2、お迎えにきた天空城
私は硬い石の廊下を踏む、重々しい足音で目を覚ました。
(……ああ、やっぱり、そうなんだ)
今、鍵のかかった扉の向こうには、いつもより大勢の鎧を着た兵士たちがいるのがわかる。
悪い夢だと思いたかったその日の朝がついに来たんだな、と思った。
「喜べ、魔女の子。これから、お望みの外出だ」
綺麗な白い鎧を着た騎士団長が木製のドアを乱暴に開き、笑いながら入ってきた。
私は兵士たちに囲まれながら無言で寝床から起き上がると、そのまま部屋の中に立った。
私はもう、自分がこれからどこに連れて行かれるか知っていた。
だから何も言わず、何も聞かなかった。
「……おい。何をしている? 返事をしろ」
その場から全く動こうとしない私の手を、兵士が強引に掴もうとする。
でも────
その兵士はどういうわけか、私に触れることができないようだった。
「な……!?」
私の周りに突然現れた、不思議な光。
その見えない壁のような力に阻まれ、近づくことすらできないでいる様子だった。
「ちぃ、魔女め。一体、何をした……!?」
「……わっ、わかりません……! 私は、何も……?」
本当に何も知らなかった。
私を睨みつける男の人たちだったが、私だって今、自分に何が起きているのかがわからない。
「……どこかから、今日の話を聞きつけたか? まあいい。ここまであからさまなら、こちらも手段を選ぶ必要もなくなるというものだ」
他の兵士たちが混乱する中、騎士団長は笑いながら金色に輝く細長い剣を抜いた。
「……これは『魔女刺し』という特別な剣でな。西の大賢者様より授かった物で、お前のような不死の魔女にも大きな苦痛を与えられるそうだ。まあ、流石に殺すまで、とはいかないそうだが……どうなるか、その身体で試してやろう」
嗜虐的な笑みを浮かべながら私に近づいてきた騎士団長だったが、廊下から鳴り響いてきた足音と悲鳴のような声に振り返った。
「ごっ、ご報告申し上げますッ!」
「一体、何事だ」
「不審な男が城門、約束があるので城内にいる人間に会わせろ、と」
「……なんだそれは。何者だ」
「は。その者はゼクス、と名乗りました」
「……知らん名だ。何処の者だ?」
「は。男には、何度も素性の説明を求めたのですが……なんでも、自分は空の上から来た、と」
「……追い払え。ただの頭のおかしい奴だ。今、そんな奴に構っている場合ではない」
「そ、それが。その男、いくら追い払おうとしても────!」
突然、轟音と共に硬い石の壁が崩れ落ち、外の明るい光が差し込んだ。
部屋の床が大きく揺れて、その場にいた皆がぐらついて足元に手をついた。
「……な、何ごとだ……!?」
皆、何が起きたのかわからず、慌てて周囲を見回した。
すると、大きく割れた壁の穴の向こうに、誰かいるのが見えた。
「ここにいたか。目印を持たせておいて正解だった」
「……え?」
それは私が昨日、屋根の上で出会った銀色の髪の人だった。
夢の中の出来事だと思っていた男の人が何故かそこに立っていた。
「こ、この男です! この男が城門でしつこく、城に入れろと」
「……なんだと?」
その人は私の周りにできた透明な壁に阻まれないようだった。
私は混乱しつつ、私の近くまで歩いてきたその人に問いかけた。
「……あの。これは、いったい?」
「それは俺の『庇護』だ。昨日、渡しておいただろう? 今、お前が首からかけているそれだ」
「……庇護?」
よく見ると、私が首にかけていた首飾りが輝いている。
光を失ったと思っていた緑色の宝石の中には今、強い光が宿っている。
「それを渡しておいたのは念のためだったが……急に『庇護』が発動したようだったのでな。心配になって最短距離で来たんだが」
「……最短距離?」
見れば所々、お城の壁に大きく穴が空いている。
「おい、こっちだ!」
「騎士団長、ご無事ですか!?」
騒ぎを聞きつけた城を警備する兵たちが大勢、集まってきた。
