2話・陛下にとっては一石二鳥
私、レナータ・ゼレノイが前世を思い出してしまったのは六歳の時。奇しくもイヴァン陛下に呼び出されて対面した時だった。
それまで私は田舎領主の孫娘でしかなかった。私は赤子の時に両親を喪い、祖父母のもとですくすく育った。
祖父はすでに引退していたが、この国の大使をしていた。祖父は驕るところがない人で人当たりも良く、友人が沢山いて他国の要人達と付き合いも多かった。
その祖父母らに「可愛い、可愛い」と、私は溺愛されて育ち、幼い頃から屋敷を訪れる要人方にも可愛がられて交流をしていくうちに、自然と三カ国ぐらい簡単に話せるようになっていた。
自分にとっては多国語を聞いているうちに自然と聞き分けられるようになり、難なく他国の言葉が理解出来てしまっただけで、別に特別でも何でもなかった。
それが皆に感心されて、「ゼレノイ大使の孫娘は語学力に優れている」と評判となったことから、その話を聞いて興味を示した自国の陛下からお呼び出しを受ける事となってしまった。
祖父に手を引かれて対面した国王陛下は、精悍な体つきをした三十代の男で、黒髪に黒い顎髭を生やし、神秘的な青緑色した目がややつり上がっていて雄々しく、六歳の子供から見れば怖く感じられた。
そのイヴァン陛下の視線から逃れるように、咄嗟に祖父の後ろに隠れれば、陛下は「こちらにおいで」と猫なで声で言いながら、玉座を下りてすぐ側までやってきた。
「ほう。亜麻色の髪に菫色の瞳か。綺麗だな」
嫌々する私を、祖父から引き剥がすように抱き上げられる。陛下に瞳を覗き込まれて、ゾクリとした。
私は茶色い髪に琥珀色の瞳を持つ祖父には全然似ていない。祖父は従姉妹の祖母と婚姻したそうで、二人とも似たような見た目をしているし、亡き父も二人に良く似ていたと思われる。
私は母親に似たようだった。
陛下の探るような目線に気が遠くなりかけ、その時に蘇ってきた憤然とした思いと記憶があった。
それらを全て思い出した時、私にとってイヴァン殿下とは油断の出来ない相手となった。
なんとこの男は前世の私と半分だけ血の繋がった姉弟だったのだ。しかも彼の誕生が、私や双子の兄、弟の将来を歪めた。
この男が現在、王位に就いているということは、前世の私が守ろうとした兄や弟の血筋は途絶えたということ。愕然とした。
前世の自分から見れば、憎き愛妾一派に玉座を奪われたと言うことだ。
────もしも、そなたが……。
と、ふいに脳裏に蘇った懐かしい父王の言葉。前世私は摂政姫ソニアと呼ばれていた。父王が存命の時から、体の弱った第一王子の代わりとして父の政治の補佐をしていた。
父王はまさか晩年に自分が夢中になった愛妾が後に将軍と手を組み、自分の死後、子供達が宮殿から追われる事になるとは夢にも思ってもいなかっただろう。
前世の記憶を取り戻して六歳だった私は取り乱しそうになった。
信じられなかった。
どうしてこの時代に生まれ変わってしまったのか?
前世では私が十七歳の時に誕生した義弟と、今生でこのような再会を果たすことになろうとは思いもしなかった。
────あの愛妾が産んだ息子!
どうせ転生するのなら、前世とは全然係わりのない国に生まれ変わりたかった。
「……ナータ、レナータ」
焦ったような私を呼ぶ祖父の声。気を取り戻すとそれは一瞬のことで、私は前世散々憎んだ男の膝の上にいた。
「可愛い娘だ。賢そうな顔をしている」
私の心情など分かりもしない男が何か言っていた。
「気に入った。そうだ、レナータ。おまえはヨアキムの嫁になれ」
「レナータを王太子妃に? とんでもない!」
ヨアキムとは王太子殿下のことだ。幽閉されて儚く亡くなった王妃が産んだ、たった一人のお世継ぎ様。その殿下と陛下は不仲で、陛下は殿下を疎んでいると評判だった。
祖父は目を剥いていた。私も驚いた。この私が王太子妃に? この男はいとも簡単に言ってくれる。
「その通りだ。不満か? バラム。丁度良いことにヨアキムにはまだ許婚がおらぬ」
「不躾ながらこの子は田舎育ちです。宮殿でのマナーなど何一つ知りません」
バラムというのは祖父の名だ。祖父は私を王太子妃だなんてとんでもないと断ろうとした。私も宮殿での暮らしなどまっぴらだ。
「ではレナータに、マナー教師をつけようではないか。レナータは聡明だと聞いているから飲み込みも早いだろう」
「わざわざ田舎の我が家まで片道三時間かけて家庭教師においで頂くのは申し訳なく思いますし、ヨアキム様には他に相応しい高位の貴族のご令嬢方がいらっしゃるのではありませんか?」
「確かにお前が言うとおり、あれに相応しい年頃の娘なら他にも沢山いる。でも余はこのレナータが気に入った」
「ご容赦下さい」
陛下の発言に祖父は苦笑いを浮かべていた。陛下を前にして祖父の大胆な物言いにハラハラさせられるが、祖父とはこう言う人だったと思い出した。
祖父のバラムは、父王に仕えていた外交官で有能だった。国内が揺れていても外交が上手く行っていたのは、彼の人柄と手腕によるものだ。
前世、父も私も彼を買っていた。その彼の孫に転生出来たことは良かったと思っている。
祖父が断ろうとしているのに、陛下は引かなかった。
「王都に屋敷を用意させる。そこでレナータに教育を受けさせよう。お前達も共に住むがいい」
「そこまでレナータのことが気に入られたのですか?」
「ああ。おまえは余に孫娘を会わせたくなかったようだが?」
「こうなると思ったからですよ」
祖父の顔に「だから連れてきたくなかった」と、書かれていた。祖父は陛下が私を呼び出した理由に見当がついていたようだ。
陛下と祖父のやり取りから恐らく、陛下は有能な祖父をそのまま田舎に引きこもらせているのは勿体ないと思っていたのだろう。
何か理由をつけて呼び出そうとしていたところに、私の噂が丁度良く陛下の耳に飛び込んで来た。そこで陛下は息子との婚約をちらつかせて祖父を仕事に復帰させる算段に思えた。
「なら諦めろ。余はレナータのような娘が欲しかった」
「私はもう現役を退いた身ですよ。それを陛下は馬車馬のようにこき使う気ですか?」
祖父はやれやれと深いため息を漏らした。それを陛下は見咎めることもなかった。祖父のバラムとは友好な関係を築いているらしかった。
「何を言う? 有能な外交官を祖父に持つ王太子妃の誕生だ。ひ孫がゆくゆく王冠を被ることになる。嬉しいだろうが」
おまえは田舎に骨を埋めるつもりだったのだろうが諦めろと陛下は言った。
「恐縮ですよ。レナータだって大任すぎて驚きすぎて声も出ないようです」
なぁ、レナータと祖父が笑いかけてくる。それに私はうんうんと何度も首を縦に振った。
しかし、陛下の決定が覆されることはなかった。絶対権力者の前には祖父も最終的には逆らえず、屈することになったのだ。
陛下としては祖父にとっての人質として私を取り上げ、息子の婚約相手も見つかって一石二鳥な反応だった。
その日から私の生活は一転することになる。祖父母と田舎の屋敷を引き上げて、すぐに陛下から与えられた王都の屋敷へと移り住んだ。
毎日、退屈な王太子妃教育を受けることになり、息が詰まるような籠の鳥のような生活が始まったのだった。




