。完全に失敗です」
「さあ、それはどうでしょうか」
「え?」
「まあ、あまり気落ちしないでください。ソフィア嬢も、何度か殿下とお会いになられれば、彼の発言が額面通りではないと分かるようになりますよ」
「はあ……?」
ジラールの言葉の真意が分からないまま、忙しい日々を過ごしていたころ、モンドヴォール邸には王太子からの贈り物が届いた。




