怪しい宅配人
この小説は、無謀にも伝説のアレに挑戦したその結果を後悔三割開き直り七割でお送りいたします。
それはぐだるような蒸し暑い梅雨のある日の事でした。
前日の纏わり付くような嫌らしい雨模様は跡形も無く晴れ渡り、不快指数はいよいよこの梅雨一番に達していそうです。
いえ、達しているに違いありません。もし誰かが否定しても、一平は自信を持って主張できます。
母屋にある自室の猛烈な蒸し釜化に、幼少の頃から武道を歩み、心身ともに鍛えてきたさしもの一平もどうにも堪え兼ね、道場の方に逃げて来たくらいです。
古式ゆかしい糠谷家の道場は六月の高い日差しを素晴らしくカットし、雨戸全開にした縁側を清涼な園庭からの爽やかな風が吹き抜けて行きます。
クーラーなんて要りません。古き良き日本バンザイ。ウィーハー!
気持ち良く冷えた板張りの床の上でそんな事を思いながら、一平は寝転がっていました。
尤も、この道場がいつの時代に建てられたものかなんて一平は知りませんが、そんなのはどうでもいいんです。見た目が古典っぽいから古き良き日本を想起しているだけであり、要は涼しい事が重要なのです。
気付いたら昼過ぎです。一日で最もだらけたくなる時間帯です。
家族は皆それぞれ用事で出払っているようです。家に一人、静かな道場で一平は心行くまで寛ぎの限りを尽くしていました。
(面倒な宿題は昨晩の内に終わらせちまったし、このままボーッと過ごす休日もたまにはアリかなー)
とか考えちゃってます。
そこで、ふと。
(あれ? そういや何で俺昨日ムリヤリ宿題終わらせたんだっけ?)
そんな疑問が頭を過った時でした。
母屋の方から、インターホンの音が聞こえてきたのです。なんかいつもの間延びした電子音と違って、切羽詰まったようなベルが遠くから聞こえてきている感じでしたが、ともかく誰かが訪ねてきたようです。
正直居留守したい気分でしたが、縁側から見える門の前に大手宅配業者のトラックが止まっているのが見えたのでそうもいきません。
一平は億劫な気持ちで起き上がると道場に据え付けの内線電話に向かい、受話器を取りました。
「はい」
『コンニチハー。ニモツオトドケニキマシタヨー』
呼び掛けると、返ってきたのはエセ外人っぽいカタコトジャパニーズでした。
予想外の来客に一平は動揺を隠せません。
「あ、は、はい! すぐ行きます!」
詰まりながら無暗に大声でそう答えると、一平は受話器を戻してすぐに母屋へ走りました。玄関でサンダルを突っ掛けつつ靴棚の上に置いてある小物入れを手探りし、判子を持って外へ出ます。
五メートル先の門の前にはこの蒸し暑い中、上下濃い緑に統一された長袖長ズボンの制服を着込み、横に止まっているトラックに描かれたロゴと同じものを刺繍されたキャップを被って両手には軍手まで嵌めた大男がいました。その体格がすでに日本人離れしていましたが、近付くと見えてきた金髪とか白い顔とか尖った鼻とか青い目とかがもう完璧にモノホンの外人さんです。
(お、おわ~白人だ~! デッケ~。どこの国から来たんだろう、ていうか何て声掛ければいいんだやっぱハウアーユー?)
初めて外人さんと一対一で話すというシチュエーションに、ごくごく小市民の平凡な中学生糠谷一平はテンパり捲りです。
もちろん学校では英会話の授業があるので週に一時間はカナダ人の先生に教わっていますが、授業と実践は違います。実践に使えない授業に価値は無いとか言われようが違うもんは違います。
しかも先生は女性です。初めて対峙した男性の外人さんは未知の迫力でした。恐怖を抱かずには居れません。
門を開いた所でどうしたらいいのか分からず、一平は外人宅配人を見上げたまま硬直する所でした。硬直せずに済んだのは、外人宅配人が先にこう言ったからです。
「ドウモー。オカネクダサーイ」
「はい?」
一平は一瞬何を言われたのか理解できませんでした。
外人宅配人は左手の平を上にしてぴっと差し出してきています。金くれよ、という事らしいです。それはカタコトジャパニーズからも明らかでした。
ああ、と一平は気付きます。
そう、この外人さんはただの宅配人なのです。ならばそのように普通に対応すればいいだけなのです。
(そうか。着払いなんだな。仕方ない、立て替えとくか。ったく、そんな荷物が届く予定があるんだったら出掛ける前に言ってけよな)
などと両親に内心でごちつつ、財布は部屋に置いてあるので一平は外人宅配人に断わりを入れます。
「あ、すいません。財布取ってくるんで、ちょっと待ってて下さい」
一平はそう言い残して踵を返しました。
が、その動きは途中で止められてしまいました。
