102 ある兄弟の大尾
こちらは番外編で、主人公ソフィアの兄・エリアス目線の過去編となります。
103話から本編に戻ります。
三つほど歳の離れた妹は、働き者で気立てもよく、母が亡くなってからは家族の支柱になってくれていた。
そんなソフィアは、今年の春ごろから住み込みの仕事に就いている。下町で働くよりも、はるかに高い賃金を得ることができるというのが理由だった。
ちっとも家には帰ってこないが、奉公先の公爵家では、親切にしてもらっているらしい。
同じ年頃の公爵令嬢が優しいという話や、貴族の邸宅で働くにふさわしい行儀作法を教わっていることなど、手紙からは元気そうな様子が伝わってくる。
辛い時もあるだろうに、そんなのはおくびにも出さない。それがあいつの良いところであり、悪いところでもある。
だからこそ、俺たち家族はソフィアが無理をしていないか、そばで見守り続けてきたのだが。
「どうしたの、エリアス兄さん?」
久しぶりに会った妹は、花のような笑顔で微笑みかけてくる。
俺と同じ黒髪も、すみれ色の瞳だって、なに一つ変わらないはずなのに。
なぜだか一緒に暮らしてきたソフィアとは、別人のように見えた。
建物の外では、狂ったように強い風が吹いている。まるで、騒がしい胸の内がそのまま現れているかのようだ。
違和感の正体がなんなのか分からないまま、俺は胸元に隠していたネックレスを、そっと握りしめた。
そもそもこの再会は、事前に予定していたものではない。今日は弟と一緒に、王都にほど近い街を訪れていたのだが。
「ねぇ。あそこにいるの、姉さんじゃない!?」
ケビンは買ったばかりの筆記具を握りしめたまま、声を上げる。
視線の先を辿っていくと、使用人らしき少女を伴ったソフィアが、高級宿に足を踏み入れようとしていた。
「ソフィア……なのか?」
にわかには信じられなかった。突如姿を見せた妹は、まるでどこぞの貴族のように、美しいドレスに身を包んでいたのだから。
俺たちに気づいたソフィアは、少し驚いたような表情をのぞかせてから、ゆっくり視線を逸らした。
「背後から失礼いたします。お二方は、ソフィア様のご兄弟でいらっしゃいますか?」
いつのまに、こちらへやってきたのか。先程まで妹に寄り添っていたはずの少女が、ケビンと俺の後ろに立っていた。
ずいぶんと幼く見えるが、れっきとした公爵家の勤め人なのだろう。凛とした立ち姿からは、彼女が真摯に働いていることがうかがえる。
「ソフィア様はこれから、お嬢様の名代として面会を控えていらっしゃいます。恐れ入りますが、別室にてお待ちいただけますでしょうか?」
短い髪がさらりと頬に落ちる。ソフィアとは違って、青に輝くブラックヘアーだ。
それから使用人の少女は、俺とケビンを宿屋の一室に案内した。
宿賃の相場など知りもしないが、ここがとんでもなく高い部屋であろうことは分かる。
必要がないほどに、たくさん用意された照明器具。よく分からない陶器の置き物や、重っ苦しい日除けの窓掛け。
それらの全てが、生きていくために必要なものではないことを、貧乏暮らしの俺はよく理解していた。
どれか一つでも壊せば、大変なことになるに違いない。
だからソフィアがくるまで、俺は緊張しきりだったのだが、ケビンはひとしきり部屋で暴れ回ったあと、遊び疲れて眠ってしまった。
「それにしても。二人とも、元気そうで安心したわ」
ようやくやってきたソフィアは、口を開けたまま寝ているケビンをなでながら、嬉しそうに呟く。
「そういえば、なんであんなドレスを着てたんだ?」
高そうな調度品に居心地の悪さを覚えながら、俺は質素な平民服姿に戻った妹に尋ねた。
「さっきも話したじゃない! お嬢様の代わりに、人と会わなきゃいけなかったんだって」
ソフィアは微笑みながら、こちらへ歩いてきた。
一浴びしてからここへきたのだろう。軽く結わえた髪は、まだ水分を含んでいる。
後れ毛がぺったりと首筋に張りついて、それが妙に艶めかしく見えた。
「まさかとは思うが、お前……変な仕事をしてたりしないよな?」
「変な仕事ってなあに?」
「俺は真面目に聞いてるんだ!」
くすくすと笑う妹に向かって、声を荒げる。
こんなことを言い出したのは、先ほど見たばかりの光景が、脳裏に焼きついていたからだ。
