107 身代わり令嬢との別れ
黙って後ろについてきたマルクスは、馬車での送迎を断り、大神殿を出た途端に転移術を発動させる。
次にソフィアが目を開くと、そこはモンドヴォール公爵の執務室に変わっていた。
ソフィアとマルクスの向かいには、デスクで頭を抱えているモンドヴォール公爵と、仕事を終えたばかりのレオンが揃っている。
「公爵。『ステファニー』が王太子に求婚された」
言葉少なにマルクスが告げる。
「ああ。国王から私にも書簡が届いている。それと、これもだ」
公爵が差し出したのは、小鳥の描かれた可愛らしい封筒だ。
「もしかして、ステファニー様からですか!?」
駆け寄るソフィアを見て、公爵は疲れた声で答えた。
「君を身代わりにするのは、もうやめろと。そして、王太子妃には決してならないのだと、改めて書いてあった」
公爵は手紙を差し出し、見ていいとでも言うように、ゆっくり頷いてみせる。
「……拝見いたします」
ソフィアは手紙を受け取ると、内容を見落とさぬように隅々まで目を通した。
『お父様が断れないのであれば、自分で話します』
『ですが本当は、お父様に娘の願いを叶えてほしいのです』
『王太子殿下の生誕祭の日、王城に向かいます。そこで、お父様の気持ちをお聞かせください』
ソフィアはそっと手紙を伏せる。それらは全て、ステファニーの筆跡で書かれていた。
公爵は、ソフィアの手首に輝く腕輪を見つめながら、問いかける。
「マーケル魔導士長。殿下とは、どのような話になっているのだ?」
「生誕祭の日に、返事を聞きたいとおっしゃってました」
マルクスはいつになく真面目な顔で言い捨てた。
「そうか……」
眉間を押さえた公爵は、冷静に呼吸を繰り返してから、ソフィアと目を合わせる。
「ではやはり、王太子殿下には、ステファニー自身が返事をするべきだろう。ソフィア嬢はどう思う?」
「異論ございません」
すぐさま返事をするが、ソフィアは内心不安を覚えていた。なにしろステファニーは、四ヶ月間も家出を続けているのだから。
彼女は本当に、王城へ姿を現すのだろうか? そんなことを考えていると、公爵は困り顔で微笑んだ。
「君は、本当に正直な子だね。ステファニーが戻ってくるかどうか、心配なんだろう?」
「す……すみません! ステファニー様を疑ってしまうようなことを」
「いや、ずっと身代わりをしてもらっているんだ。心配になるのも仕方ないだろう」
それから公爵は、優しい顔つきでこう告げた。
「それでも、あの子の言葉を信じたいんだ」
「……承知しました」
今度は心の底から、公爵の気持ちを尊重したいと思えたのだった。
「ソフィア嬢、最後にもう一日だけ。生誕祭の日に、モンドヴォールの控え室にきてくれないか? これまでの数ヶ月のことを、あの子に全部話してやってほしいんだ。そのうえで、自分のこれからを決めさせたいと思う」
「もちろんでございます。最後の日まで、しっかりと“身代わり”を全うさせていただきます」
ソフィアは心を込めて、礼儀正しく頭を下げる。しばらくしてから顔を上げると、公爵は本当に肩の荷が下りたような、自然な笑顔を浮かべていた。
ふと部屋の片隅にある振り子時計が、間の抜けた音で時を刻み始める。しっかりと七回。
気づけば、外はすっかり暗くなっていた。
「君らは先に戻りなよ。二人とも魔道具を持ってるし、なにかあっても大丈夫でしょ」
マルクスは届いた手紙を分析するために、モンドヴォール邸へ残ることになっている。
魔導士長の勧めを受けて、ソフィアとレオンは公爵の用意した馬車へ乗り込み、ひと足先にジラール邸へと戻ることになったのだった。
「屋敷に入る前に、ブレスレットは外しておきましょうか」
「ああ! すっかり忘れてました」
「預かっておきます」
