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双面の贄姫 〜身代わり令嬢はどうにかして悪役を回避したい!〜  作者: okazato.
第四章 身代わり令嬢の邁進

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103 王太子の来訪

 翌朝、父は最低限の荷物だけを持ち、あっという間に別邸を後にした。


 夜中にこっそりと、屋敷を抜け出したりはしないか案じていたが、杞憂きゆうだったようだ。

 不満げな顔をしながらも、ジラールの騎士たちを何名か伴っていったので、ひとまず安心していいだろう。


 母は二度寝をするケビンを部屋へ連れ帰り、私はレオンと一緒に、早めの朝食を始めている。


 バターたっぷりのクロワッサンは、かじるとサクリと音を立て、口の中でとろけていく。小ぶりながらもずっしりと重みがあるのに、口触りは驚くほど軽い。


 甘く優しい香りに幸せを感じながら、カーテン越しに差し込む朝の光を、存分に味わう。


 今朝はずいぶんと寝覚めが良かった。もしかすると、いい夢でも見ていたのかもしれない。


 残念なことに、どんな夢だったのかはちっとも覚えていないのだが。


「だんだんと、秋が近づいてきましたね」


 不意にレオンが話しかけてくる。彼の目線は、赤く染まり始めた外の木々へ向けられていた。


 昨日までのぎこちない様子はどこへやら、すっかりいつも通りのレオンに戻っている。


「そうですね! 部屋から見える景色も、ずいぶん変わってきたなぁと思っていたところです」


 そのように返しながら、ソフィアは物悲しさを覚えていた。


 別邸へやってきてから、すでに十日ほどが経っている。

 社交が本格的に始まるまで、まだ時間があるとはいえ、レオンも長く本邸を離れるわけにはいかない。


 秋がきたら、みんなで揃ってジラール邸に戻るというのが、事前に取り決めていたことだった。


 そのあとはまた、ステファニーとしての身代わり生活が待っている。モンドヴォール公爵は尽力しているが、依然として娘の所在は不明のままだ。


 ステファニー失踪から有力な情報すら得られないまま、三ヶ月が経過していた。


 その間に、ソフィアは誘拐事件に巻き込まれ、剣術大会での暗殺未遂事件に遭遇し、遂にはドラゴンもどきにまで襲撃されたのだ。


 ずいぶんと騒がしい夏だったが、この休暇の間だけは、久々にゆったりとした時間を過ごすことができていた。


 家族たちと次に会えるのは、いつになるだろう。兄さんの消えてしまった記憶は? 終わりの見えない身代わり生活だって、考えれば考えるほど不安が募っていく。


 こちらの気持ちを知ってか知らずか、レオンはバターナイフを置いてから、明るく切り出した。


「よろしければ、このあと山のふもとを散策しませんか」


「えっ。ここから出てもいいんですか?」


 別邸ではずいぶんと自由にさせてもらっているが、それは城全体にマルクスの防御術がかけられているからだ。不要不急な外出は控えるようにと、国王陛下からも言い含められている。


