131:伯爵夫人の死因
「じゃあ、ランス。ひとまず、うちの屋敷に来る?」
私の呼びかけには、枢機卿が反応した。
「あなた、教皇様に向かってなんと無礼な! 呼び捨てだなんて……」
「黙ってください。この方はいいんです。私よりも敬われるべき方ですから」
「どうしてしまったんですか、教皇様。さっきから様子が変ですよ!?」
当たり前だが、枢機卿は困惑している。
しかし、ここで前世の話をしてもややこしくなりそうなので、私は何も言わないことにした。
「今世の先生の家にお呼ばれだなんて嬉しいなあ。枢機卿はこの場の後処理をお願いしますね。心配しなくても、ちゃんと戻りますから」
ランスはにこにこしながら私の手を取った。他の二人とは違い、シャールにも友好的だ。
「さあ、先生の家へ行きましょう」
シャールは「こいつを屋敷へ入れても大丈夫なんだろうな」と、やや困惑しながらも、転移魔法を実行した。
私たちは阿鼻叫喚状態の大広間から、メルキュール家の庭へと降り立つ。
「わあ、広い庭ですね」
ランスは機嫌よく、周囲の景色を見渡している。
「あの賑やかな建物は、先生のデザインですか?」
「ああ、学舎のこと? そうよ、私が模様替えしたの。可愛いでしょ?」
「素敵です」
「ありがとう。それじゃあ、屋敷に行きましょう」
前世の弟子とはいえ、一応教皇なので応接室へランスを案内する。
(一体全体、どうしてこの子が、教皇なんてやっているのかしらね。性格的に、面倒ごとには首を突っ込まないと思うのだけど)
特殊な生い立ちで育った三番弟子は、基本無気力で無関心。
他の二人のような闘争心も低く、のんびりするのが好きで、穏やかな性格だ。
そんな彼が、それらの対極にあるモーター教に所属していて、しかも教皇の地位に就いているなんて現実味がない。
「言っておくが、ラムと二人きりになるのはなしだ。私も同席させてもらう」
シャールの意見に、ランスは素直に頷いた。
「もちろん、それで大丈夫です。私は先生に旦那さんがいても気にしませんから」
(……ん?)
ちょっと何かが引っかかった気がしたけれど、私とシャールとランスの三人で、応接室で話をする流れになった。
シャールの隣に私、テーブルを挟んで向かいにランスが座る。
「さて、ランスには聞きたい話がたくさんあるの」
「私も先生に尋ねたいことがあります」
「一部記憶が曖昧だけど、答えられる限り話すわ」
記憶喪失の部分で、ランスが怪訝な顔になった。
「曖昧というのは?」
「私、自分がどうして死んだのか覚えていないの。エペやグラシアルが魔法を使ったことは聞いたのだけれど、皆、私の死因については教えてくれなくて」
「あー……。そういう話なら私も黙っておいた方がいいのかな。エペ先輩あたりが、敢えて記憶を残さなかったんじゃないですか? あの人、器用ですから」
「ええ。でも、そんな真似をされると、余計に気がかりだわ。だって、重要な事実を丸々覚えていないのって不安になるわよ? 最近、少しずつ記憶が戻ってきている気がするんだけど、断片的で、何があったのかいまいちわからないのよね」
ランスは戸惑いがちに、視線を私に送る。
「あの、その話を先生の旦那さんは?」
「知っているわ。私の過去も正体も、全部話してある」
シャールは私の体調を気遣いながら、素直なランスへ目を向けた。
「私を気にする必要はない。妻の正体は確認済みだ」
「へー、信用されているんですねえ。まあ、そういう事情なら、ここで私が知っている範囲のことはお話しします。先生が亡くなったのは、ちょうど私が十七歳になったときですね。先生は二十三歳でした」
「……っ!」
弾かれたようにシャールが私を見る。
アウローラは、ずいぶんと早世だったようだ。私も少なからずショックを受ける。
「死因は……まあ、『人々を守った代わりに』とでも言いましょうか。先生らしい最期でした。あんな人たち、放っておけばよかったのに」
一瞬だけ、ランスが冷めた表情を浮かべた。
「私は、その人たちを守れたの?」
夢で見て気になっていた部分だ。
私は結局彼らを救えなかったのではないかと不安だった。
「先生のおかげで、彼らはあのあと、平和に暮らしましたよ。また同じような過ちを繰り返していましたけど。まあ、先生の去った世など、私の知ったことではありません」
事実を話してくれているのだろうが、ランスは慎重に言葉を選んでいる気がした。
「ランス、あなたはどうして、モーター教の教皇なんてやっているの? そんな宗教、五百年前にはなかったわよね」
「モーター教は先生の死後に発足した宗教です」