高級宿の入り口で、ソフィアを迎え入れた男性。“代理の仕事”のお相手は、馴れ馴れしく妹の腰を抱き、そのまま宿の一室へと消えていった。
「やぁだ。怖い顔しちゃって」
ちっとも変わらない笑顔に、俺の胸はざわつく。
的外れな質問だとすれば、こいつはおどけたりなんかしないだろう。
そう、いつも通りのソフィアなら、はっきりと否定したうえで、怒りの感情をあらわにしたはずだ。
「いいか、悪いことは言わない。このまま家に戻ってこい」
強引に腕を握りしめたが、妹は微笑んだまま首を傾げる。
「なぜ? 私が働いたら、二人とも助かるでしょう?」
「そりゃあそうだよ。でもそれでお前が傷ついてるなら、俺たちはちっとも嬉しくないんだぞ」
「兄さんは、私が傷ついてるように見えるの?」
張りついた笑顔が痛々しくて、気がつけばソフィアを抱き寄せていた。
小さな身体は抵抗することなく、腕のなかにすっぽりとおさまる。
「詮索はしない。だから、黙って俺の話を聞いてくれないか?」
妹は少ししてから、小さく頷いた。
風はさらに勢いを増しているようで、外の枝葉が、部屋の窓を打ち続けている。
これを話せば、ソフィアは幻滅するかもしれない。けれども壊れた妹を止めるには、黙っていたことを打ち明けるしかないように思えた。
「これ以上、俺とケビンのために働く必要はないんだ。だってお前は、俺たちと血が繋がってないんだから」
「……え?」
「覚えてないだろうけど、父さんがソフィアを引き取ったんだよ。まだ、お前が生まれたばっかりの頃に」
ソフィアは混乱しているのか、微動だにしない。一体どんな表情をしているか、のぞき込む勇気はなかった。
「証拠だってある」
俺はソフィアから離れると、胸元に隠していたロケットペンダントを引き出した。これは母さんが、死の間際に託してくれたものだ。
このペンダントが、ソフィアと本当の母親を繋ぐ、唯一の手がかりだった。
「ここに、お前の母親の絵姿が入ってる。名前もだ。渡すのが遅くなって、本当にごめん」
しゃらりと手のひらに置くと、妹は遠慮気味にそれをつまみ上げた。
中を見れば、ソフィアも納得するだろう。なぜならここに描かれた女性は、ソフィアに似た特徴をいくつも持っているのだから。
「本当に申し訳なかった。許してもらえないかもしれないが、手伝わせてくれないか? 本当の親探しを」
「……兄さんは、私が家族じゃないほうがいいの?」
なぜかロケットを閉じたまま、ソフィアはうめくように呟く。
「そんなわけないだろ! 俺は、……」
本当は母さんが死んでから、すぐにでも真実を打ち明けるべきだった。
うちには養ってくれる大人もいなければ、こいつにおしゃれをさせてやる余裕すらない。
本当の家族のもとへ帰すのが、妹にとって一番だと分かっていたはずなのに。
どうしてもそれができなかったのは、ただ俺が、ソフィアと離れたくなかったからだ。
「お前と一緒にいたいから、嘘をついた。ごめんな? 最低な兄貴だよ、俺は」
言い終わる前に、ソフィアは俺をがばりと抱きしめた。
「ソフィア!?」
「兄さんは最低なんかじゃない」
か弱い声で、けれどもはっきりと告げる。
「このままでいいのよ。私の家族は、兄さんとケビンだけだもの」
ソフィアが頭をすり寄せると、甘い石けんの香りが鼻をかすめて、胸がどきりと跳ねた。
「やめろよ! 俺らはニセモノの兄弟なんだ。血の繋がった家族のところへ、お前は帰るべきだろう!?」
強引に引きはがすと、ソフィアはキッとこちらを睨みつける。
「じゃあ、ほんとの家族になればいいじゃない!」
「!?」
なにが起こったのか、すぐには理解できなかった。気づけば柔らかい唇が、俺の口を塞いでいる。
「や、めろ。ソフィアっ」
「んんっ……」
決して愛情からのキスではない。俺たちを引きとめるために、こいつは必死になっているだけだ。
なのにソフィアは、すがるように何度も口づけを落としてくる。
「んぅ……っはぁ……」
甘い吐息が唇をかすめて、全身がたぎるように熱くなる。
こんなものに応えてはいけない。けれども。
本当は思いきり抱きしめて、そっとキスを返したかった。
初めて出会ったその日からずっと、俺はソフィアを、たった一人の特別な女の子だと思ってきたのだから。
