192話・離婚は勘弁してくれ
翌日。朝早くレナータと共に湖水地方にあるステラ宮殿へ移動する事となった。実はこれはこの国の宰相のレーベの采配だったりする。
ギヨム陛下がレナータに目を留めたのに気がつき、邪な気持ちを起こして何か起こる前にと手を打った結果だ。あそこの王室の男達からレナータを遠ざけることが出来て安心した。
昨晩、侍従長からは陛下から指示されたように言われたが、実際のところ指示したのは宰相で、陛下には事後報告という形で報告が上がる。ギヨム陛下の耳に入るのは、自分達が移動した後になるだろう。
どうしてこういうことを自分が知っているのかと言えば、十数年前に視察でこの国を訪れた際に、宰相のレーベと交流し、手紙を交わし合う仲になっていた。
ギヨム陛下や王太子は政務には携わらないので、政務のほとんどを掌握しているのは宰相のレーベとなる。彼は自分のような自ら政務を執る王を求めていたらしく、自国の王の不甲斐なさを嘆いていた。
ステラ宮殿に向かう森林の中は空気が清々しかった。小鳥が囀り木々の間からこぼれ落ちた陽光が馬車の中にも差し込んでくる。開け放たれた窓から入り込んできた風が心地よかった。
「ああ。なんて気持ちいい風かしら」
風に髪を弄ばれるのを手で抑えながらレナータが言う。パタパタと煽られる髪が顔にかかって煩わしそうだ。その髪を手に取り編み込んでやると、面白くない様子で言われた。
「有り難う。イヴァン。随分手慣れているのね?」
「ああ。辺境で国境警備をしていた時にちょっとな」
「ふ~ん。相当女性にもてたのでしょうね?」
手つきが慣れているのはどうしてだとレナータは指摘していた。辺境部隊にいた時、怪我を負い孤児院に世話になったことがあった。
その時、子供達の面倒を見たことがあって、そこで少女の髪を編むことを覚えたのだ。初めはやり方が分からなくて修道女に教えてもらった。何度かやるうちにコツがつかめてきて修道女に編んでもらっていた少女達が競って自分にやってもらいたがるようになるほど上達していた。
レナータは何を誤解しているのか分からないが、関係を結んだ女に髪を編んでやっていたのかと言われたような気がした。
性欲を解消するためだけに商売女を買ったことはある。でもそれだけだ。そんな女に特別なにかしてやったことはない。
後にも先にも何かしてやりたいと思うのはおまえだけだ。他の女など関係ない。
「もうこれからはおまえとしかやらないから安心しろ」
「その言い方、嫌だわ」
「拗ねるなよ。レナ。余にはおまえしかいない」
「その言葉、今まで何人の女性に言ってきたの?」
言い方がまずかったらしい。レナータは機嫌を損ねてしまった。こうなるともうお手上げだ。
「なあ、レナ。機嫌を直しておくれ。余は若い頃から戦場を駆け抜けるのが精一杯で、女心が良く分かっていない。それでもレナのことはずっと見てきた。誰よりレナの事は知っているつもりだ。過去のことは取り消せないが、今後レナを泣かせないと誓えるぞ」
膝の上に彼女を乗せて恥も外聞もなくひたすら懇願する事しか出来ない。レナータが念押しするように言った。
「本当?」
「本当だ。もしも、その言葉に嘘があったならおまえの好きなようにしていい」
「じゃあ、離婚ね」
「離婚?」
そんな気はない。レナータが別れたがっても手放すものか。
「あなたが他の女性に触れるなんて堪らないもの。不貞行為があったとみなされたならすぐに離婚。分かった?」
「分かった。条件をのもう。そんなことは絶対にないと言い切れるがな」
「どうだか?」
「信じろって」
嫉妬するレナータに愛されているのを感じられて嬉しかったが、信じてもらえないのは辛かった。




