210話・何者だ?
翌朝。馬車が国境を越えた時だった。馬車がガクンと揺れた。隣に座っていたレナータの体を衝撃から守るために咄嗟に抱きしめる。馬車が急停車したらしい。
揺れが収まって窓の外を見れば、何やら前方で何か起こった様子だ。
セルギウスが慌ててやって来たので、窓越しに声をかけた。
「何事だ? セルギウス」
「陛下。たった今、馬車の前に子供が飛び出して来まして……」
セルギウスの話だと、五歳くらいの子供が馬車の前に飛び出して来た為、御者が急停止させたらしい。その子供の後を修道女が追ってきたと報告を受けた。
「その子供はどうもこの近くの修道院の子供らしく」
「キルデア修道院か?」
「はい。その通りです」
この辺りの修道院と言えば、キルデア修道院しかない。今まで忘れていた過去が、それを責めるかのように古傷を疼かせた。
馬車から降りようとするとレナータが後に続こうとしたがそれを止めた。でもそれを聞くような彼女ではない。結局、後に続いた。
「ごめんなさい」
「申し訳ありません」
子供と中年の修道女が御者や、護衛らに向けて何度も頭を下げていた。
「陛下。こちらです」
「顔を上げよ。怪我はないか?」
「はい。かすっただけで怪我はしておりません」
顔を上げた修道女を見た時に目を疑った。彼女の顔が知り合いにそっくりだった。
「ブリギットか?」
彼女なのか?と、言う思いが言葉を紡いだ。
「はい。あなたさまは……? ヴァン?」
「ブリーさま。ブリーさま」
時間が止まったような気がした。彼女がここにいる? しかも彼女に許していた愛称がその口から漏れたときに耳を疑いたくなった。
見つめ合う自分達を現実に引き戻したのは馬車の前に飛び出した子供だった。少年が必死にブリギットの手を引く。
「その子供は孤児院の子か?」
「はい。我が修道院で面倒を見ております」
知人の顔をした者を見て疑いの心しか湧かなかった。この出会いは偶然で片付けられることだろうか? 危険の中で築き上げてきた勘のようなものが頭の中で警鐘を鳴らす。彼女は何者だ? そう思ったら黙って帰す事は出来なかった。
「送っていこう」
「いえ、そこまでして頂く必要はありません。修道院はすぐそこですし」
「いや、送る」
もしかしたら自分の知らないうちに何かが起こりそうで、その正体を突き止めたいような気もしてきた。背後でレナータが不安そうにしていることにも気がつかず、彼女と子供を馬車に乗せることにした。
馬車の中で軽くレナータのことをブリギットに紹介する。彼女が何者か分からない今、必要以上の話題を提供する気にはならなかった。
なぜレナータと一緒にいる時に現れたのか。
彼女がいる前では、怪しいからという理由だけで目の前の彼女を葬り去る事は出来ない。心優しい彼女に汚れ仕事は見られたくなかった。
だからといって怪しい女を放置することも出来ずに、修道院まで送ることにした。そこに何か隠されているのか確認する為に。
彼女が現れたと言うことは、何か隠されているに間違いなかった。




