3、思ったより広かった天空城
昨日の夜、ちっぽけな点にしか見えなかったお城は、信じられないぐらいに広かった。
「……すごい。こんなに……?」
純白の石で作られた廊下を進んでいくと、お城の中だというのに、森がある。
そこには透明な水の川が流れ、魚がきらきらと鱗を光らせており。
図鑑でも見たことのないような色とりどりの花が咲いていて、豊かに生い茂った木々の上では鳥がさえずっている。
どうやら、小さな動物だけでなく鹿や猪のような生き物もいるようだった。
遠くから何頭かの鳴き声が聞こえ、姿も木々の間からチラリと見ることができた。
「……これって、お城の中ですよね?」
「ああ、そうだ」
「このお城、随分、広いんですね。少し驚きました」
「ああ。この城は外からは小さく見えるが、実際は見た目よりも広い。はぐれて迷うなよ」
「……小さく? このお城って、実際はどれぐらいあるんですか……?」
「それなりの大きさがある。面積で言えば、地上で一番広い大陸のちょうど半分ぐらいにはなる」
「……大陸の、半分?」
私にはこのお城が小さくなんて見えなかったので思わず聞いてみたものの、聞いたところでわからなかった。
そもそも地上で一番広い大陸、というのが想像がつかない。
「あ、それと。そういえば……これから、何とお呼びすれば? ゼクス様、でいいですか?」
「……? お前の好きに呼べばいいが、別に、様はいらん。この城に上下関係を気にする奴などいない」
「でも、このお城の主人だと伺いましたし……やっぱり、『ゼクス様』でいいですか」
「お前がそう呼びたければ、そうすればいい」
「わかりました。じゃあ、そうします」
私たちが何度か会話をしながら、その終わりがないように思えるぐらい長い廊下を進んでいくと、やがて明るい場所に出た。
庭園のようによく手入れされた木々の中に高い塔のような建物が立っている。
「……塔?」
空の上のお城の上だというのに、その塔はあまりに高く聳え立っていた。
外からはあんなもの、見えなかったような気がする。
それにしても、あれはいったい、どこまで続いているのだろう。
見上げてみても、まるで先が見えない。
私は色々な疑問を頭に浮かべたまま、その塔の中に案内された。
そうして、またもや外よりも広く見える塔の内部を進んでいき、その中心部らしい大きな部屋に通された。
「ここでまず、お前の適性をテストする」
「テ、テストですか?」
「ああ。この先、任せた仕事でうっかり死なれてしまっても困る。この城の中には、危険な場所もいくつかあるのでな。お前に何ができて、何ができないのかを見分ける作業は重要だ」
「は、はい。わかりました」
「では、ここに手を置いてくれ」
「……こうですか?」
「ああ、そのまま動くなよ」
塔の中央にあった台座に大きな水晶のようなものが嵌っていて、私は言われるままそこに手を置いた。
瞬間、文字のようなものが宙に浮き出て、私をここまで連れてきたゼクス様はそれを読んでいるようだった。
この広い部屋の中にはどうやら、とてもたくさんの本があるようだった。
円形の空間の壁はぐるりと本棚で覆われており、そこには色々な背表紙の本が所狭しと並べられている。
私がその膨大な量の本が詰まった本棚に気を取られ、思わず見とれていると。
「なるほどな。よし、わかった。もう手を離していい」
「も、もうですか?」
試験と聞いて身構えていたが、その試験はあっさり終了した。
そうして、彼は考え込むように言った。
「なるほどな。初対面から妙に強い力を感じると思ってはいたが……お前が宿していたのは、『修繕の加護』だったか。それも、なかなかに強いものだ」
「……『修繕の加護』?」
「ああ。壊れたものを治すことができるという、強力な付与の一種だ。本来は昔、耐久性が必要な道具に宿らせて使っていたものらしいのだが、場合によってはそれが人に『移る』こともあるらしい。もしくは、人から人へと継承されるパターンだな。お前の場合も、きっとどちらかのケースだと思うが……心当たりは?」