「……本当の親を探したくないなら、それでもいいよ」
わざとぶっきらぼうに言い捨てて、距離をとる。
「でも兄妹でいたいなら、こんなのは二度とするな。俺も、今日のことは忘れるから」
「……分かった。ごめんなさい、兄さん」
あっさりと受け入れられたことに、勝手ながら傷ついてしまう。
そして愛情がなくても、あんなことをできるように妹を変えてしまった男どもが、何人もいるのかもしれない。そう考えると、大声で叫び出してしまいたいくらいに腹立たしかった。
「それ、なくさないようにしろよ」
ふつふつとした思いを必死に抑えながら、ロケットペンダントを指差す。
「うん。ちゃんとつけておくね」
いつしか小雨も降り始めていた。じきに止むだろうが、しばらくはここで休ませてもらったほうがよさそうだ。
「そういえば、俺のあげた『お守り』はどこへやったんだ?」
ペンダントを迷わず首に提げたソフィアへ、何気なく問いかける。
「ああ! 今日はドレスだから、お屋敷に置いてきたの」
「うん?」
「だって、ドレスにポケットはないじゃない。カバンだって持ってないし。ネックレスだったら、兄さんみたいにこっそりとつけてられたのにね?」
ソフィアがくるりと一周してみせると、胸元でロケットペンダントがきらめいた。
再び出現した均一的な笑顔に、背筋が寒くなる。これがソフィアだったら、絶対にこんなことを言うはずがない。
ソフィアの本当の家族との繋がりを断つために、かつての俺は、このペンダントを必死に隠そうとした。
奉公に出ると聞いた時も、手渡すべきか改めて悩んだが、俺は結論を先送りにしたのだ。
そして、後ろめたい気持ちをごまかすように、別の贈り物を用意した。“俺の妹”として、縛りつけておくために。
「誰だお前は」
「どうしたの、兄さん?」
純朴そうな瞳で、妹そっくりの誰かがこちらを見つめている。
「やめろ。これ以上、ソフィアの真似をするな!」
短く叫ぶと同時に、首元へ衝撃が走った。
「なっ……えぇ……?」
なにか細長いものが、喉に突き刺さっている。たまらずその場に崩れ落ちると、体温のない声が頭上から降ってきた。
「なんで分かるのよ、ソフィアじゃないって」
「気づかなければ、もう少し長く生きられたのに。その男もこの子も、災難でしたね」
「これ以上『妹』のふりをしても、有力な情報は得られないでしょう。好きにしていいわよ、アンヌ」
いつのまに部屋へ入ってきたのか、使用人の少女は、指の間にいくつも挟んでいた短剣を手際よく片付けると、足早にベッドへと近づいていく。
「ケビ……ン……っ!」
必死に声を絞り出したが、すでに手遅れだった。
鶏を捻り潰すような鈍い音とともに、弟の首が不自然に歪むのを、見つめることしかできなかった。
「あぁ……うあぁあ……」
むせ込んだ途端に、喉の奥から大量の血が溢れ出す。
「あら大変。これじゃあ血の跡が残るわね、アンヌ」
「大丈夫です。シミ一つ残しませんから」
二人は苦しんでいる俺のそばで、呑気に談笑を始める。
妹と同じ顔をした女は、ソフィアとどういう関係にあるのか。
なに一つ分からないが、こいつが人殺しも厭わない悪女だということは明らかだった。
ごめんなぁ、ケビン。守ってやることができなくて。
ソフィア。ソフィアは大丈夫なのか? 気遣い屋で努力家の、俺の大切な妹。
こんなところで終わるわけにはいかないのに、先ほどから全身の震えが止まらない。だんだんと視界も朧げになってきた。
せめて。せめてあの悪女がこれ以上、俺の大切なものを奪っていかないようにしなければ。
最後の力を振り絞り、首元に刺さっているナイフを握りしめた。
「それにしても、こんな物があったなんて」
ステファニーはロケットを開き、にたりと口角を上げる。
「これさえあれば、私は計画通り、ソフィアに成り代われる。ああ『兄さん』! 今日まで隠し持ってくれていたこと、本当に感謝しているわ。ありがとう! ……ねぇ、聞いてる?」
「ステファニー様。その男は、すでに亡くなっております」
「そう……つまらないところは、兄妹そっくりじゃない」
ステファニーが青年の腕を蹴り上げても、その左手は首筋に刺さったナイフの柄から、離れることはなかった。




