4、炎の魔神と焼き林檎
私はひたすら東に向かって歩いていた。
その方角に私が会うべき人がいると聞いたからだ。
その間、何度も夜が来て朝が来た。
不思議なことにいくら歩いても眠くもならず、お腹もあまり空かない。
気づけば想像よりもかなり長い道のりになっていたが、私はその道中を存分に楽しんでいた。
天気の良い日に柔らかい風を感じながら草原を歩くのは心地良かったし、時折、木々の間を抜けて鳥の声を聞きながら歩くのも、たまに出くわした小川に泳ぐ魚を眺めるのも楽しかった。
時折休憩をするのも自由だし、時には昼寝したりもした。
それを咎める人は誰もいない。
なので、長い旅自体は全く苦にならずとても快適だった。
……が、困ったことに。
私は一向に目的地に辿り着かなかった。
「……方向、間違えたでしょうか……?」
もらったメモのリストに書いてある、私が会うべき人は「東の険しい山の中」にいるらしいので、私はまっすぐそちらに向かってきたつもりだったのだが。
行けども行けども目的地らしき場所に辿り着かないことに焦りを感じつつ、それでも、昇ったり沈んだりを繰り返す太陽を眺めて慎重に方角を確認しながら、歩いていくとやがて私は深い森に入り込んだ。
そこで私は偶然、その中でキラキラと金色に輝く大樹があるのを見つけた。
その木にはたくさんの色艶のいい大きな林檎が実っていて、私はふと「ここにあるものはなんでも食べていい」と言われていたことを思い出し、早速、数個手に取った。
長い旅路でお腹が空き始めていたのもあるが、元々、林檎は私の大好物だった。
世界一好きな食べ物、と言っても過言ではないぐらい。
だから、私は森の中で見つけた瞬間、両手に抱えられるだけもらって行くことにした。
数個の大きな林檎を腕に抱えているだけで、とても良い香りが漂い、歩いていると余計にお腹が空いてくるのを感じた。
でも、私はそのまま数日、歩き続け。
やがて耐え難いほどの空腹感を感じるようになっても、私は一切、その林檎を口にすることはなかった。
時折、できれば今すぐ齧り付いてしまいたい、という衝動に駆られつつ。
それをしたくても、できなかったのだ。
なぜなら、私は────
「────ほう、人間か? 珍しい」
空腹でぼんやりとした頭の上に突然、響き渡った大きな声で私はハッとした。
気づけば辺りの風景は険しい山々で、辺りは硬そうな岩ばかり。
その中でも一際大きい岩の向こうから顔を出した、見上げるような巨体が、炎に包まれながら私を見下ろしている。
「こっ、こんにちは」
驚いて声がうわずったものの、私は慌てて挨拶をした。
どうやら、その炎に包まれた存在は人の言葉がわかる様子だったので。
「……ほう? 見たところ幼いが。ワシの見た目に取り乱したりはせんのじゃな。感心、感心」
私が林檎を抱いたまま小さく頭を下げると、炎に包まれた存在は愉快そうに笑った。
見た目は巨大な悪魔みたいで少し恐ろしかったが、どうやら悪い人ではなさそうだった。
悪い人……というか、どうみてもそれは人ではないように思えたが。
その巨体が纏っている紅い炎は私にとっても少し熱く、肌がチリチリと焼けるようだった。
ともかく、私は思い切って私に話しかけてきた彼に質問してみることにした。
それが私がここに来て初めて出会った、話ができる存在だったから。
「……あ、あの。このあたりに、このお城の従業員の方がいらっしゃると伺ったのですが……もしかして、何かご存知ですか?」
「うむ、城の従業員? それはきっと、ワシのことじゃの」
「えっ」
従業員、と聞いててっきり相手が人だと思っていたが……人じゃなかったらしい。
でも私はこの人(?)への挨拶が目的でここまで歩いて来たことを思い出し、慌てて自己紹介をする。
