128:500年前のダンス
「いいから話せ」
「え、あ、その……」
動けないままでいると、不意にシャールの顔が近づく。
そうして、額に彼の唇が静かに触れた。
シャールの体はゆっくり離れていったが、私は同じ姿勢でじっと彼を見続ける。
馬車の中が若干暗いので、細かな様子まではわからないが、シャールもまた、自分が今取った行動の意味を計りかね、僅かに戸惑っている風に見えた。
「なんで、あなたがそんな顔をするのよ。私のほうが大混乱なのに」
思わず漏れた言葉に、彼は少し悩んでから答えた。
「お前の顔を間近で見たら、なぜか口づけたくなって体が勝手に動いた」
「へぁっ!?」
口づけたいって、どういう意味?
心臓の鼓動がまた速くなっていくのがわかって、私はごくりとつばを飲み込んだ。
馬車の中に沈黙が落ちる。
(落ち着くのよ、私ばかりがシャールを意識するなんておかしいわ。シャールに深い考えなんてないんだから気に留めなくて大丈夫)
そうしている内にも馬車は城へ向かって進み続け、予定時刻よりも早く到着した。
転移魔法でギリギリに行けばいい話だが、魔法に慣れない人々の前に突然私たちが現れたら、城内で大パニックが起こってしまう。
周囲に配慮し、今日は馬車に乗ることにした。
シャールの手を借りて馬車から降りた私は、ぼんやり照らされた城を見る。
まだ歓迎会は始まっていないし、人もまばらだが、建物から楽団の音楽が聞こえてきた。
リハーサルだろうか。ゆったりとしたリズムの、ダンス曲だ。
(ちょっと踊ってみたいかも)
私たちは他の貴族との接触を避けるため、開かれた王城の庭の隅でしばし開宴を待つことにした。
「せっかくだ、お前の古典ダンスをここで披露してみるか?」
まるで私の心を読んだようにシャールが告げる。凄いタイミングだ。
古典だと言われるのは、ちょっと複雑だけれど。
「幸い、こんな庭の外れには誰も来ない。自由に踊れるぞ」
同時に別の馬車で到着した双子は城内を散策中だ。
あの二人なら、何かあっても自分たちでなんとかできるので、好きに動いてもらっている。
「あのね、古典ダンスにも相手が必要なの。現代っ子のあなたには難しいでしょ?」
言うと、シャールは無言で私の前に立ち、挑戦的な笑みを浮かべた。
「適当に合わせてやる」
「……そ、そう。私のスピードについてこられるかしら?」
「お前の体に不調が出るくらい激しいのはナシだ。だいたい、今の曲でどうやって早く踊るんだ?」
「今日は体調が絶好調なのよ」
「お前の絶好調は当てにならない」
シャールに図星を指摘された私は、無言で彼に手を差し出す。
合わせると言ったからには付き合ってもらうつもりだ。
「いくわよ、シャール」
人工的な光が落ちる庭園の影で私とシャールは音楽に合わせて足を動かし始める。
シャールは器用に私の動きを見ながらステップを踏み始めた。
(器用……なるほど、シャールは運動神経がいいものね)
私は少しだけ、ダンスの難易度を上げる。
現在ではともかく、過去の私はそれなりにダンスができたのだ。
王宮に招かれたときは、弟子に付き合ってもらい、ダンスにも参加した。
ダンスの相手を務めたいと弟子たちが喧嘩を始めるため、毎回全員と踊る必要があったが……。
難易度を上げても、シャールは軽くついてきている。
楽団の曲が変わり、速めのリズムになった。
私もステップの速度を上げて、複雑な動きを加える。
「ラム、あまり激しい動きは」
「ふふふ、まだまだ余裕よ。シャールこそ、ついてくるのが難しくなってきたんじゃな……っ!?」
不意に踵に固いものが当たり、体が前に崩れる。細いヒールで小石を踏んでしまったようだ。
「わわっ、きゃあっ!」
「ラム!?」
シャールに支えられて転倒を免れたが、思い切りむぎゅっと彼の胸に抱きついてしまっていた。
「ごめんなさい」
「……ああ」
口数の少ないシャールだけれど、彼の心臓は私と同じように早鐘を打っている。
「シャール、ドキドキしてる」
考えていた内容が口をついて出た私を見下ろし、シャールは最初キョトンとした表情を浮かべた。やがて「そうだな」と満足そうな顔になり、そのまま腕に力を込める。
そんなことをされては、抜け出せない。
「あの、もう大丈夫だから放してくれる?」
遠慮がちに頼むと、彼の腕がゆっくり背から離れた。
「そろそろ、歓迎会が始まりそうだ。ラム、移動するぞ」
「ええ、転移ができないのは面倒ねえ。このハイヒール、疲れるのよ」
「そうか」
シャールは、なんてことないような顔で突然私を抱き上げる。
「なら会場までは、これで向かおう」
「まだ歩けるから、ここまでしなくても大丈夫よ!? ほら、入口はあの向こうに見えているし」
「暗いしまた転ぶと危ない」
先ほど転んだのは事実なので、私は押し黙った。