89話・もう少し私のことを信じて欲しいわ
「レナ。疲れただろう? 済まないな。慌ただしい出立となって」
「明日の帰国じゃなかったの? 今晩発つと聞いた時にはいきなりで驚いたわ」
問題のギヨム陛下はあの後、部屋に監禁となった。出立は明日の昼間の予定だったのに、イヴァンは夜会でギヨム陛下が近衛兵に連れられて退出した後、いつの間にか側に来ていた侍従に耳打ちされて「帰るぞ」と、言い出した。
「いや、余達にとっては予定通りだ」
「じゃあ、フランベルジュ側には教えてないの?」
イヴァンは計画通りだと言うが、私は今夜出立するなんて聞いていなかった。
フランベルジュ側にも何の説明もなしに出てきたけどそれでいいの? と、聞けば「宰相には言ってある」と言われるし、何か考えての行動に違いない。
私達が向かっているのは宿場街。そこに今夜泊まるとイヴァンから説明された。
「レナはアドラー公爵のことをどう思っているんだ?」
馬車の中で、私の隣に腰掛けるイヴァンが気になったように聞いてくる。
「どう思うって、今日初めて会ったばかりの人よ。別に何とも思わないけど?」
「前世では会っていたのだろう?」
こちらを見る目や、向けられた言葉に嫉妬が感じられる。
「前世では会ったことはあるけど、公爵に言われるまでそんなことがあったことすら忘れていたわ」
「公爵は未だに独身らしい。きっと姉上のことが忘れられないのだろう」
「嫌だわ。イヴァン、妬いているの? 前世、出会ったフィリペさまは当時十五歳よ。まだ少年だったわ」
「十五歳なら成人だ。結婚だって出来る」
ふて腐れたように言うイヴァンが少年のように見えて可愛らしかった。夫婦になったと言うのにイヴァンはまだ、不安がっているのだ。
私が自分以外の男に目を留めそうで怖がっている。そんなことあり得ないのに。
「馬鹿ね。イヴァン。もしも当時、フィリペさまから求婚されたとしても私は頷かなかったわ」
「本当に?」
「私を疑うの?」
「いや、その……」
「あの時は領地を豊かにすることしか考えてなかったし、領地経営に夢中になっていたから他のことに目を留める余裕もなかったわ」
「……公爵は独り身だと聞く」
イヴァンは、フィリペがまだ初恋の女性ソニアに心を残しているように思われたのだろう。
「大丈夫だって。彼が私に求婚することはまずないわ」
「どうしてそう言い切れる?」
「だって今の私はレナだし、公爵さまは二年ほど前に奥さまを亡くされたばかりなのよ。おしどり夫婦と評判だったそうよ」
王太子妃から聞いた話を伝えれば、イヴァンは目を丸くした。
「公爵は結婚していたのか? レナはいつ聞いたのだ?」
「知らなかったの? マリーさまと何回かお茶をご一緒させて頂いた時に、クロスライト国贔屓の叔父様がいるとお伺いしたの。でも、奥さまを亡くされてから元気がなくてと心配されていて、今度こちらに来るからその時にでも紹介したいって言われたわ。その方がフィリペさまとは思わなかったけれどね」
「そうか……!」
「もう少し私のことを信じて欲しいわ」
「済まない」




