98話・ブリギットの事情
私達の馬車の中に修道女と子供が乗り込んできて二人で何とか余裕のあった内部は狭くなった。
子供はブルギットの膝の上ではしゃぐ。
「みて、みて。ブリーさま」
「いけません。ケイ。大人しくしましょうね」
「なあに。初めて馬車に乗るのだろう? 好きなだけ見させておけ」
「ヴァン」
子供の名前はケイと言うらしい。ブリギットはイヴァンの愛称を呼ぶ。それを許しているイヴァンに苛立ちを感じていると、彼が髪を梳いてきた。
「どうした? レナ。今日は大人しいな」
「放っておいて下さい」
「なんだ? ご機嫌斜めか?」
ヴァンの馬鹿。彼を睨むとフフッと側で笑いが起きた。ブリギットだった。
「お二人とも仲が宜しいのですね?」
「ああ。相思相愛だからな」
「微笑ましいですわ」
イヴァンが見せ付けるように私の腰に腕を回してくる。それに一瞬、険しい視線を向けた彼女の様子を、私は見落とさなかった。
しばらくして修道院前に着き、彼女はお礼を言ってケイ少年と降りていった。
「彼女とはどのような知り合いですの?」
「ブリギットの従兄が余の部隊に身を置いていた。隣国との小競り合いがあって、彼女のいたキルデア修道院が負傷した兵の保護を申し出てくれた」
「それにしては愛称で呼ばせるぐらいに、随分と仲が良さそうだったけど?」
「彼女の従兄と仲が良かったからな」
「そう」
「彼女とは何もないからな。ただ、彼女に対して負い目はある」
「負い目?」
「余が負傷した時、修道院に担架で運ばれた所を狙った者がいた。その者から身を呈して庇ってくれたのがブルギットだ。そのせいで彼女の脇腹に傷痕が残った」
「……!」
「その時、余は心にもないことを言ってしまったのだ。責任を取ると」
そうだったのか。イヴァンは彼女と再会したことでその時のことを思い出していたらしかった。
「でも、彼女が今も修道女をしているということは、あなたの申し出を受け入れなかったのでしょう?」
「そうだ。自分には信仰があると言ってな。彼女は面倒見が良かったから孤児院の子らにも慕われていたし、当時の修道女の所長に可愛がられていた」
「そんな御方がなぜ修道院に?」
「許婚を亡くしたからだ。彼女の許婚も余の部下だった。敵の襲撃にあって命を落としていた。その亡くなった許婚の御霊を弔うために修道女となった」
「そうだったの」
そんな事情があったとは知らなかったので、余計な邪推をした自分が恥ずかしく思えた。
「彼女は今も亡き許婚のことを思っているのさ」
「そう」
彼女の行動はなかなか出来ることではない。もしも彼女がイヴァンに体を傷つけられた責任を取らせようと思ったのなら、イヴァンは淡々とそれを受け入れただろう。今、私の立場にいたのは彼女だったのかも知れない。あり得たかも知れない未来を思うとぞくりとした。