「……はい。私はこの力を母からもらったみたいなんです。母が亡くなる、直前に」
「……そうか。ならば、その力は大事にするといい。地味だがとても優秀な加護で、良いものだ。たまに『不死』などと呼ばれることもあるが……勘違いはするなよ? 普通に歳はとっていくし、別に不死ではないからな」
「はい……ありがとうございます」
他の人たちから『魔女の呪い』と呼ばれていた私の力を、その人は『加護』と呼び、良いものだから大事にしろ、と言ってくれた。
それだけで私はほんの少し、救われた気持ちになった。
思わず涙が出そうになるが抑え込む。
「それで、お前の適正のチェックの結果だが」
「何か、わかったんですか?」
「……ああ。よくわかった。思っていたより、お前には俺の考えていたような仕事には才能も適性がないということが」
「えっ」
「お前の資質は俺の想定と大きく違っていた。これでは、予定を大幅に変えなければならない」
「……そっ、それは……どういう?」
「……そうだな。お前の場合、才能がないというより、むしろ、もう完成しきっている、と言った方が正しいか。『修繕の加護』は強力な分、魂の容量を使うものだが……お前の宿している加護は並外れて強力ものになっている。つまり、現状のお前の魂はその力で一杯一杯だ。今後、その『修繕』の力以外、何も得られないということになる。こんなことは珍しいが、全く成長の余地がみられない」
「……えっ」
「普通はどこかしらに余裕があったりして、その余白にはさまざまな『力』を書き込むことができるのだが。ここの塔は本来そのための施設で、俺はその為にお前を連れてきたつもりだった。さて、どうするか」
「そ、そうなんですか」
私は今後、自分の体を治すこと以外はできない、と言われてしまった。
でも、それで、このお城でできる仕事って……?
どう考えても、危険な部類のものしか思いつかない。
普通の人なら死ぬような場所に放り込まれたり……とか。
でも、もういっそ、この素敵なお城においてもらえるのならそれでもいいいかなぁ、と私が諦め半分で固い覚悟を決めていると。
「まあ、そんなに身構えるな。それならそれで、決して悪い話ではない。お前の魂の強さに関しては何も問題はないのだから。それが既に満ちている、というのなら、考え方を変えればいいだけの話だ。来てくれ、案内したい場所がある」
「……は、はい……?」
私は早速、大きな塔の部屋の隅にある、小さな階段に案内された。
そうして、二人で下へと続くその真っ黒な階段を降りていく。
「この塔、下もあるんですね。てっきり上に伸びてるものだと思ってました」
「ああ。この塔の上りは天界に通じ、下りの階段は城の『心臓部』に続いている。お前には、そちらで仕事をしてもらおうと思っている」
「は、はい。わかりました」
「……ちなみに。これは『時の階段』といってな。歩いて通るだけで時空を捻じ曲げられる、非常に便利な代物だが、普通の人間が足を踏み入れると即座に体がねじれ、爆裂する。その為、通常は何人たりとも立ち入りを禁じている場所なのだが……今、身体はなんともないか?」
「……えっ……???」
この人、歩きながらとんでもないことを口走る。
そう言うことは入る前に言って欲しかった、と思いつつ。
「……いえ。ちょっと耳鳴りのようなものはありますけど、全然、何ともないです」
「そうか。この空間の異常が耳鳴り程度で済んでいるのなら、お前はやはり、この先での仕事が適任だな。普通はこの階段での行き来はできん……これは、想定外のいい拾い物をしたかも知れん」
「そ、そうですか?」
「ああ。しかし、お前にとっては初めてできつい仕事を任されることになるかもしれない。大変だとは思うが……まあ、それも慣れ次第だろう。あいつらだって、一旦気心が知れたら大して危険な奴じゃない」