いきなり外人宅配人が差し出していた手を返して一平の肩を強く掴んできたのです。
驚きと恐怖で目を丸くする一平に、外人宅配人は声音を重くして告げました。
「ヒトヲヨンデハイケマセーン」
一平は全く訳が分かりません。そもそも人を呼ぶにも家には今誰もいないのです。
ただ部屋に財布を取りに行くだけだという事をもう一度今度は丁寧に伝えようとした一平は口を開き掛けました。
「オオゴエヲダシテハイケマセーン」
一平の言葉は出る前に外人宅配人の言葉に遮られました。
同時に、ゴッ、と冷たくて硬い何かが一平の額に押し当てられます。
一平の血の気がサーッと引きました。
「オカネダシテクダサーイ」
言いながら外人宅配人は右手の親指を動かします。握られている黒い物がカチリと鳴りました。
拳銃です。
ドコの国のナニ社製でアレコレで活躍したウン年モデルみたいな細かいプロフィールは分かりませんが、紛う事無く拳銃です。それだけ分かっていれば十分です。
ようやく事態を把握した一平は頭が真っ白になってしまいました。
「あ……」
とにかく金を出さないと殺される。それだけは理解できましたが、財布は部屋です。
「あ、あの……お金、今……手元に無くて……へ、部屋に置いてあるんですけど……」
嗚咽混じりに、一平は言い訳を募ります。
「ヒトヲヨンデハイケマセーン。オカネダシテクダサーイ」
しかし外人宅配人に扮した強盗(面倒なので外人強盗と呼びます)は聞く耳を持ってくれません。家に入る=人を呼ぶ、とでも思われているのか、肩を掴む左手にはさらに力が籠もってきます。この場でポンとお金を出さなくてはならないようです。
(そ、そんな事言ったって……)
こんな時にこそ日頃の道場での研鑽の使い時なのかもしれませんが、拳銃を突き付けらるような事態を想定してきた訳も無く、冷汗三斗の恐怖で思うように体を動かせる気がしません。というか敵意を見せた途端にたちまち鉛弾の餌食となるでしょう。
「オカネクダサーイ」
外人強盗が再三言ってきます。もういつ撃たれても不思議ではありません。
(金……どこかに金ないか! 小銭でもいい! はっ、そうだポケットの中に何円か有るかもしれない!)
突き付けられた拳銃を凝視しながら一平は縋る思いでジーンズのポケットの中を漁りました。ここで一円も出てこなければ終わりです。
すると、右手の指先にカサ、という感触がありました。
ハッと一平は息を呑みます。ポケットの中でその紙片をしっかり掴みました。
(――頼む! 札であってくれ! できれば福沢先生!)
万感の思いを込めて一平はポケットに突っ込んだ手を引き抜きました。
出てきたのは日本に流通する一枚の紙幣でした。
それを見た外人強盗の左手が少し緩みます。
一平はブルブル震える手でお札を広げました。
二千円札でした。
何とも微妙な当たり目でした。場合によっては自販機で使えません。
(まだ存在してたのか……二千円札……)
自分のポケットから出しといて変ですが、こんな状況でも一平は思わず感心してしまいました。
ともあれ、今この場で出せるお金はこれだけです。
一平は二千円札を、ゆっくりと外人強盗に差し出しました。
外人強盗は拳銃を一平に突き付けたまま、左手を一平の肩から離し、それを受け取りました。
「アリガトウゴザイマース」
そして満面の笑顔でそんなことを言いました。
(ああ、助かった……)
一平は心の底から安堵の溜息を吐いて、腰から崩れ落ちそうになりました。
実際そうしたかったのですが、外人強盗がまだ拳銃を降ろしてくれません。それもすぐに降ろしてくれるだろうと高を括っていたのですが、外人強盗は二千円札を握り締めながらも変わらず拳銃を突き付け続けています。
まったく甘い考えだったと遅蒔きながら気付かされた一平は再び恐慌に陥りました。金を出したからと言って見逃して貰えるとは限らないという当然が目の前の現実でした。しかも二千円です。たかが二千円の為に殺されるかもしれません。
考えたくも無い結果でした。
何も言えずにいる一平に、外人強盗は新たな要求をしてきました。
「カエリミチヲオシエテクダサーイ」
「……………………はい?」
一平は目を点にして思わず訊き返していました。一瞬聞き間違いかと思いました。
すると外人強盗はいきなり一平の前に跪き、祈る様に両手を組んで繰り返しました。
「ワタシコノアタリノミチワカリマセーン。カエリミチヲオシエテクダサーイ」
まさかの迷子宣言です。
一平は混乱します。
強盗が拳銃で恐喝した相手に向かって帰り道を訊ねるなんて聞いた事もありません。冷静に、実は迷子だった外人強盗を見下ろします。