 心許こころもとなげなソフィアに、レオンはふわりと笑いかけた。


「マルクスの話だと、ある程度は周辺地域も術の対象になっているそうですよ。本邸へ帰っても、屋敷の中で過ごすことになりますし、足を伸ばしてみましょう」


「でしたら……ぜひ行ってみたいです!」


「なんですか、ピクニックですか!? それならお昼は、外で食べやすいものにしましょうね!」


 盗み聞きをしていたイザベラは、両腕をあげてはしゃいでいる。


 レオンは苦笑いを浮かべつつ、口元に手を添え、今度はソフィアだけに聞こえるよう囁く。


「大丈夫です。私がついてますから」

「あ、その、……はい」


 落ち着いた深い声に顔を赤らめると、近くで見守っていた使用人たちも、満足げにニヤつき始めた。


 周囲の様子を気にすることなく、レオンは嬉しそうに続ける。


「ソフィア嬢のお母様方も、まもなくお見えになるでしょう。朝食が終わったら、みんなで出かけましょうね」


 ちょうどその時、食堂の扉が大きく開かれた。


「お話し中恐れ入ります、レオン坊ちゃま」


 部屋に滑り込んできたサラは、足早に主人のもとへ移動し、なにかを耳打ちする。


 レオンは驚いたように口を開けたかと思うと、わずかに表情をかげらせた。


「ソフィア嬢、少し予定が変わりそうです。私は先に出ますが、詳しくはサラがご説明いたしますので」


 ナプキンで口元を拭うと、護衛騎士はそのまま部屋から出ていってしまう。


 訳もわからぬまま自室へ連れ戻されたソフィアは、混乱しながらもサラにドレスをぎ取られていく。


「王太子殿下が、こちらに向かわれているとのことです」


 コルセットを手際よく締め上げつつ、サラは呟いた。


「立ち会う必要はありませんが、念のため着替えておきましょう」


 イザベラはそれを手伝いながらも、面白くなさそうに頬を膨らませている。


「私は反対です! 王太子殿下の婚約者候補は、あのワガママ娘……失礼。モンドヴォールのステファニー様ですよ? 容姿が似ているとはいえ、ソフィア様のほうが何倍も素敵です!」


 こちらが照れてしまいそうなことを、彼女は鼻息荒く言い切った。


「王太子殿下と対面したとして、そこでソフィア様を見初められでもしたら、坊ちゃまはどうなさるおつもりでしょうか?」


「余計なことは考えない! 私たちはただ、ソフィア様のお支度を間に合わせるだけよ」


 サラは華奢な靴を軽く拭きあげてから、それをソフィアにまとわせた。色とりどりに描かれた、花模様の刺繍がかわいらしい。


「ええ、分かってますとも! せめてステファニー様と間違えられないように、ソフィア様の良さを引き出してやりますよ。全力でね!」


 ぺろりと舌をのぞかせたイザベラは、力強くメイクブラシを握りしめる。

 そして、いつも通りのすさまじい手捌てさばきで、ソフィアの顔を完璧に仕上げたのだった。


 全ての準備が終わったころ、ジラール別邸を訪れた王太子は、まっすぐにソフィアの部屋へとやってきた。


 イザベラたちは心配そうにこちらを見つめながらも、レオンの指示に従い、部屋から下がっていく。


 不安がらせて申し訳ないが、ソフィアが“公爵令嬢の身代わり”をしているとは知らない彼女たちを、この場にとどめるわけにはいかない。


 ソフィアは心の中で謝罪しながら、王太子に向き合った。


 口を真一文字に結んだまま、しばらく黙り込んでいた青年は、唐突に声を放つ。


「ずいぶんと、めかしこんでいるんだな。ステファニー!」


 腕組みでのけぞる王太子に面し、ソフィアはしずしずと頭を下げた。


「御不快な思いをおかけし、誠に申し訳ございません」

「いや、そうではない! その」


 どぎまぎしていた王太子は、長いため息をついてから、吐き捨てるように続けた。


「……よく似合っているぞ。なぁ、レオンっ!?」

「ええ。とてもお美しいです」


 薄目で微笑むレオンの表情に、既視感を覚える。


 この顔、夢で見た気がするわ。うっすらとした記憶を、必死に辿っていく。


 いったいどんな夢だったかしら?


 ソフィアが護衛騎士と視線を交わしているのを、王太子はいぶかしげに見つめたまま、再び口を開いた。


「休暇を楽しんでいるようだな」


「はい。自然に囲まれて、ゆっくり過ごすことができています。殿下はいかがお過ごしでしたか?」


「そうだな、まぁ色々なことがあったが」


 眉をひそめながら、それでいて穏やかな声で王太子は呟く。


「あの狩猟大会から、多くのことが変わった。そなたも王都に戻れば、きっと驚くであろう」


 ソフィアはふと思い出す。狩猟大会で王太子は、“聖女”リリーと初めて顔を合わせたのだった。


 かつての世界で、婚約者同士となった二人。この世界でも、もともとリリーは王太子に惹かれていたようだったが、狩猟大会のあとに届いた手紙からは、その想いがいっそう強まったことがうかがえた。


 では彼は、運命の相手との出会いを、どのように感じたのだろう。


「殿下。会場でご紹介した女性……リリー・ラ・オクレールのことを覚えておられますか?」


 ソフィアの問いに、王太子はなぜかうんざりとした表情を浮かべる。


「そなたが王都を離れたあと、フリオン家とその居候いそうろうからは、しつこいほどに書状が届いているのだ。特にオクレールの娘は、我々の身を案じる内容や、私を褒めちぎるような言葉の数々をびっしり記していて」