「……あいつら? ……危険?」
やっぱり、危険なことをやらされるのだろうか。
でも、それでもいいやと一旦決心したことで、私の心は落ち着いていた。
もう、来るなら何でもど〜んとこい……と、私が内心開き直ったような気持ちで真っ黒な階段を降っていくと、やがて、明るく光が差し込んでいる場所に差し掛かった。
きっと、あれがこの階段室の出口だろう。
ずっと暗い空間を歩いてきたせいで、眩しくも感じるその強い光に目を細めつつ、私がそこに一歩、足を踏み入れると。
「……あれっ?」
私はいつの間にか、見知らぬ平原に立っていた。
見上げると、星々が瞬く、よく晴れた夜空が見える。
「……ここはもしかして、地上ですか? 外に出てしまいましたけど」
「いや。これが城の『心臓部』だ。この城のちょうど、中心部分の機関部にあたる」
「……え? これが……? で、でも、星空が……? あれ? そういえば、もう、夜になったんですか? さっきまで朝だったような……?」
私はあまりの多くの変化に混乱した。
さっきまで明るかったはずの空が、突然、星空になっている。
まだ、そんなに時間は立っていないはずだと思ったのに。
「驚くことはない。ここは外とはだいぶ時間の流れ方が違う場所だ。昼夜などは最初から大幅にずれているから、あまり気にすることはない。ひとまず、お前にはこれを渡しておこう。使うことがあるかはわからんが、一応な」
「これは?」
「あいつらが好む、契約用の指輪だ。とりあえず、服のポケットに入れるなどして肌身離さず持っていればいい。ちなみに……替えが聞く程度の品ではあるが、そこそこ貴重なものだから、なくすなよ?」
「……契約? は、はい。わかりました」
そうして、私は古ぼけた指輪を四つ、手渡された。
それぞれ色の違う綺麗な石が嵌め込まれている。
どれも私の指にはサイズの合わない大きな指輪だったので、私は言われるまま、それを服のポケットに仕舞い込む。
「それで、私はここで何をすれば?」
「お前にはそれを持って、うちの従業員たちに挨拶に行ってもらいたいと思っている。それが最初にお前に任せたい仕事だな」
「挨拶、ですか?」
「ああ。初仕事だし、それぐらいがちょうどいいだろう」
「わかりました」
「だが一応、注意点だけ話しておく。奴らは初対面のお前に対して、様々な形での『試練』を仕掛けてくることだろう。だが、それは奴らの習性というか、奴らなりの挨拶のようなものだ。無用な敵対心を見せず、適当に相手をしてやれば問題ない」
「は、はい?」
「それと、お前にはこれも渡しておく」
ただの挨拶、と聞いてほんの少しほっとした私に、彼は小さな紙切れを手渡した。
「……これは?」
「簡単な仕事の手順を書いたメモだ。基本はこの順に挨拶しに回っていけばいい。奴らの居場所と呼び名を書いてあるが、上から難易度順になっている」
「……難易度順?」
「まずはそこに書いてある通り、東に向うのを勧める。そこに、俺が最初に会わせたい従業員がいる。多少強面だが、あいつが一番扱いやすい。後の従業員のことはおそらく、奴に訊けば教えてくれるだろう」
「わ、わかりました」
「……ああ、それと。ここは外とは時間の流れが違う。達成にはいくら時間をかけてもいい。期限はないし、焦らず気楽にやることだ。もし無理だと思ったら、渡してある首飾りを強く握れ。そうしたら、いつでも俺が迎えに来る」
「は、はい」
「それと。時の流れ方が違うこの場所ではたいして腹は減らんと思うが……ここにあるものは何でも、好きにとって食べていい。木の実でも、魚でも、何でもだ。そこはお前の判断に任せる」
「は、はい」
「……おっと。それと、忘れていた。そこに立て。動くなよ」
「こうですか?」
「ああ。一応、他人に会うのだからそのボロボロの衣服は修繕しておいた方がいい」
その人が軽く指を鳴らすと、私のくたびれた衣服が一瞬で綺麗になった。
「……す、すごい……まるで、新品同様に?」