「私、これからここで働かせてもらうことになったシーラと言います。ど、どうぞよろしくお願いします」
「……なんじゃ、お主、ゼクスの使いじゃったのか。てっきり、どこかから迷い込んだ奴かと思ったが。うむ……? ということは、お主、『時の回廊』をその身で渡ってきおったのか? それで、なんともなかったのか?』
「は、はい。ちょっと耳鳴りはしましたけど……大丈夫でした」
「なるほど。それで、ここの担当にされたのか……お主、まだ若いのに不憫じゃのう? ゼクスの奴、初心者にいきなりキツい仕事を任せおって。あいつは限度というものを知らんからのう」
「……?」
炎の巨人はため息をつくようにして、小さく燃え上がった。
最初は大きさに驚いたが、どうやら見た目より優しそうな雰囲気だった。
「────ま、よかろう。お主にも何か事情があるのじゃろうし。とりあえず、シーラとやら。ワシから、ここまで無事に辿り着いたご褒美をやろう。一つだけ願いを言うがいい。ワシの手でできることなら、なんでも叶えてやろう」
「ね、願いごと、ですか?」
「何じゃ、ゼクスから何も聞いておらんのか……? あいつ、大事なことは何も言わんからのう……その指輪を渡された時、何か言われなかったのか?」
「指輪……? あ、そういえば」
「ワシは今、フリーじゃし、その状態のワシとその指輪を持った人が会うとは、そういうことじゃ。ほれ、なんでも良いから、とりあえず言ってみい?」
とりあえず願いをと言われて、私はかなり困惑したが。
そこで、私は腕いっぱいに抱えたリンゴがあったのを思い出す。
そうして、その人が身に纏っているのは真っ赤な炎。
……それならば。
「……ほっ、本当に、何でもいいんですか……?」
『ああ、そうじゃ────ちなみにな。前にワシに願いを言った者は大きな復讐を成し遂げた後、やがて地上を統べる王となった。ワシの『炎』を貸してやれば、それぐらい、容易いことなんじゃ。それで、お主は我が炎を用い、何を願う? ────権力か? 復讐か?』
「じゃあ。私が持っているリンゴを焼いてもらうことってできますか?」
「ほう、林檎か? そんなこと、ワシの炎を以ってすれば容易いこ……リンゴ?」
炎に包まれた人は私の顔をじっと見た。
「……一応、聞いておくが。お主、その林檎に何か恨みでも?」
「い、いえ。決してそういうわけじゃないんですが……?」
「ま、よかろう。そんな林檎ぐらい、ワシの炎で一瞬にして消し炭にしてくれる」
「……ち、違います! 消し炭にするんじゃなくて、私はただ焼いて欲しかっただけなんです。ちょうどいい火加減で」
「ちょうどいい火加減? ワシ、跡形も無く燃やすのが専門なんじゃが」
「えっ」
私たちはしばし、無言でお互いを見つめ合った。
「す、すみません。ご無理を言ってしまったようで?」
「……いや。もちろん、やって、できんことはないと思うがのう? それが本当にお主の願いなのか?」
「……はい。できれば、私の持っているこの林檎を『焼きリンゴ』にしてほしいんです。そうすればきっと、私はこれを食べられるようになると思うんです」
「焼きリンゴ」
炎に包まれたその大きな人は、しばらく私の顔と、私が持っているリンゴを交互に見つめた。
「……率直な疑問なんじゃが。食うなら、そのまま食えばよかろう? 歯があるんじゃし」
「で、でも……私、生の林檎のシャリシャリ感が苦手で」
「シャリシャリ感」
「はい。リンゴ自体の味や香りは大好きなんですけど……いえ。この世で一番好きな食べ物が何かって聞かれたら、私は絶対に林檎なんです。でも、あのリンゴ特有のシャリっとした感じがどうしても苦手で」
「まさか、そんな理由でわしとの『契約』を?」