「……殿下。もしかすると、それはリリー様からの恋文ではありませんか?」


 どうやら図星のようだ。ばつが悪そうに、彼は視線を逸らしてしまう。


「おおかた侯爵の差し金だろう。自分の娘では力不足だと、ようやく気付いたらしいしな」


「なにをおっしゃいますか。リリー様の好意は、もっと純粋なものだと思いますよ?」

「ハッ! 『好意』だと?」


 王太子はあおるような笑顔で、ソフィアを見下ろした。


「聞いて呆れる。フリオンの娘は、王太子妃の座が望めないと知り、今度は第二王子フィリップにすり寄っているのだぞ? あいつらは一族の人間を、一人でも多く王族へ嫁がせたいだけだ」


 おかしいわね。想像していたよりも、彼はリリーに好感を抱いていないらしい。


「だいたい、なんなんだ? あの無遠慮な女は。返事も出していないのに、一方的に文を送り続けるとは」


「仮に侯爵の指示だとしても、リリーはかわいらしい子ですし、殿下の好まれる容姿ではありませんか?」

 

「さあ、どうだったか。あの混乱の最中だぞ? ろくに顔も思い出せない」


 なんともぶっきらぼうに、王太子は吐き捨てたのだった。


 過去の世界で、王太子とリリーはたちまち恋に落ちた。この世界でも当然のように、すぐ結ばれると思い込んでいたのだが。


 うまくいっていないのだとすれば、改めて二人を会わせる機会を設けなければならない。


 ソフィアの計画では、リリーを王太子の婚約者に据えるのが、当面の目的だった。


 二人が結ばれた場合、ステファニーは王太子妃候補から外されることになる。そうすればステファニーが処刑される未来、ひいては自分が殺される結末も回避できるだろう。


 それになにより、王太子は心から愛したリリーと、今世でも一緒になれるのだ。


 だが社交のシーズンではない今、二人をどうやって引き合わせればいいのだろう。


 慎重な面持ちで悩むソフィアの顔を、王太子はゆっくりのぞき込む。


「そなたは、あの娘が気にならないのか。フリオン侯爵令嬢がようやく去ったところだというのに」


「気になる……?」


 間抜けな声を出したソフィアを、王太子はじろりと睨みつけた。


 私が“ステファニー”であれば、婚約者候補の地位を脅かすリリーの存在は、到底受け入れられるものではないだろう。


 それに今世のステファニーも、失踪するまでは確実に、王太子に惹かれていたのだ。


 リリーに対して、拒絶の意思を示してもいいだろうが。


「全ては、王太子殿下のお心次第ですから」


 ソフィアの毅然きぜんとした態度に、王太子は少なからず衝撃を受けたようだった。


 この言葉に嘘はない。未来を知る“身代わり令嬢”としては、婚約者の地位に執着すべきでないと思えるからだ。


 なんせ彼は、自分の心が『リリーだけのもの』と告げるほどに、彼女を愛していたのだから。


「ステファニー。今日はそなたに会うために、ここへきた。大事な話をしたい」


 シルバーグレーの瞳が、こころなしか揺らめいている。


「どのようなご用向きでしょうか」

「それは、だな」


 彼が言いあぐねているうちに、部屋の扉が静かに開き、近衛服姿の兵士が姿を現した。


「ご歓談中に失礼いたします、ルイス王太子殿下!」

「なんだ、騒がしい!」


 水を差された王太子は、不機嫌を隠すこともなく噛みついていく。


「早馬がありました。先王陛下が身罷みまかられたとのこと。急ぎ、王城へお戻り下さい!」


 想定外の知らせに、部屋じゅうがしん、と静まり返る。


 真顔になった王太子は、無言で部屋を飛び出していった。レオンも彼に張りつくように、後ろを追いかけていく。


 入れ違いで部屋にやってきたイザベラは、不思議そうな顔でソフィアのもとへ駆け寄り、きゅっと両手を握りしめてくれた。


「大丈夫でしたか? ええと、王太子殿下はもう帰られるのでしょうか。予定通り、ピクニックには向かえますかね?」


 ソフィアは静かに首を振る。


 レオンとの約束は果たされないまま、別邸での夏休みは、終わりを迎えたのだった。

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