4.弔いと1万年の旅
全知全能、ではないのです。
どころか出来ない事のほうが多いかもしれない。
けれど、だからこそ二人と一人の願いは。
エアとアイはお母さんから一番大切な事を教わります。
それから長い年月をかけて地の果て、海の底、空の向こう、星の世界へ。
二人の魔女は手を繋いで何処までも。
幸いにして私達の頃の噴火は地球を寒くする程のものでは無かった。
やがて別の島から新しく人もやってきて、私達の生活も元に戻って、
これからも母さんと一緒に生きていくんだと思っていた。
けれど星がもう八度回って、成長が18歳で止まった頃にその日は来てしまった。
怪我や病気は私達の魔法で治せる。
けれど母さんの種族の40年に満たない寿命は変えられなかった。
忘れ得ぬ月のない夜。母さんの最期の望みは私達の間で眠りにつく事だった。
その瞬間は安らかではあった。
言葉は使えなくとも母さんが三人一緒で幸せだったと伝わってもいた。
愛と優しさは私達の中で生きている。
けれどそこにあった暖かさは無くなってしまったのだ。
何度も何度も母さんに生き返ってほしいと願った。
けれど母さんの亡骸が朽ちるのを止める事しか出来なかった。
私達は万能でもなければ誰かの運命を捻じ曲げる事も出来ない。
愛する人を蘇らせる魔法でさえ使えないんだ。
私達は互いの痛みと苦しみを消す事も出来なかった。
けれど十回以上太陽と月が回ってやっと願えた。
母さんの事も母さんが死んでしまった悲しみも、絶対に忘れたくないと。
記憶ではなく記録として二人でずっと覚えていたい、
どんなに時が流れても色褪せる事のないように。
時の流れの中でも決して消えないものを私達は願った。
これが私達の言語と文字の始まり。
アイが様々な単語や文法を考えて、
私が私達二人だけの為の文字を作って改良して。
軽くて壊れる事のない板を魔法で作って、母さんの事や私達の悲しみを書き込んで。
見た事感じた事思った事の全てを書き込んだ板が何百枚も貯まって、
私が一枚のエメラルド・タブレットを作ったその瞬間に、
私とアイは「文明」と呼べるものを生み出していたのだと思う。
私達は定命の人々が「サピエンス」として文明を始める先にあった存在、
言わば「先始の魔女」になっていた。
そして私達は母さんがその死を以て教えてくれた一番大切なものを知った。
互いから互いへの想いは私達と母さんが最初から持っていて、
私達の魔法で捻じ曲げられたものでは無かったんだと。
私が私で、アイがアイだからお互いの事が大好きなんだ。たったそれだけだった。
だから私達は誓った。
母さんの思い出と一緒に、これからもずっと二人で自由に生きていくと。
それから、やがて私とアイは思った。
私達を生んでくれたこの世界の果てまで歩いて、その全てを感じてみたい。
見つけたもの聞こえたもの感じたものの全てを記録してみたい。
世界が与えてくれる願いを探り当てたい。色々なものを知りたい。
…もしかすると、いつかまた母さんに会える方法も見つかるかもしれないと。
私達はようやく決意して、母さんを丁重に葬った。
誰にも触れず傷つけられないように、私達二人がこの場所を決して忘れないように。
それから私達の長い旅が始まる。
二人で作った母さんを記憶する「座標」、私達以外には認識できない、
非物質にして永久不変の原点Oを起点に。
初めは二人で手を繋いで島の隅々まで歩いて、辿り着いた海に浸かって。
すぐに水の中でも困らないと気付いて泳いだり海底を歩いたり。
やがて他の島や大陸に辿り着いて、またその隅々まで。
風そよぐ草原、大山脈のてっぺん、陽炎立つ砂漠、風雪が荒れ狂う氷原へ。
地球の驚異は余すところなくこの目で見てこの耳で聞いてこの足で歩いた。
悲しみから始まった記録には、
いつしか私達の喜びや驚きや発見も書き込まれるようになっていった。
鳥と空と天体を見上げて空を飛んでみたいと思ったらあっさり飛べてしまったから、
太陽へと飛んでいったら雲と成層圏を抜けて空の向こうまで辿り着いて。
私達は地球と重力と宇宙の概念を知った。それから月へ、太陽へ。
私達の肉体は原子レベルで傷もつかないし暑さ寒さも意味を成さない。
月面の冷たさも太陽表面の暑さも宇宙の放射線も私達には何も起こさなかった。
その後で変な動きをする星に飛んだ先で惑星と衛星を見つけて。
地球から見える強く輝く星にも行って、その恒星の周りにある惑星にも辿り着いて。
地球外知的生命体にも出会って、先輩である彼女ら彼らに様々な事も教わった。
その言葉や文字を一耳一目ですべて理解できてしまった時は流石に驚いたし、
逆に私達が雑に光の速度を飛び越えた事を苦笑されたりもした。
そうして時々原点Oに帰りつつ世界を、宇宙を彷徨う長い年月が続いて。
経った時間が一万年。
その頃には、私達は定命の人々と同じ世界にいるのは
宜しくないのだと分かっていた。
彼女ら彼らがいつか自分達の足で歩いていけるようになる為に、
私達はアイが見つけた無次元の狭間に引っ越す事を決めた。
時々は故郷のある世界に遊びに行ったり誰かに会いに行ったりする事はある。
けれど新しい原点Oは、これからもずっとこの家だ。私達二人だけの…
……
「でもさ、寂しくないって言ったら嘘だよねエア。…ほら、おいで?」
「…アイ、もうちょっと強くぎゅーってして」
「はいはい、エアは本当に甘えん坊なんだから。そんな所も大好きだよ」
「…うん」
いったん下書きの手を止めてアイに甘える。心臓が動いている音がした。
一万二千年経っても変わらない音を聞くとどうしようもなく心が安らぐし、
何だかんだで双子でも私は妹だなと思ってみたりもする。
一人ぼっちの永遠種じゃなくて本当に良かった。
「じゃあ、一緒にお風呂にでも浸かる? 川、湖、温泉、海、深海、雲海、ガス惑星。エアはどれがいい?」
「温泉にしようか、昔三人で入ってた。せーので切り替えるけど、準備はいい?」
「いつでも大丈夫だよ、エア」
「じゃ、せーの」
私がパチリと指を鳴らして、願ってすぐにこの部屋が120万年前の温泉と同じ空間になる。
昔みたいにお湯に浸かるのだから私もアイも服は脱いでしまう。
二人で手を繋いで温泉に入って、私はアイの白い肩に身を委ねた。