レオンは手早く腕輪を受けとると、手のひらに載せたまま、それをじっと見つめる。
「あのう。そのブレスレットは、ステファニー様に贈られたものでして」
「ええ」
ブレスレットを制服のポケットへ滑らせてから、レオンはきゅっと口を結んだ。
不自然な沈黙が、二人の間に流れる。
「……えぇっと! ステファニー様と間違われたまま、プロポーズされてしまうなんて、びっくりじゃないですか!?」
「そうですね」
レオンは短く答えたかと思うと、ひざの上でこぶしを握り、難しい顔を見せた。
「ソフィア嬢。実は、葬儀の前にルイス様と話をしたのですが」
「そうなんですか?」
王太子は葬列に参加していた。ということは、先王の棺が王城から出ていく前に、二人で会っていたのだろうか。
「はい。今からステファニーに、王太子妃の打診をしにいくのだと、そうおっしゃってました」
こちらに向けられた護衛騎士の表情は、なぜか困っているようにも見えた。
「あの方が懸念されていたのは、あなたの気持ちでした。他に、その……想い人がいるのではないかと。いかがでしょう?」
『いかがでしょう』とは? まさかレオンは、私に好きな人がいるかどうか、教えろって言ってるの!?
「ええっと! 王太子様が王室に迎え入れたいと思っているのは、『ステファニー』様ですよね!? 私の気持ちなんて、関係ないじゃないですか!?」
赤い顔をぱたぱたと仰ぎながら、ソフィアは努めて明るく振る舞った。
「それはどうでしょうか」
「え?」
赤茶色の瞳が、閑かにこちらを見ている。
「あの方はステファニーに求婚しましたが、間違いなくあなたにも惹かれています」
「どういう……ことですか?」
掠れた声が出てしまう。護衛騎士の真剣な眼差しに、ソフィアの心はざわついていた。
なぜだろう。続きを聞いてしまえば、もう元には戻れなくなる。そんな確信めいた予感があった。
「ソフィア嬢とルイス様は、何度も顔を合わせる機会がありましたよね? ルイス様がステファニーとの婚姻を望まれたのは、この四ヶ月間の、あなたの頑張りによるものなんですよ」
「まさか、そんなはずないですって!」
明るく装ってみせるが、彼は表情を崩すことはなかった。
「正直な気持ちを聞いた私が言うのですから、間違いありません。そこで私から、最後の提案があります」
「……なんでしょうか」
馬車が二人を激しく揺らしてくる。
こんなにも客室は静まり返っているというのに。鼓動が耳鳴りのように、けたたましく鳴り響いていた。
「ルイス様に、身代わりを打ち明けてはどうですか」
「……今、なんとおっしゃいましたか!?」
自分でも驚くほどに、大きな声が出てしまう。
けれどもそれほどに、レオンの提案は信じがたいものだったのだ。
「ソフィア嬢が王太子殿下との未来を望むのであれば、ですが」
「ちょちょちょ、ちょっと待ってください!?」
ソフィアは右腕を伸ばして、レオンの言葉を制する。
「さすがにありえないでしょう!? 私は平民ですし、王太子妃になれるわけがないじゃないですか!」
「本当にそう思いますか? ルイス様は身分の違いで、相手を差別するお方だと?」
ソフィアはハッとする。前の世界線で、彼が妻に望んだのは、なんの後ろ盾もない一人の平民だったのだから。
表情が変わったのを、レオンは見逃さなかった。
「私は王族に仕える近衛士官です。主の幸せを願うのであれば、隠し続けるべきではないと考えます」
ソフィアがなにも話せなくなっているのを察したレオンは、そのまま言葉を続けた。
「ソフィア嬢に覚悟があるのなら、最後までついていきますよ。私はあなたの……騎士ですから」
第四章完結までお読みいただき、誠にありがとうございます。心に残った話がありましたら、感想等いただけますと励みになります。
次回より、生誕祭編が始まります。お楽しみに!




