62:家族と弟子の事情
五百年前に師匠経由で依頼され、魔法の制御を教えることになった二番弟子。
前世でも王子だった彼は当時の王宮で虐げられており、不義の子という複雑な生い立ち故、氷のように固く心を閉ざした子供だった。
私はそんな弟子に根気よく付き合い、魔法を教え、少しずつ仲良くなっていったのだ。
隙あらば自分を蔑ろにした国の全てを凍らせようとする彼を止めるのは、かなり大変だったけれど。
それでも、この子が可愛い弟子であることに変わりはない。
「グラシアル……」
当時の名を呼ぶと、王子は大きく目を見開く。
「ずいぶんと、感情が豊かになったのね。いいことだわ」
今世では同年代に見える彼の頭に手を伸ばし、よしよしと撫でる。
初対面であるはずの私たちの行動に、付き人たちが驚愕の表情を浮かべているけれど。
(どうしましょう。とりあえず、シャールにはあとで話しておくべきね)
しばらくすると、王子もようやく我に返ったようで、ふんわり柔らかな微笑みを浮かべた。
「師匠、僕の今の名前はフレーシュ・レネ・レーヴル。この国の第一王子をやってる」
「そうなのね。第一王子と言うことは、私を呼び出したのはあなた?」
「隣国に師匠の魔法の痕跡を見つけて、いても立ってもいられなくて」
「知っているとは思うけど、今の私はラム・メルキュールというの。こっちが夫のシャールで、そっちが息子のカノンよ」
二人を紹介すると、フレーシュの表情が若干引きつったように感じられる。
「あ、ああ……そのことね。うん、もちろん調査済み。師匠はメルキュール家の後妻として、実家から売られたも同然で嫁いだんだよね。でもって、その子はあなたの実子ではなく養子だ」
なぜ、フレーシュはわざわざそんなことを言うのだろう。
家族を否定されたような、微妙な気持ちになった。
※
少し前、フレーシュは隣のテット王国で懐かしい魔力を感じ取った。
そして調査の結果、それが自分の探し求めていた人物だと判明した。
(まさか、こんなに近くにいたなんて。生まれてから二十四年間、ずっと探し続けていたのに)
物心がついた時には転生前の記憶があった。
そうなるように魔法を組んで転生したのだから当然だけれど。
(師匠は完全な状態での転生じゃないのか?)
あの日、もう助からないであろう瀕死のアウローラを、頭のおかしい兄弟子が無理矢理転生させた。
このまま会えなくなるよりはいいと……
だから、命を失う寸前の彼女に、転生先や記憶の保持など細かな調整ができなかった。
兄弟子の気持ちが痛いほどわかるから、フレーシュは彼の行動を止めなかった。
そして、兄弟子が無事アウローラを転生させるのと同時に、自分も迷わず愛する彼女のあとを追った。
同じ時代に、過去の記憶を保持して転生できるよう魔法で転生先を調整して。
たとえアウローラが自分を覚えていなくても、大好きな師匠にたどり着けるように……
幸い、転生先でも王子として生まれ、前世の記憶が役立ったおかげで今までそつなく生きている。
ただ、この便利な身分を以てしても、アウローラを見つけるのは困難だった。
そんな折、偶然にもアウローラの転生先が判明したのである。
「殿下の追っていた魔力は、メルキュール伯爵夫人のもので間違いありません」
報告に来た部下を前に、フレーシュはダンゴムシ柄のハンカチを広げて大いに動揺した。
買ったばかりの品を愛でている最中だったのだ。
探し求めた人物が見つかったのは嬉しい。
しかし……
「〝夫人”? え? 既婚者?」
「はい。少し前にメルキュール家に後妻として入られ、養子ですが、ご子息もいらっしゃいます」
ガンッと頭を殴られたような衝撃があった。
「そ、そんな……」
後追いで転生するほど恋い焦がれた前世の師匠は、既に結婚して子持ちになっていた。
ショックのあまり、新品のハンカチがハラリと床に落ちる。
「僕は遅すぎた……」
「で、殿下! お気を確かに」
「あわよくば……保護して妃に迎え入れようと……なのに、どうして……」
室内の気温が下がり、窓や家具がピキピキと音を立て、部屋全体が白く凍っていく。
動揺から、無意識に魔法を発動してしまった。昔から感情の制御が苦手なのだ。
使用人たちは「ひゃあ!」と声を上げて退散する。
なんとかアウローラに会いたくて、フレーシュは権力を振るい、今世の彼女を自国へ呼び出した。おまけまでついてくるとは思わなかったが。
師匠は実家の男爵家で長年冷遇されていたという。
しかも、政略結婚で後妻に入ったあと、伯爵とは互いに距離を置いていた。
不仲説も有名で、二人で行動するようになったのも、つい最近のことらしい。
(師匠を妻にしておきながら大事にしないなんて、メルキュール伯爵は頭がおかしいのか? あんなに魅力的な方は、この世に二人といないのに)
しかし、彼が妻に興味がないのは好都合だ。
(取り引き次第では師匠をこちらで保護できるかもしれない)
前世で幼い頃から、アウローラに憧れ続けていた。
フレーシュは何がなんでも彼女を取り戻す気でいた。