16 二度目のお茶会①
そして、お茶会の当日を迎えた。
はやる胸を抑えながら、ソフィアは王城の厨房で、最後の準備を進めている。
ステファニーの頼んだお菓子は全て揃っていたし、お茶の淹れ方は、公爵邸で何度も練習してきた。
あのアンヌだって、最後には合格をくれたのだ。不安は尽きないが、大丈夫だと自分に言い聞かせ、深い呼吸を繰り返す。
そろそろ王太子の元へ向かわなければ、と考え始めたソフィアに、ある壮年の料理人が近寄ってきた。
「恐れ入ります。少しだけ、お話ししてもよろしいでしょうか」
「ええ。もちろんです」
彼はコックコートの袖を握りしめながら、ぼそぼそと話し始める。
「そちらの茶葉は、トランキルではなかなか手に入れることのできない、珍しいものですよね。実は、私の母は東国の周完出身で、あちらのものには多少知識がありまして」
「まあ! それは素敵なことですね」
たしかステファニーは、商団を通さず、他国の商人から直接これを買いつけたと話していたっけ。
料理人という立場もあって、貴重な茶葉へ興味を抱いているのかもしれない。
「ですから、それが取り扱いの難しいものだということは、重々承知しております。よろしければ、私がお淹れすることもできますが、いかがでしょうか」
彼の指先は、小刻みに揺れている。
ああ、そうか。この人は自分の関心事のためではなく、私を案じて声をかけてくださったのね。
それも、下手をすれば公爵令嬢に対する侮辱と受け取られかねない発言だと自覚したうえで。
王太子の要望で、突如催されることになった茶会は、準備期間がたったの七日で、そのうえ、なにからなにまで婚約者の少女が取り仕切きらねばならぬとあって、周囲からは哀れみの目が向けられていた。
さらに、当日に訪れた私が、手ずから茶を淹れると言い出したものだから、声をかけずにはいられなかったのかもしれない。
不安げな料理人に、ソフィアはそっと笑いかける。
「お気遣いいただきありがとうございます。ですが、大丈夫です。殿下のために、私自らの手でご用意させていただきたいので」
「たっ大変失礼いたしました!」
断られるのが分かっていたのか、彼はすぐさま頭を下げた。
「いいえ、声をかけてくださってありがとうございます。実を言えば、先ほどまでとても緊張していたのですが、おかげで気持ちを落ち着かせることができました。練習の成果を発揮できるよう、成功を願っていてくださいね」
ソフィアが肩に手を置くと、料理人は何が起きているのかわからないとでも言うような、卦体な面持ちでこちらを見上げた。そして、ちょうどその時。
「ステファニー様。お時間です」
別の使用人から促され、ソフィアは彼の元から離れる。茶具を慎重に持ち上げると、城のメイドたちも、お菓子を載せたトレイを手に取った。
「では向かいましょうか」
ソフィアたちが連れ立って歩く姿を、厨房で働く使用人は、手を動かしながら密かに見守っていた。
「なあ、おい。お前さっき、公爵令嬢に話しかけてただろ。なにしゃべったんだよ?」
なおも呆然と立ち尽くす料理人へ、同僚がひっそりと声をかける。
「なあってば」
「あのさ。モンドヴォール公爵令嬢は、性悪でとっつきにくいところがあるって、そう噂されてたよな」
「ん? ああ、そうだな。実際に接したメイドたちも、わがままで口うるさいと話していたし。それがどうかしたのか?」
「ちっともそんなことなかったぞ」
彼はとろりとした瞳で、令嬢の後ろ姿を見つめている。
「俺みたいな料理人にも、ていねいな言葉で話しかけてくださって、それに……笑顔がとても素敵だった」
「はあ?」
のぼせあがった仲間を眺めながら、男性は大きく首をひねった。
一方そのころ、ソフィアは厨房を後にし、王太子の待つ部屋へと向かっていた。
通路の角を曲がると、扉の前に立つジラールの姿が目に映る。
「お待たせしました。『レオン』」
ステファニーに倣い、何度か彼の名を口にしてきたが、その度にソフィアは恥ずかしさを覚えていた。
今までの人生では、幼い弟を除いて、異性の名を呼び捨てにする機会になど恵まれてこなかったからだ。