銀色の髪の人は辺りをゆっくりと見回して言った。
「……どうやら、俺は色々と判断を間違えたらしい。昨日のように姿を消したまま、こそこそと迎えにくるのも泥棒のようだと思い、わざわざ正面から出向いてきたんだが……思ったより話が通じなくてな。城門のところで足止めを食らって、夜明け前から門番に色々な書類を書かされていた」
「……夜明け前から?」
そんな奇妙な会話をしているうちに、私とその人は大勢の兵士に囲まれていた。
「囲まれたな」
「……ど、どうするんですか? は、早く、ここから逃げてください……!」
「もちろん、そうするつもりだ。お前を連れ帰ればもうここに用はない」
「────侵入者を殺せ」
「「「は」」」
騎士団長の命令で数人の兵士が剣を抜き、目にも止まらない速さで男の人に向かっていく。
そうして、一斉に男の人に剣を突き刺した。
私は思わず、目を覆いそうになったが、代わりに剣を刺したはずの兵士が目を剥いた。
「……は?」
折れた剣が数本、地面に転がる音がする。
男の人は平然と佇んでいて、服についた埃を手で払っている。
「やめておけ。そんなやわな刃物をいくら持ってきても、俺の服には通らない」
剣を折られた兵士たちは、そのまま後ずさった。
「少々、強引な入り方になったことは謝罪する。だが、俺はお前たちと敵対するつもりは最初からない。だから、そんな風に身構えるのはやめてくれるとありがたいのだが」
「……やれ」
騎士団長の合図で、背後に構えた杖を持った兵士たちがから、一斉に炎の魔法が放たれる。
でも、その全てが男の人に当たる前にかき消された。
「……貴様。何が目的だ?」
「さっき、ちゃんと守衛に伝えたつもりだが。俺は単に、この娘を迎えに来ただけだ。本人からは了承を得ているし、何も問題はないだろう?」
「……その罪人に、自分の行き先を決める権限などない。それに、その娘は大事な取引材料だ。どこの誰とも知らぬ輩に渡すわけがなかろう」
「そうか。こいつはこう言っているが……お前はどうなんだ?」
「……私、ですか?」
「そうだ。俺と一緒に行くか、ここに残るかと言う話だが」
男の人は私の目を見て問いかけた。
……彼と一緒に行くか?
それとも、ここに残るか?
そんなの、考える前から決まっている。
私はもう、この人と約束をしたのだから。
あの空に浮かぶお城に連れて行ってもらうのだ、と。
「……今まで、お世話になりました。私は、ここを出て行きます」
「だそうだ」
「……魔女め。ここまで生かしてやった恩を、忘れたか……!」
憎々しげに私を睨みつける騎士団長の後ろに、大勢の兵士が駆けつけた。
城内全ての兵士たちが集結しつつあり、私たちは完全に囲まれていた。
「……これでは埒があかんな。俺は戦争をしにきたわけではないのだが。ここは大人しく、尻尾を巻いて逃げるとするか」
「……でも逃げるって、どうやって逃げるんですか……? こんなに大勢に囲まれてるのに……?」
「問題ない。まだ上が空いているだろう」
「上?」
「ああ、そろそろ城が来る頃だ」
「……城が、来る?」
不意に、壁の穴から差し込む光が弱くなった気がした。
一気に暗くなった城の中から、慌てる人々の声がする。
「……きっ、騎士団長!!」
「今度は、何事だ!?」
「し、城が……ま、まずいです! こ、このままだと……きっ、緊急事態です!!」
「そんなこと、見ればわかる! この賊を殺せば住む話だ!」
「そっ、そうではなくて……! う……上です! 上から城が!」
「上から────城?」
騎士団長を含め、皆が穴の空いた壁から顔を出して一斉に空を見上げると、そこには空の全てを覆うような真っ白な天井ができていた。
その異様な光景を見て、私を含めた全員が唖然とした。
「……本当に、お城だ」
それは昨日、私が月の横で見かけたものだった。
でも、あの小さかった天のようなものは間近で見てみると、そのお城はとんでもなく大きく