「……あなたが、作った、とか?」
「作ったのは私ではありません。枢機卿です」
私はランスと一緒にいた、生真面目そうな男性を思い浮かべた。
「大広間にいた人?」
「いいえ。別の枢機卿で、今は総本山にいます」
「今? もしかして、その人、生きてるの?」
「ええ、長命種なもので。先生の先生と一緒、エルフィン族です。ただし、男で魔法は使えませんが」
エルフィン族は五百年前ですら幻と言われていた、希少な種族だった。
様々な魔法の知識に通じている彼らだが、その魔法を扱えるのは女性だけ。種族的に、男性は魔法を使えないらしい。
私も師であるフィーニスから聞いただけなので、エルフィン族の男性を直接見たわけではないが……。
(あら? 今、頭の片隅に、何か引っかかったような)
違和感を覚えながら、黙ってランスの話の続きに耳を澄ませる。
「そのエルフィン族に声をかけられ、長命の魔法の知識と引き換えに、名ばかりの教皇になりました。それで、今に至ります」
「……端折りすぎよ」
「そう言われましても、先生に関係のないことは、私にとって些事なので。心底どうでもいいんです」
彼の言葉に、私は一抹の不安を感じた。
「つまり、ランスはモーター教が魔法使いを弾圧しているのを知りながら、見て見ぬ振りをしていたの?」
「先生一人に困難を押しつけて、先生の命を守らなかった魔法使い共に、価値なんてあります? それに魔法使いの弾圧に関して、私は積極的に関与していません。枢機卿がいつの間にか始めたことですので」
「どうしてそんなに他人事なの?」
「どうでもよかったので」
駄目だ。私とランスの間には、大きな感覚の溝がある。
「この時代の魔法使いたちは、とても苦しんでいるわ。メルキュール家だって、私が来た頃は大変な状態だった。どこの国でも魔力持ちは虐げられて、辛い思いをしている。あなたはモーター教の代表なのでしょう?」
「……? 今って、そんな状況なんですか?」
ランスはまるで、初めて事実を知ったような、不思議そうな顔になった。無関心にも程がある。
「あなた、これまで何をしていたの?」
「最初の頃は、先生の偉業を広めるのに尽力していて……それが落ち着いたら、魔法アイテムの開発をしたり、先生を探したり、先生の書き残した本を読んで魔法を覚えたり、先生を探したり、適当に聖人の任命式に出たり、先生を探したりしていました。でも最近はもう半分諦めていて、総本山に引きこもっていました」
ランスは、ほぼ私を探すことに時間を費やしていたようだ。
今のモーター教の有様を放置していた怠慢について叱ろうと思ったが、ちょっとだけ彼を置いて行ってしまった罪悪感が募る。
「寂しい思いをさせてしまっていたのね。ごめんなさい。でもねランス、モーター教はとても残酷よ。たくさんの子供たちが犠牲になっているのに、そのままにしているなんてよくないわ。聖人を選ぶ課程だって、虐待じゃないの」
「そうなんですか? 興味がないので知りませんでした」
「興味が、ない? たくさんの罪のない子供が殺されているのに?」
大量の、虐げられた魔力持ちたち。
彼らは魔力を持っているというだけで、理不尽を強いられ、命を落としても顧みられない。
さらに、モーター教は人々に嘘を吹き込んで、本来魔法を使える多くの人に魔力封じの魔法を施している。
「ランス、いい加減にして。あなた自身のせいではないにしても、モーター教を制御できる教皇が、正さなければならないことなのよ? これまで、あなたの無関心で犠牲になった子だってたくさんいるはず」
「だって、面倒で。……っ!?」
それを聞いた瞬間、私は無意識に立ち上がり、テーブルを飛び越え、拳をランスの下顎目がけて繰り出していた。
怒りと情けなさをない交ぜにしたような暗い感情を、抑えられなかったのだ。
魔力を載せた拳はランスに当たり、彼は城での司教がそうだったように、頭から天井に突っ込む。
ランスは抵抗しなかった。
「頭に血が上って、つまらぬものを殴ってしまったわ……こんなことをしても、何も解決しないのに、私は駄目な師ね」
少しの間足をばたつかせていたランスは、やがて魔法を使って天井から下りてきた。
殴られた顎も自分で魔法を使って治療している。
「ランス、今後、そういう無関心は止めてちょうだい。命の危険がある子は助けてあげてほしいの」
「……先生がそう言うなら」
心の機微に疎いながらも、ランスは私の意見をモーター教内で通すのに同意してくれた。
研究所育ちの彼には、善悪の概念が希薄なところがある。
そして、他人に指示を出されなければ、ほとんど自分から動くことはない。