「何を驚いている? これはお前とおなじ『修繕』の力だ。お前の身に宿しているものの方が、ずっと強力で希少なものだ」
「……そうなんですか?」
「お前が戻るまでには新しい衣服を用意しておく。それまでは悪いが、その服のままで仕事をしてくれ」
「はい。ありがとうございます」
「では、任せたぞ。くれぐれも無理はするな」
「わ、わかりました」
それだけ言うと、その人は元来た階段の小屋へと去っていった。
そうして、私はいきなり見知らぬ世界に放り出された形になったのだが。
「……ふう」
一息ついた私は、だんだんと、自分の置かれている状況が楽しくなってきていた。
今、よくわからないが憧れの天空の城にいる。
いまいち、ここがお城の中だと言われてもピンとこないのだが……。
私はここにいていいのだという。
もちろん、与えられた仕事はある。
でも、期限はなくて、自分の好きなペースで進めていいという。
それならきっと、思う存分昼寝だってできるのだろう。
……仕事中だし、そんなことはしないつもりだが。
でも、本当に自由すぎるぐらいだった。
相変わらず、私はひとりぼっちだったが、今までとは違う感じだった。
あの人に護ってもらっている感覚がある。
それなのに、ここにはもう、私を縛るものが何もないように思えた。
「じゃあ、もう行きますか」
数人の従業員の人に挨拶をする、というのがこのお城での、私の初仕事だという。
絶対に、あの人に認めてもらえるような結果を出してみせる。
そう思って私は張り切って足を一歩、踏み出した。
……ものの。
「……あれ……? そういえば、東って……どっち、でしたっけ……?」
すぐに立ち止まり、振り返るが聞く相手はもういない。
というか、私たちが降りてきた階段室の出入り口すら消えている。
慌てて渡されたメモを見ても、地図のようなものは書いていない。
……まずい。
どうしよう。
東に行けと言われても、そもそもの方角がわからない。
思わずもらった首飾りに手を伸ばしかけるが、こんなことであの人を呼び出したら、もう仕事を諦めてしまった、と思われてしまうかもしれないと思い、踏みとどまる。
幸い、「どんなに時間をかけてもいい」という話だった。
なので、私は思い切ってそこで一晩待つことにした。
そうして一旦、落ち着こうと足元の草むらをならし、座って空を見上げてみると──……その綺麗さに、改めて驚いた。
(……すごい。この空、綺麗すぎる)
辺りにあかりが一切ない中の星空はとびきり綺麗だった。
よく見ると、私が普段眺めていた星々とはまるっきり位置が違うのに気がついた。
……本当に、ここはどこなのだろう。
あの人はここがお城の中だ、と言っていたが、まだ信じられないでいる。
全くの別世界に連れてこられた、という方が納得できるぐらいだった。
それに、時間が経つのが妙に早い気がする。
私が記憶しているよりもずっと早く星が流れていく。
それなのに、あまり眠くもならないし、お腹もあまり空かなかった。
確かに、ここは時間の流れが全然違うのかも知れないと思った。
多分、色々な常識からして違うのだろう。
……そもそも、私は日の出を待っているつもりなのだけれど。
この世界に太陽がなかったらどうしよう、などと不安に思っていると、だんだんと右側の空が白んできて、ほっとする。
「……ということは、きっと、東はあっちですね」
遠くに見える山々の稜線がにわかにぱっと明るくなり、そこから明るい太陽が昇ってくるのが見えた。
朝だ。
この世界にも、ちゃんと太陽はあった。
その太陽の光は私が今まで見てきたものよりずっと温かく思え、その陽に照らされた何もかもが美しく見えた。
思わず私はその見知らぬ世界に目を奪われ、その場にしばらく佇んだ。
「……さあ、今度こそ、行きますか」
結局、私は太陽が昇りきるのを待ってから出発した。
そうして最初に日が昇った山を目印に、言われた通り真っ直ぐ東に向かって歩き始めることにした。