241話・モーチャ
不思議なもので娘達は大人が絶対的存在で何でも知っていると思い込んでいる。父親の自分に知らない事があることが信じられないようだ。
それでも一緒に蟻の行列がどこに向かっているのか着いていこうというと、エリザベータは頷いた。
「ずるいっ。わたしもいく。おとうさま。てをつなごう」
双子なのでどちらかに構い過ぎると片方がヤキモチを焼く。二人と手を繋いで地面の上に細く長く続く蟻の列を追っていくと茂みの中へ伸びていた。その先には地面の上にこんもり塩でも盛ったように土が小さな山となっていてエリザベータがはしゃいだ。
「おとうさま。ありのすよ。ここにたくさん、ありがいるわ」
「よく分かったな。サーシャ」
「あとでギールにおしえてあげるの」
ギールとはこの宮殿の庭のことを任せている専門の庭師だ。この庭園の花や庭木が痛まないよう手を尽くしてくれている。
二人は繋いでいた手を離し、身を屈めてじっと蟻の動きを熱心に見入っている。注目し出すとこの二人はてこでも動かない。興味が失せるまでそこを離れないのは明らかだ。
それを何が面白いのやらと思いながら眺めているとしばらくしてアレクサンドラが袖を引いているのに気がついた。
「おとうさま。サーシャおなかすいた」
「リーザも」
二人がようやく蟻から目を離す。自分にとっては苦行のような時間が終わった瞬間だった。
「宮殿に戻ろうか。そろそろおやつの時間だな」
二人と手を繋いで子供部屋に入ると、お腹の大きなレナータが出迎えた。
「外は暑かったでしょう? 手を洗ってらっしゃい。シャーベットがあるわよ」
「わーい」
「ありがとう。おかあさまっ」
二人とも先を争うように手洗い場へ行ってしまった。その二人を笑顔で見送るレナータに近づき、ソファーへと促す。
「立っていて大丈夫か? 座ろう」
「ヴァン。大丈夫よ。今回は前回のようなことはないから」
「でも心配だ」
ソファーに腰掛けたレナータの隣に座り、自分側の手を取ってその甲に口づけた。もうじき三児の母となるレナータは艶めいてさらに美しくなった。その妻が誇らしくも不安にもなる。
自分が二十六歳も年上で老いていくのが怖くもある。その自分にレナータは笑みを向けた。
「前回とは違うもの。結構食欲出て来て産後太らないか不安なくらいよ」
「そしたら二人で運動しよう」
前回の妊娠は双子だっただけに、華奢なレナータは難儀した。つわりも酷く出産間際まで吐いていたような状態だったし、よく貧血を起こしかけた。その度に変わってやれたならとどんなに思ったことか。
それでも双子を産み落としたときに彼女は「あなたに似た子よ、それも二人」と、産後で疲れているのにもかかわらず喜んでいた。
その彼女が産後の体型を気にしていた。自分にとってはそのようなことは些末なこと。多少、ふっくらしようがレナータはレナータだ。
自分の為に子を産んでくれたレナータが結婚当初の体型を保てなかったとしても、自分の愛は揺るがない。
「モーチャ。おきてる?」
「モーチャのおねぼうさん」
手を洗い終えた娘達がレナータの前で何やら言った。どうもお腹の子に話しかけているようだ。そして付き添いの女官に促されてテーブルに付き、用意されていたシャーベットをスプーンで掬って頬張っていた。
それを見ながら隣のレナータに問いかける。
「モーチャ?」
「この子の愛称なんですって。サーシャとリーザがお腹の子は男の子だって言うのよ。ふたりともお腹の子の名前はマトヴェイだって言って聞かないの」
「神からの贈り物という意味か。良いかもな」
双子のネーミングセンスに驚く。マトヴェイとは古語から来ていて「神から授けられた」という意味がある。
二人とも意味が分かっていて言っているのかとふと首を傾げたくなったが、隣にいるレナータは六歳で多国語に通じていた。娘達も恐らく分かっているのだろう。




