106 確実に世界は変わっている②
「ところでさぁ! なんでわざわざ、神殿に呼び出したわけ?」
しびれを切らしたマルクスが、空気を読まずに大声で尋ねる。
「そうだ、その話をせねばならなかったな。少し待っていてくれないか」
王太子はソフィアから離れて、静かに部屋を抜け出していった。
「マっ、マルクス! どうしよう!?」
わたわたと駆け寄るソフィアを、マルクスは面倒くさそうに引きはがす。
「ああもう、興奮するんじゃないよ。まあいずれ、こういう時がくるんだろうとは思っていたけど」
マルクスは扉を睨みつけながら、吐き捨てるようにこぼした。
「だって、一月後には返事をしなきゃいけないのよ!? ステファニー様がどこにいるのかさえ、まだ分かってないのに!」
「それは大丈夫じゃないかな。なぜだか分からないけど、こちらの動きはステファニー側にも伝わってるみたいだし」
マルクスは執務室の椅子に、音を立てて座り込む。そのあとも、扉からは目を逸らさずに続けた。
「正式に王太子妃の打診をされたと知れば、あちらから連絡が入るんじゃないかな」
「そうだといいけど……」
「それよりも、気を抜かないでいなよ。王太子が神殿に『ステファニー』を呼んだ理由が、まだ分かってない」
そこでソフィアは気がついた。木製の机の陰で、魔導士長が指を構えていることに。
瞬時に攻撃技を繰り出せるマルクスが、事前に技の準備をしている姿を見るのは、これが初めてだった。
ソフィアも大きく息を吸ってから、そっと右手に力を込める。
「ええ、もちろん。でも、大神殿で話さなければいけない理由が、本当にあったのかしら? マルクスの言った通り、聖魔法が関係しているの?」
「さあ。この場所が重要なのか、あるいは……」
マルクスはぐっと目を細め、かすれ声で囁く。
「ここにいる人間が鍵なのか」
しばらくしてから、まずは王太子が手ぶらで部屋に戻ってきた。
胸の内を明かしたからか、先ほどよりも気楽そうに話し始める。
「待たせたな! そなたに会わせておきたい人物がいる。とは言っても、すでに面識はあるだろうが」
後ろから現れた人影を見て、ソフィアは思わず声を上げてしまう。
「あなたは、ニコラス神官!?」
ソフィアの驚いた声を聞き、目の前の青年は満足げにうなずいた。
王太子に連れられてきたのは、ニコラス・マーケル神官──マルクスの義理の父親で、彼に魔術を教え込んだ相手でもある。
「そうだ。実は以前から、なにかと相談に乗ってもらっていて」
「お伝えするのが遅くなり、申し訳ございません、ステファニー様。王太子殿下とのご婚約を、心よりお喜び申し上げます」
王太子は上機嫌で、ニコラス神官の背を叩く。
「今は一神官に留まっているが、能力は折り紙つきだ。魔導士長が代替わりする前は、マーケル神官が“魔塔の主”だったのだからな」
「ええっ!?」
ソフィアが慌てて振り返ると、マルクスは当然のようにうなずいてみせた。
そんな大切な話、ちゃんと聞かせておいてよ!?
固まっているソフィアへ、神官は遠慮がちに近づく。
「昔の話ですよ。それに能力は、マルクスの足元にも及びませんので」
謙遜しているが、国王直下の魔塔には、選ばれし魔導士しか入ることができない。
やはりマルクスを鍛え上げた彼も、抜きん出た能力を持っているのだろう。
「王太子妃となるには、一年の神殿入りが義務付けられている。マーケル神官であれば、そなたの力になってくれるに違いない」
王太子の声がけに、神官は丁寧に頭を下げる。
「ステファニー様のお手伝いができることを、嬉しく思います。それと私からも、ステファニー様にご紹介したい子がいるのですが、よろしいでしょうか?」
「ええ。もちろん……?」
私に会わせたい相手とは、誰なのだろう。
大神殿に仕える聖職者であれば、ある程度顔が分かるかもしれない。
おそらく外で待機していたその人物は、ニコラス神官に呼び出され、短く返事をした。
「失礼いたします」
その時、戦慄が走った。ずいぶんと懐かしい、けれども確かに聞き覚えのある声。
「アンヌ・ルゲと申します。以後お見知り置きを」
音も立てずに現れた巫女は、前世で『ステファニーの筆頭侍女』を務めていた女の名を名乗った。
ソフィアをステファニーの身代わりとするために、尽力した娘。
『魔女の花』を使い、ステファニーの障害となる人間を、次々に殺めていった少女。
あの頃と全く変わらない見た目で、アンヌは神官のそばに、姿勢よく並んだ。
なぜ、今になって現れたの? 転生してから、アンヌの影は一切なかったのに!
「この子は幼いころから神殿に暮らしていて、私とも長い関係なんです。礼儀作法だけでなく、格闘技や護身術も身につけていますから、きっとお役に立てると思います。どうかステファニー様の侍女として、おそばに置いてやってくれませんか?」
あまりの衝撃に、ソフィアは腰を抜かしそうになる。
「大丈夫か、ステファニー!?」
王太子と、いつのまにか隣にやってきていたマルクスに両腕を抱えられ、ソフィアはふらりと立ち上がる。
「大丈夫です……」
転生したソフィアは、公爵令嬢を溺愛しているマルゴーが、ステファニーの筆頭侍女を務めていることを、心の底から喜んでいた。
アンヌがいなければいいと思ってしまうほどに、彼女が犯した罪は凶悪なものだったから。
もしかすると、“アンヌがずっとステファニーのそばにいた”というのも、単なる私の思い込みかもしれない。
二人の出会いは、今日この時だったの? ステファニーが婚約者として認められたタイミングで、アンヌは公爵家にきたのかしら?
では、あの優しいマルゴーは、これからどこへ行ってしまうのか。
ソフィアは絶望の裁判を思い返す。連続毒殺事件の容疑をかけられたアンヌは、幸せそうに微笑みながら、罪を認めた。
余罪もあったと聞いている。まさか、ステファニー様の懐に入るために、マルゴーのことも殺してしまっていたの!?
ソフィアの惑う目を、小さな少女は冷ややかに見据えている。
その様子に違和感を覚えたのか、神官はアンヌを隠すように、そっと二人の間に立ち塞がった。
「ルイス王太子殿下、公爵令嬢はお疲れのようですね。今日のところは、ここまでにしておきませんか」
「ああ。それもそうだな」
神官の助け舟のおかげで、この場は解散となることが決まった。
「ステファニー。よく考えておいてくれ」
王太子はソフィアを心配そうに見つめながら、優しく囁く。
「……承りました、ルイス王太子殿下」
ただただ怪しまれぬように、ソフィアは公爵令嬢らしい気品を持って、部屋をすべり出たのだった。