困った生き方は、五百年の間に改善されてはいないようだ。
私の弟子教育もまだまだ課題が多い。
「ついでに、教皇の仕事も退職します。衣食住が整っていて楽だったので、今まで世話になっていましたが、枢機卿への義理は十分に果たしたと思うので。教皇じゃなくなったら、私を先生の傍に置いてくださいね」
「んん!?」
急におかしな方向に話が飛び、私は弟子を凝視する。
「だって教皇を辞めたら、私の行き場がなくなってしまいます。メルキュール家は魔法使いの家なんですよね? 私だって、条件を満たしています」
「それはそうだけど……」
「メルキュール伯爵が旦那さんなら、私は愛人でいいです。先生の傍にいられるなら形にはこだわりませんので」
隣でシャールがガタッと音を立てて立ち上がる。
「ランス、あなた、言葉の意味をわかって言っているの? 愛人っていうのはね……」
「わかっていますよ。私の方が先生よりも、五百歳くらい年上なんですから。それに言いましたよね? 先生に旦那さんがいても、気にしないって」
理解して口に出しているのなら、なかなか性質が悪い冗談だ。シャールもいるというのに。
「私は愛人を募集していないわ。そうね、学舎にいる子供たちの教育係か、屋敷の警備係を任せたいわ」
再び着席したシャールが横から「教皇が教育係か……」と、心配そうに呟いた。
彼の懸念も尤もなのだけれど。
「ランス、五百年前の話をもっと詳しく教えてくれないかしら」
「そう言われましても……私も先輩たちと一緒で、先生を悲しませたくはないんです。先生は粗悪な魔法アイテムの害から人々を守って、そのせいで力尽きてしまったとしか……」
あの夢で見た光景に繋がる部分がある。
「馬鹿な奴らが、先生から受けた恩も忘れて増長して。ほんと、私が全部消してやればよかった」
三番弟子に似合わない、物騒な発言だった。
しかし、不穏な面影はすぐになくなって、ランスは穏やかな表情に戻る。
「それより先生は先輩方に会われたのですか? 彼らも同じ時代にいるの?」
「ええ、少し前に会ったわ」
「もしかして、レーヴル王国にはグラシアル先輩がいたりします?」
「あら、知っていたの? 彼、第一王子なの。エペはオングル帝国で商人をしているわ」
「商人? エペ先輩のことですから、やばいものを売っているんじゃ……」
そろそろエペやフレーシュも動き出しそうだから、ランスもすぐに会えると思う。
「先輩たちに会うのは後回しで大丈夫そうですね。それでは先生、私は一度王宮に戻ります。メルキュール伯爵、私が不在の間、先生をよろしくお願いしますね」
シャールは仏頂面でランスを見る。
「どうしてお前に、ラムをよろしくされなければならない」
「仲良くやりましょうよ、正妻……もとい正夫殿。じゃ、そういうことで」
言いたいことだけ言うと、ランスは転移魔法で消えてしまった。
「ごめんなさいね、シャール。私もまさか、弟子が教皇をしているなんて予想していなかったものだから。複雑だったでしょう?」
なんとも言えず、私はたどたどしくシャールに言葉をかける。
シャールは態度に出さないが、メルキュール家はこれまでモーター教に煮え湯を飲まされ続けてきた。
思うところがないはずがない。
しかも……ランスは教皇という地位にありながら、全部が投げやりで、とても適当に生きてきたのだ。
私がランスを殴ったからといって、溜飲は下りないだろう。
「昔の知り合いだからといって、ラムが気に病む必要はない。あいつの方が年上なのだから、お前が保護者として振る舞うのも変な話だ」
つまり、気にするなと言ってくれているようだ。
「モーター教への対処は追い追い考えるとして、今はお前の過去の話と顔色が気になる。気づいていないみたいだが、顔面が蒼白だ」
「えっ? 私、そんなに顔色が悪い?」
「ああ、あいつを殴ったあとから、徐々に血の気が引いているように思える。今日はもう部屋に戻った方がいい」
「そうさせてもらうわ。いろいろなことがあったから、体に不調が出たのかも。前ほど苦しくはないけれど」
「苦しくない人間は、そんな顔色にはならない」
シャールは私の手を取って、部屋まで転移する。
そうして、近くにいたメイドにドレスの着替えを頼むと、部屋を出て行った。
考えたい謎や、悩みはまだあるけれど、混乱して考えがまとまらない。
やはり、シャールに告げられたとおりで、体調がよくないのだろう。
私は彼の指示に従い、さっさとベッドに横になることにした。
(それにしても、私の過去がますます気になってしまうわ)
悶々としているうちに、体力が切れた私は意識を失ってしまった。