99 大好きな家族たち①
ソフィアが目を開くと、真っ先に小花柄の天蓋が飛び込んできた。
どうやら、あれからずっと眠ってしまっていたらしい。朝明けの穏やかな光が、部屋中を東雲色に染め上げている。
ソフィアはゆっくり体を起こす。ここまでどのように運んでもらったのか、あまりよく思い出せない。
一晩休んでいたおかげで、気分はすっかりよくなっていた。
まだ目覚めていない山の麓は、すっぽりと深い霧に覆われている。
ソフィアは窓辺に近づき、ほう、とため息を漏らした。薄紫を帯びた雲海には、橙色の粒が絡まり、きらきらと輝いている。
こんなに素晴らしい景色を、下町では到底拝むことができない。夜と朝方を繋ぐ幻想的な色合いは、何度見ても美しいものだ。
窓を開くと、湿った空気が一気に滑り込んできた。土と草の香りが混ざった、爽やかな風がネグリジェを軽快に揺らしていく。
清涼な空気をいっぱいに浴びつつ、ソフィアは記憶を辿る。
着替えを手伝ってくれたのは、サラとイザベラよね? でもここまで連れてきてくれたのは、レオンだったはず。
護衛騎士の険しい表情を思い返し、ソフィアは頭を抱えた。
辛い過去を思い出したからといって、食事中に倒れてしまうなんて! さすがのレオンも呆れていたに違いない。
他のみんなにも、迷惑をかけてしまっただろう。なんて弁解すればいいのかしら?
ソフィアが一人で唸っていると、ドタドタと忙しない足音が近づいてきた。
「ソソソソソフィアさまーあぁ!」
盛大に扉を開いたイザベラは、激しい息遣いのまま叫んだ。
「一大事です!!」
「イザベラさん! 昨日はご心配をおかけしました。もう元気になりましたので」
「快復されましたか!? よかったです!」
それでも彼女は不安そうで、私の体を上から下までこねくり回したあと、ようやく満足げに頷いた。
「失礼致します、ソフィア様。病み上がりのところ大変申し訳ないのですが、すぐにこちらへお召し替えなさってください」
遅れて部屋にやってきたサラは、ペールオレンジのラウンド・ガウンを、素早くソフィアにまとわせた。
「ところで、“一大事”というのは?」
「ああっ! そうでした。急がなければ、決闘が始まってしまいます!」
「けっとう?」
支度を終えたばかりのソフィアを急かすように、イザベラが背中を押してくる。
「ええ。ソフィア様のお父様が、決闘を申し込まれたのです。レオン坊ちゃまに」
サラが放った言葉を理解するのには、少しばかり時間が必要だった。
父さんが? 子爵令息相手に、決闘を申し込んだっていうの?
「……はあああああぁー!?」
意識を失っている間に、いったいなにがあったというのか。朝の静寂を破るように、ソフィアの絶叫が響き渡った。
決闘の舞台に選ばれたのは、ジラール別邸の中庭。両者が剣を携えた状態で、すでに向かい合っている。
「こっちから言い出しといて、なんなんですが。俺はお貴族様じゃないから、決闘の伝統とかルールとか、そんなのちっとも知らないんですよねぇ」
左腕をぐるぐると回しながら、ソフィアの父は口角を上げた。
「難しいことはありません。互いに信念を貫き、誠意をもって相手に向き合うだけですから」
レオンは細い息を吐き、慎重に武器を手にとる。
「俺だって、君が悪い奴じゃないってことぐらい、分かってるんだよ」
護衛騎士に応えるように、ソフィアの父は腰を低く落とし、脇の横で剣を構えた。
「ただやっぱり、父親としては心配なもんでね。あの子を護れるぐらいの器量はあるのか、一つ試させてもらいますよ」
「……この間までは、私もソフィア嬢を守りたいと、そう思っていました」
「んあぁ?」
レオンの後ろ向きな呟きに、高圧的な声が被せられる。
「けれどもそれは、烏滸がましい考えでした。ソフィア嬢は、一人でも生きていけるほどに立派な女性です。私だって、何度助けられてきたか分からない」
ソフィアの父は戸惑いながらも、青年の発言を待っている様子だ。
「でも、だからこそ彼女は、全てを抱え込んでしまう。昨日のことだって、本当はなにか事情があるはずです。なのにソフィア嬢は、気軽にそれを打ち明けてはくれないでしょう」
「まぁあいつは、頑固なところがあるしな……」
「ですからせめて、彼女の一番近くにいたいのです。ソフィア嬢が助けを求めた時、手を差し伸べられる相手が私でありたい。ただそれだけです」
レオンは両手で剣を握り、体の前に掲げた。
「そのために必要であるのなら。この勝負、喜んでお受けいたします」
「……なかなか、いい眼をしてるじゃねぇか!」
歯を見せて笑うソフィアの父と、レオンのそばに立会人らが集まる。
「構え!」
決闘責任者の短い掛け声が放たれた、ちょうどその時。
「なにしてるのよ、二人とも!?」
使用人らを引き連れたソフィアが、ようやく中庭に現れたが、すでに戦いの火蓋は切られたあとだった。




