198話・誰も見てないぞ
ルシアは自分の苛立ちに気がついてないようで甘えるように言ってきた。
「ねぇねぇ、小父様。今回はゆっくり滞在されるのでしょう?」
「まあ……」
「じゃあ、わたくしもこちらに来ていい?」
脳天気な言葉に「今すぐ帰れ」と怒鳴りたくなった。レナータとの二人きりの時間をこの王女の突入で邪魔された気がしてならない。さっさと帰れと言う代わりに拒否の言葉がするりと口から出た。
「それはお断り致します」
「えー、なぜ?」
まだ居座る気か? 苛立ちが増してくる。
「余は妻のレナータを愛しているのです。レナータとの時間を大切にしたい。新婚なので、この一分一秒も無駄にしたくないのですよ。ですから邪魔されるならご遠慮いただきたい」
「邪魔なんてしないわ。わたくしはただ……」
「あ……。ルシア殿下。見つけました!」
口ごもるルシアの背後から数名の女性たちが姿を現した。女性の護衛兵と養育係のようだ。
おまえら来るのが遅い! と、文句の一つも言いたくなったが、逃げ出そうとしたルシアを護衛兵達二名が捕まえたのを見て少しだけ溜飲が下がった。
「殿下。診察の先生が来るというのにこちらへ逃げ込むなんて。道理でなかなか見付からないわけです」
眼鏡をかけたお団子頭の養育係が肩で息をしながら言う。
嫌がるルシアは女性兵に抱き上げられて連れて行かれた。それを見送って養育係が謝罪してきた。
「これはクロスライト国王陛下。妃殿下。大変お騒がせ致しました。わたくしはタラーリ。ルシア殿下の養育係をしております。この件につきましては改めてお詫びに参ります。御前失礼致します」
タラーリは深々と頭を下げてきたが、レナータを侮辱されたことは簡単には許せなかった。
「あれの養育係? あれとあれの母にしっかり礼儀を教えておけ。このレナータは余の妻である。どこぞの馬の骨ではないと。二度目はないぞ」
「はっ、失礼致しました」
レナータを貶められて、このままでいるとは思うなよ。と、言ってやればタラーリは震え上がり、青ざめた顔でその場を去った。
彼女らが立ち去った後、レナータが気になったように聞いてきた。
「イヴァン。ルシア殿下は慢性の何か病気でも抱えているの?」
「見て分かったか? この国の王族達は近親婚を繰り返した結果、遺伝性疾患を抱えている。ルシア殿下も見た目は普通そうだが、話してみて分かっただろう?」
「遺伝性?」
「ああ。母親は先代王弟の庶子だったそうだ。ルシア殿下は頭と体の一部に現れたようだ。相手の気持ちをくみ取るのが苦手で、自分の欲求ばかり相手に押しつけてくる」
「御世話係が大変そうね」
「だが、王女であるから周囲に面倒を見てもらえるという利点もあるぞ」
御世話係は大変だと、レナータはタラーリに同情したみたいだが、これは養育係の進退にも関わることだ。あの馬鹿娘の手綱が上手く弾けないようでは、そのうち解雇されるのも時間の問題だろう。
この国の宰相から聞くタラーリは、上の者に媚びるのが上手く、下の者には冷たく当たっているらしい。あえてそこまで説明する必要はないと思うので言わないが。
「それにしても随分と気に入られたみたいね」
「嫉妬か?」
「違うわよ」
ふて腐れて言うレナータが、面白くなさそうなのは見て取れた。
「おいで。レナ」
妬いてくれる事が嬉しい。それだけ自分が思われているということだ。自分が想っている気持ち以上のものを返してもらっている気がして安心する。
「消毒だ。ここはレナ専用だからな」
「ヴァン」
この腕の中はおまえの物だと言えばレナータが嬉しそうに身を寄せてくる。愛しい彼女の肌の温度を感じながら、つむじにキスを落とすと胸元に顔を寄せてきた。
「余はレナが愛おしくて、可愛くて仕方ないんだ。時間がある限りおまえを愛でたい」
「ヴァン、そういうのは人目がないところで言ってくれる?」
「誰も見てないぞ」
恥ずかしがるレナータに、我らが有能な使用人達は空気を読むからなと言ってやらなくとも賢い彼女は悟ったようだ。女官や護衛達が足音を忍ばせてこの場から離れていくのを。
しばらくはこの余韻に浸っていようと抱きしめ合っていた。