一つの街のように大きな王城が丸ごと飲み込まれてしまいそうなほどだった。
……そんな巨大なものが真っ直ぐ、頭の上から落ちてくる。
「……ひッ!!」
王城を丸ごと圧し潰すほど巨大なものが上空から迫るのを見て、私たちを囲んでいた兵士たちは皆、悲鳴をあげた。
床に尻餅をついた数名の兵士たちから、何かお祈りを唱えるような声が聞こえてくる中で、銀色の髪の男の人は気まずそうに頬をかいた。
「……すまない。こんなに脅かすつもりはなかったんだが。本来、あれは常時不可視にしておくべきものだが、地上に城を接近させるとなると距離感が掴めなくてな」
「あ、あれ、大丈夫なんですか……? このままだと、ぶつかってしまいますよ……!?」
「そのことなら、何も心配することはない。あれは現在、自動航行モードだ。俺が何も指示しなくても、きちんと距離と速度を計算した上で、ぶつかる直前で完全に停止するよう厳密な設定を────────あっ」
男の人が何かに気づいたような声を出すと共に、轟音。
空飛ぶ巨大なお城が私を監視していた塔に当たり、塔が崩れ落ちていく中から弓を持った兵隊たちが何かを叫びながら逃げていくのが見える。
「…………やはり、自動制御にはまだ課題があるか。まあ、あの程度なら被害は軽微だし……よしとするか?」
気まずそうな男の人の前でお城の屋根を崩しながら、巨大な城は空中でゆっくりと止まった。
「……と、とまった……?」
「思ったより被害は出てしまったが。まあ、あの程度なら奴らの自業自得だろう。人の話を聞かないから、こうなる。では、いくぞ」
「……行くって、どこにですか?」
「決まっているだろう。迎えが来たのだから、あとは乗るだけだ。あそこに乗降用の入り口がある。あそこまで行けばいい。あとは城が運んでくれる」
そう言って、男の人はお城の一部を指さした。
その先には確かに、ぽつん、と小さな扉があるのが見えた。
でもそこは私たちの頭上の、遥か上。
「……ちなみに。あそこまで、どうやって?」
「そうだな。お前を抱えて跳ぶには少し距離がある。こうしよう」
その人がパチンと小さく指を鳴らすと、目の間に光り輝く透明な階段が現れた。
「これを登っていけばいい。ついてこい」
「は、はい……ひえっ」
「踏み外すなよ。落ちるぞ」
忘れかけていたが、ここは高い王城の最上階だった。
透明な階段から遠くの地面が見えて、思わず身ぶるいがする。
「不安なら掴まるがいい」
「は、はい。ありがとうございます」
私は男の人に手を引かれながら、その長い階段に一歩、足を踏み出した。
おそるおそる光る階段の上に足を乗せた瞬間、ふわり、と身体全体が宙に浮く。
不思議な感触だった。
そのまま階段を登っていくと、突然、背後から大きな音がした。
振り返ると真っ黒な鉄球がいくつも飛んでくるのが見える。
私たちに向けて、誰かが何処かから大砲が撃たれたのだろう。
でも、それらは私を覆う不思議な光の壁に阻まれ、ひとつとして私に届くことはなかった。
「心配するな。あれぐらいなら、俺の『庇護』は通さない」
「はい」
遅れて沢山の矢が一斉に飛んでくる。
他にも火の玉がいくつも飛んでくるが、気にならない。
私たちの頭を飛び越え、王城からの砲撃が空飛ぶお城を襲うが、どんなことをしてもあの純白のお城の壁には傷一つつかないようだった。
私はもうそれから振り返ることなく、その長い階段を登り切った。
そうして下から見えた平たい踊り場のような場所に立つと、男の人は言った。
「そういえば、今更だが。別れの挨拶は済んだのか?」
「……挨拶?」
「こんな場所だが、世話になった奴ぐらいいるだろう。もう今後は会えないかもしれないし、それぐらいの時間はある」
「そうですね。では……少しだけ」
私は階段の上から、私たちを見上げている人たちの顔を眺めた。
まず、目に留まったのは前王妃グレイス。
煌びやかな格好をした彼女は多くの貴族に囲まれるようにして立ち、私を憎々しげに見つめていた。