いつの間にか外人の手から拳銃はどっかに消えていました。ただ組まれた両手には一平が渡した二千円札が握られているだけです。そして迷子の子供のような表情でひたすら帰り道を要求してきています。
つい今さっきまで自分を恐怖のどん底に突き落としてくれた強盗は今やすっかりただの異国の地で道に迷った迷子さんです。
「カエリミチヲオシエテクダサーイ」
一平はしばし悩み、そしてどこか遠くから聞き覚えのあるメロディが聞こえてきたと同時に、力一杯こう叫びました。
「知るか――――――――――――――――――――――――――――――――!!!!」
☆
ガバー! と、一平は掛け布団を投げ飛ばす勢いで跳ね起きました。枕元では携帯電話が着メロを鳴らし捲っています。手に取ってみると、サブディスプレイには『佐藤翔子』と表示されています。一平の彼女さんです。
「……………………………………………………こ、これはまさか……」
十数秒程三点リーダを続けた後、一平の口から禁断の言葉が零れました。
「夢オチ……」
そう。夢オチです。
「何だったんだ……今の夢は……」
ウンザリしたように、一平は頭を抱えます。
自室から見える道場前のただっ広い庭は、白砂利を敷き詰めただけの殺風景なものです。清涼な園庭でもなければ爽やかな風をくれたりもしません。この時期の風は須く生暖かいです。
雨戸を全開にした道場には早朝稽古に来ている壮年のおっさん達の汗に塗れた姿があります。きっと今道場に行ったらこの部屋よりも蒸し暑いでしょう。おまけに臭いです。
しかし何よりも残念なのは、
「はっ!? しまった! 今何時だ!?」
彼女さんからの着信は夢でオチてくれなかった事でしょう。
「ぎょわ――!! もう集合時間過ぎてんじゃねぇか何で目覚まし止まってんだ――!」
一平は現状を理解するや一気に寝起きから覚醒すると、寝巻きを脱ぎ散らかしながらタンスを雑に開き、光速で着替えつつ着信を訴え続けている携帯の通話ボタンを押しました。
次の瞬間、怒りに満ちた翔子の怒鳴り声がスピーカから炸裂したのは、はい言うまでもありませんね。
『ちょっとぬー!? あんた一体今どこにいんのよ!!』
「スマン悪い今起きましたごめんなさい!!」
『今起きたぁ!? 冗談じゃないわよもう集合時間十分も過ぎてんのよ!?』
「いや……この週末は後顧の憂いなくイッピとの再会を喜ぼうと昨日中に宿題頑張ったら少し寝るのが遅くなってしまって。寝惚けて目覚まし止めてしまったみたいなんだー」
『みたいなんだーじゃないでしょ何本末転倒してんのよ! もう、折角一年振りにイッピ君が帰って来たっていうのに。もう皆とっくに集まって後はぬーだけなんだからね。私の立場にもなってよ』
「ホントにゴメン。もう着替え終わったから、すぐに自転車かっ飛ばして行くから後十分待ってって皆に言っといて!」
『早く来てよ。事故んない程度にね』
「分かってる! じゃ!」
と、通話を切ったと同時に一平は自転車に飛び乗り、駅へ向かって力の限り疾走していきました。
十分後、今度は財布を家に忘れて来た事に気付いて一平は翔子にさらに盛大に怒られるのですが、正夢というオチではないのでポケットから一円足りとも出てくる事はありませんでした。
こんにちは。作者の一休と申します。
いえ、ていうかすいません。はい。正直コレのジャンルをどうしようか迷いました。
コメディーにしては全然面白くないというか笑い所がないですよね……でもコメディー以外にはどう考えても当て嵌らない気がしたもので……
今回の挑戦はズバリ、実際に見た夢を文章にトレースする事でした。
実はこの話、一休が結構前に実際に夢で見た話なのです。
まぁ、細かく覚えてられる訳もないし、流石にディテールはちょこちょこ手を加えてますけど。
一休は創作を始めてからこっち、夢で結構面白い話を見るようになりまして。こんな面白い話を手放しで記憶の彼方に消し去るには忍びないと、なんだか変なスイッチ入っちゃった訳です。
で、夢の内容を起きた瞬間にメモっとくとかして創作の実弾にできるかどうかやってみたのが今作なのですが。
結果、超自然的に伝説の夢オチです。えぇごめんなさい反省はしてません。夢オチをやるのに憧れていた部分もあるので。
内容がちょっと場合によっては不謹慎かなぁ、ていう思いもありますが、一休の世界観の一部として生み出してしまった以上、開き直る事にしました。
飽く迄これはフィクションであり、実在の人物、団体、事件とは一切合財無関係です。文句なら一休にこんな夢を見せた現代社会に言って下さい。
では、いつかまたどこかでお会いすることを楽しみにしておりますm(__)m