「は、はい。まずいでしょうか? あのシャリシャリ感さえなくなれば、私はこれを口にすることができるんですが」
「シャリシャリ感」
私たちはしばし、無言でお互いを見つめあった。
「……や、やっぱり、だめでしょうか……?」
「いや、お主が本気でそれを願っているのなら、無論、いいんじゃが……もしそれが『契約』だとするとワシ、本当にそれ以外やらなくなるぞ?」
「も、もちろん。それでいいんです。私は本当にそれだけやってもらえれば十分ですから……!」
「……マジで? 本当にいいの? それで?」
「……は、はい……! お、お願いします……!」
ついに空腹に耐えかねた私の腹がグゴギュルル、と鳴る。
「……ま、よかろう。本当に一度願ったらそれっきりじゃからな? やり直しはもう、二度とないからな?」
「はい。大丈夫です」
「よかろう。では、その衣服の中にある、赤いやつをワシに掲げよ」
「あ、はい。この指輪のことですね……? あっ」
私が赤い石が嵌った指輪が取り出した瞬間、指輪が赤く光って熱を持った。
でも、それはほんの一瞬のことで。
「これで我との『契約』は成った。では、ゼクスの僕、シーラよ。古の契約に基づき、これより我が炎を用いて、最高の『焼きリンゴ』を作ってしんぜよう」
そう言って山のような炎が、さらに大きく燃え上がった。
◇◇◇
「────はふっ!! 熱っ!! と、とろ甘……お、おいしい……!! すごく、美味しいです……!!」
そうして、私はしばらく林檎がジュージューと焼ける音を聞いて待った後。
熱々の焼き林檎を口いっぱいに頬張っていた。
「……のう? それはいいが、流石にそんなに一気に詰め込んだら火傷するのではないか? もう少し、冷ましてから食べたらどうじゃ……それ、まだ溶けた鉄ぐらいの温度はありそうじゃぞ」
「……だ、大丈夫です。ちょっとぐらいの火傷なら、私、すぐ治りますので……ングっ」
「どうやら、なかなかの人生を送ってきたようじゃの。じゃが、喉に詰まらせないよう気をつけるんじゃぞ?」
「は、はい……はぐっ!」
ひたすら焼けたリンゴを口に詰め込む私を、林檎を焼いてくれたその炎はじっと見守っていた。
「本当に、林檎が好きなんじゃな?」
「はい……あのシャリシャリ感さえなければ、私、林檎なら幾らでも食べられるんです。それぐらい、好きなんです。でも、その代わり、私、ここまで生きてきて、そんなに苦手な物ってないんですけど……あのシャリシャリ感だけは一生、許せないと思います」
「そんなに?」
「そんなにです」
そんな会話をしつつ、私は最初の一個を食べ終えた。
「……ふぅ。すごく……美味しかったです。本当にありがとうございます」
「うむ。それは良かった」
「では、すみませんが次をお願いします」
「ん? 次?」
私が次に焼いてもらう林檎を差し出したところ、私たちはまた目を見合わせた。
「……あ、あれ? 一個だけってお話でしたっけ? す、すみません……それなら、諦めます」
「いや。別にそういう約束はしておらんが。ワシはただお主に『リンゴを焼く』という契約をしたまでじゃ」
「じゃ、じゃあ……もう一個、追加でお願いしてもいいですか?」
「うむ、わかった。じゃが、もう一個と言わず、あるだけ焼いてやろう」
「あっ、ありがとうございます!」
そうして、その炎は再び、ジュージューと香ばしく林檎を焼き始めた。
程なくして、私の前に甘い香りがするとろけた果実が差し出される。
「さ、最高です!! はふっ!!」
「……どうじゃ? 美味いか?」
「は、はい……! ングっ」
そうして私は次々に差し出される焼き林檎を次々に平らげ、全てのリンゴを食べ切った。
あれだけ長い間我慢して持ち歩いていたというのに、食べ切るのはあっという間だった。