その脇には二人の息子、フェデリック王子とライデリック王子。彼らと一緒に二人の王女も座り込み、大砲の大きな音に耳を塞いでいる。
彼らは皆、一様に怯えたような表情でこちらを見上げている。
その後ろにはフィリップ王が立っている。
皆が怯えるような視線を私に向ける中、私と目が合った彼は小さく笑ったように見えた。
その表情を見て、やはりこの人はずっと私のことを庇ってくれていたのだろうと思った。
(……ありがとうございます、フィリップ王)
彼の周りには私がお世話になってくれた人たちが立っていた。
ほとんどの人は不安そうな顔で私を見上げ、でも、ある人は少し笑いながら小さく手を振っていた。
「皆さま、どうかお元気で」
私は私がお世話になった人たちに向けて、お別れを言った。
きっと、私の声は彼らには届いていないだろう。
でも、顔を向けてそれだけ言えたら十分だった。
それで何人かの人には伝わったようだったから。
そうして私は簡単な別れの挨拶を終えた。
「もう、終わりました」
「では、行くぞ。動き始めは多少揺れる。慣れないうちはどこかに掴まっておくといい」
「……えっ?」
私が挨拶を済ませると、心の準備もできないまま、お城はいきなり動き始めた。
捕まれと言われたが、周りには手すりも何もなく、捕まりやすいものはなかった。
仕方なく私が屈み込み床に手をついた瞬間、身体がぐん、と重くなるのを感じた。
でも、それはほんの一瞬のことで。
巨大なお城がふわり、と宙に浮く。
「……すごい。もう、こんなに……?」
空飛ぶお城はあっという間に私を空の上へと連れていった。
大きな揺れがなくなったところで立ち上がり、見下ろすと私がさっきまでいたお城の屋根がよく見えた。
でも私たちを見上げていた人たちの顔は、もう見えない。
つい昨日まで、あそこが私の世界の全てだった。
あのちいさな屋根の片隅に、私は私だけの小さな領域を作り、そこから一歩も出なかった。
そこから見えたお城はとても大きく、強く、敵わないようなものに見えたのに。
でも、今やあんなに小さく見える。
どんどん、遠ざかって小さな点のようになっていくのが見える。
それからほんの数秒後、その小さな世界はすぐに私の視界から消えた。
そのまま私を乗せた真っ白なお城は勢いを落とすことなく更に上へ、上へと昇っていき。
────あっという間に、雲を抜けた。
「着いたぞ」
しばらくすると、お城は上昇するのをやめた。
そうして、気づけば私から見える風景は一変していた。
そこは見渡す限り、眩しいぐらいの陽の光を受けた輝く雲の平原だった。
「……もう、本当に雲の上になんですね」
「ああ、これがこの城の通常運行高度だ。この高さまでくればもう、地上から狙われる心配はないだろう」
男の人は自分の服についた小さな埃を払うと、私に向き直った。
「そういえば自己紹介がまだだったな。俺はゼクスという。昨日説明した通り、この城の主だ」
「私は、シーラといいます。私は……あの国の王の娘でした。母は、魔女と呼ばれていて。最近は、私も同じように呼ばれていました」
少し躊躇はしたが、私は自分のことをできるだけ正直に説明した。
この人の前では、自分のことで嘘をつく必要はないように思えたから。
「そうか。だが、お前がたとえ地上でどんな呼ばれ方をしていたにせよ、そんなものは早々に忘れることだ。ここではどんな肩書きも役に立たん」
「……あ、はい?」
思い切って自分の秘密を打ち明けたつもりが、想像以上に軽く流されてしまった。
でも、多分、この人はこういう人なのだろうと思った。
「では、シーラ。早速、城内を案内するから、ついてこい」
「は、はい」
「いずれ他の従業員にも会わせようとは思うが、奴らは少々、気性がな……まあ、そちらは追い追いだな」
「……従業員?」
私は自分が連れてこられたお城の広さに戸惑いを覚えつつ、足早に歩き出したその人についていった。