87話・前世の仕返しさせていただきます
ギヨムも鍬を持った民が自分に向けて襲いかかる所でも想像したのだろう。背筋を震わせていた。
私はフィリペの言葉を聞いて泣きそうになった。イヴァンに縋り付くと腕の中に囲われる。彼の胸に額を押しつける。領民達はソニアの事を思ってくれていた。その気持ちが嬉しくて堪らなかった。
イヴァンが「彼らの願いは叶ったな」と、囁いてくる。領民の望んだ頼もしい王子は私のすぐ目の前にいる。背中に回された腕が温かく包み込んでいた。
「領民達は始め白魚のような手をした王女さまが、八年もの間に慣れない環境で鍬を握ってきたことで、手に肉刺ができ、関節も太くなっていったのを見咎めていたのです。本来ならそのような暮らしとは無縁の御方が自分達の為にそこまでしてと、心を痛めておいででした。実は私はソニア王女に求婚しようと思ったことがあったのです」
「……!」
私を抱きしめていたイヴァンの腕に力がこもるのが分かった。
「でも一足、遅すぎました。私が求婚の為に国を出ようとした時に、ソニア王女は政変で命を落とされたと聞きました」
神妙な口調でフィリペが言った。私とイヴァンは彼のその後の言葉が気になっていた。
「若気の至りです。私が求婚したとしても、ソニア王女が応えてくれるとは限らないのに、なぜかあの時は私が王女に求婚するしかないと思い込んでしまったのですから」
「叔父様にとって初恋だったらしいですわ。初恋は実らないと聞きますしね」
「これ。マリー、余計な事は言わなくて宜しい」
「良いではありませんの。叔父様。私はレナさまとお友達なのですから。どうりで私、レナさまとお会いしたときに初めて会った気がしませんでしたの。誰かに似ているような気がして。レナさまはソニア王女に似ているのですね」
隠していたことを暴露されて恥ずかしがるフィリペをからかうようにマリーが言う。叔父と姪の関係でも、二人の仲の良さが知れた。
「伯母様はよく私の前で嘆かれていましたわ。結婚には自分の意見は聞き入れられなくて決まったもので、自分が望んだ相手ではなかったと。自分と子作りする一方で他の女性に愛を語る陛下には、結婚当初から失望していたと」
「そのお気持ちは分かります。女性としては自分の夫となる御方には一途であって欲しいと思いますわよね」
イヴァンの胸から顔を起こしてマリーの意見に同意すると、居たたまれないようにこそこそとその場から離れようとするギヨムが視界に入った。
私は大きな声をあげた。出来ればホールにいる人達にも聞こえるように。
「そういえば私の元にソニア王女の手記が残されていますの。そこにはこちらの陛下が王子時代のことが詳しく書かれていましたわ」
「レナータ王妃?」
クロスライト王妃が人前で何を言い出すのだろうと、ギヨムは恐々としていた。
「お見合いの席でソニア王女を醜女と呼び、人前で辱めたこと。そして話の話題として政治を持ち出され、何一つ理解出来なかった王子は帰国後、自分と交流のあった遊興仲間の王子達へ、クロスライト国は田舎者の集まりだ。宮殿は馬鹿でかいばかりでフランベルジュ国のような洗練された会話一つ出来ない愚図ばかりいる。王らは着ているものは野暮ったく、洗練さに欠けていると吹聴して回ったとか?」
これは前世の私が、彼に実際にされたことだ。今生でソニアの記憶を取り戻したときに、ギヨムの件は非常に悔しく思っていた。
こいつは自分の取り巻きらと、ソニアの事やソニアが愛したクロスライト国のことまであざ笑っていたのだ。出来ることなら仕返しをしてやりたいと思っていたら、神は私に微笑んだ。この機会をみすみす手放す気にはなれない。
私の糾弾の声に、この夜会に招かれていた他国の使者や、王侯らが一斉に注目した。