少し名残惜しく思うが、私は少しの間に随分と膨らんだお腹をさすりつつお礼を言った。
「……ふぅ。ありがとうございます。本当に、生き返りました」
「うむ。どうじゃ、これで満足したか?」
「はい。食事だけでこんなに幸せな気持ちになったの、生まれて初めてかもしれません」
「そうか? まあ、そう言われると悪い気はせんわい。しかし……あの林檎、少し変わった見た目じゃったのう。十分に火を通すまでワシでも結構苦労したし、どう考えても普通のリンゴじゃなかったのう」
「……そうなんですか? ゼクス様からはここにあるものはなんでも食べていい、って言われてたので……持ってきたら、まずかったでしょうか」
「いや。あいつが良いと言えばワシが言うことはないわい。ここにあるものは大体全部、あいつのモノじゃしな」
「そうなんですか」
気づけば辺りはもう夜になっていた。
私はそこから見える限りの平原と森、山々を見渡した。
これを全て所有している人がいる、というのがどうも実感が湧かなかった。
「……あ、そう言えば。まだお名前、伺ってませんでしたね?」
「ん、名前? なんじゃ、わしの名が必要か?」
「はい。知らないと、呼ぶとき不便じゃないですか?」
「……うむ。そういえばそうじゃな。なら、せっかくじゃし、お主にはわしの『真名』を授けよう。お前さんなら、特に変なことにはならんじゃろ」
「……『真名』?」
「我が名は『ヴェルギリウス』。困った時は我が名を呼ぶが良い」
「わかりました、ヴェルギリウスさんですね。今後とも、よろしくお願いします」
「うむ。こちらこそ、じゃな」
私が小さく頭を下げると、彼を包んでいた炎が暖かく燃え上がった。
「……そういえば私、これから、別の方にも挨拶にいくことになってるんですが」
「お前さんが持っている指輪の数を見ると、そうらしいのう」
「私が次に会いに行くのは『氷皇女』さん、という方らしいのですが……何かご存知ですか?」
「……ああ。あいつか。確かに知っているといえば、知っておるが」
『氷皇女』という名前を聞いて、少しだけ彼の炎が萎んだように見えた。
「とりあえず、あいつの居場所は『氷の館』と言って、ここから北に行ってそんなに遠くはない所にある。そこだけ不自然に吹雪が舞っているから、きっと行けばわかるじゃろ。奴はその中心に住んでおる」
「な、なるほど……ありがとうございます。やっぱり、お知り合いなんですね?」
「まあ、あいつとは随分古い付き合いじゃからのう……ま、そんなに深くは知らんがな。ワシ、あいつのこと嫌いじゃし」
「は、はい……?」
「しかし、いきなりあんな奴に挨拶させられるなんて、不憫じゃのう……? あの氷女、ワシと違って気難しくて危ない奴じゃから、気をつけるんじゃぞ? もし何か乱暴なことをされたらすぐ、ワシの名を呼ぶがいい」
「……は、はい、わかりました。ありがとうございます……?」
私は一息ついて服についた埃を軽く払うと、腰掛けていた小さな岩から立ち上がった。
「それでは、もう行こうと思います。おかげさまでお腹いっぱいになりました」
「そうか……じゃあ、食後のサービスとして道案内ぐらいはしてやるかのう」
その人が片手を軽くあげると、小さな火がぽつぽつと、まるで一本の長い道を作るようにして灯った。
「この炎に沿って真っ直ぐに歩くがいい。辿って行けばいつかはあの女の所に辿り着けよう。あいつが住む場所は寒いから、風邪を引かぬよう気をつけて行くんじゃぞ」
「はい。ありがとうございます、ヴェルギリウスさん」
私が御礼を言うと炎に包まれた大きな人は愉快そうに笑い、炎で明るく道を示してくれた。
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