こちらの苦労を知らないジラールは、眉ひとつ動かさないまま、ソフィアの元へ駆け寄ってくる。
「お待ちしておりました。殿下はすでに到着されています。ご準備はよろしいでしょうか」
小さくうなずくと、メイドの一人が戸を叩き、王太子に声掛けをした。
さあ、これからが本番よ。ソフィアはゆっくり息を吸い込んでから、部屋のなかに足を踏み入れた。
「失礼いたします」
王太子は椅子に座ったまま、ニヤニヤと得意げな笑みを浮かべている。
「待ちくたびれたぞ、ステファニー。てっきり、今日はもうこないのかと思っていた」
メイドたちはお茶請けのセッティングをすませると、早々に部屋を後にする。
「おい。茶も用意せずに、給仕たちはなぜ帰っていったのだ。それに、その汚れた茶壺はなんだ?」
「こちらは、今日のお茶会に欠かせぬものです」
ソフィアが赤錆色の急須に手を伸ばすと、王太子はわずかに狼狽えた。
「もしや、そなたが茶を淹れるのか?」
「その通りでございます、殿下」
彼は訝しげに茶葉を睨みつけていたが、しばらくすると諦めたように天を仰いだ。
「分かった。そなたに任せよう」
「では、始めさせていただきます」
ソフィアは呼吸を整えてから、空の急須にそっとお湯を注いだ。
幸いにも、こちらがお茶を準備している間、王太子から口を挟まれることはなかった。
付け焼き刃の作業になるため、ここで指摘を受けるのではと案じていたが、彼は終始無言で作業を見つめるだけだった。
まずはこの局面をやり過ごすことができたと、こっそり胸を撫で下ろす。
ソフィアはできあがったお茶をティーカップに移し、王太子の前へていねいに差し出した。
「本日ご用意させていただいたのは、こちらの白毫烏龍茶です。お気に召せばよいのですが」
「烏龍茶とはなんだ? 紅茶……ではないようだが」
王太子はカップを回しながら、透明度の高い液体を見つめている。その動きに合わせて、辺りには花のように甘い香りがふわりと広がった。
「これは東洋の皇族たちから愛されている、お茶の一種です。繊細なくちどけで、東方美人とも呼ばれるとか」
「東国の茶だと? そのわりには、西洋風の茶請けが用意されているようだが」
王太子はテーブルの上を眺めながら、怪訝そうに問いかける。
「その通りです。こちらのお茶は、くちどけもまろやかで、マカロンやタルト・オ・シトロン、カヌレといった、我が国に馴染みのあるスイーツとも相性がいいのです。今日はいつもと同じ感覚でティータイムを楽しんでいただきたいと思い、あえて西洋風の茶器に注がせていただきました」
王太子は戸惑いを見せていたが、意を決し、カップの中身を軽く口に含んだ。
そのまま目を閉じると、液体を舌の上で転がしてから、静かに飲み込む。
フルーティーな香りをまとう紅茶が、殿下のお好みだと、ステファニーは話していた。果たしてこの茶は、彼に受け入れられるのだろうか。
静かに様子をうかがっていると、王太子はそっと目を開き、今度は茶菓子に視線を移した。
「そのカヌレに載っている果物はなんだ? オレンジのようにも見えるが」
「こちらは南の諸島国、ハマルで採れる特産品のマンゴーです。生で食べることもできる果物ですが、焼くと甘みが増すため、本日は生地と一緒に焼き上げてもらいました」
もちろん下町暮らしのソフィアは、南国の果物など、ただの一度も見たことがなかった。
どうしてもこの果実を使いたいと、ステファニーが強く推していなければ、このように独創的な菓子は生まれていなかっただろう。
彼女の手腕や、その知識の深さには改めて驚かされるものがあった。ただ美味しいだけではなく、王太子が“一番好みそうな”茶会を開こうとしているのだから。
その意図に気づいたのか、王太子は人差し指でソーサーを小突くと、口を開いた。
「そなた、先ほど東洋の茶と述べていたが、これはどこの国のものだ」
「はい。東の大国、周完です」
国名を聞いた途端、彼は机を叩いて立ち上がった。
「たかが貴族の分際で、国政に口出しする気か!?」
別作品となりますが、9000字程度の短編を更新いたしました。下にリンクを貼っていますので、ご興味がありましたらそちらもご一読いただけますと幸いです。




