18話・暇なんです
「どうなさいました?」
「ゲラルド。暇なのよ」
王妃である私付きの侍従長ゲラルドが、側でお茶を入れてくれながら聞いてくる。手元の書類を片づけてしまうともうじき昼餐だ。
その後は何も用がない。この状態は陛下が帰って来てからずっと続いている。
「陛下は側近を連れて狩り場に行かれてしまわれたし、何もすることがないのだもの」
「何か趣味でもお持ちになられたら如何ですか?」
今まで王太子妃になるべく勉強に明け暮れてきた私は、婚約破棄される前までにその教育は終了していた。次は王妃教育かと身構えていたら、何とそれも含めて全て終えてしまっていたらしい。
教師らにもう何も教えることはございませんとお墨付きまで頂いてしまった。そればかりか結婚してから特に何もすることはなく、陛下の政務の手伝いを申し出てみたが、イヴァンはその点、出来る男で仕事が早いので私が目にした書類は、提出されたその日のうちに終えている物ばかりだった。
「趣味?」
「何かございませんか? わたくしの妻は刺繍や、レース編み物が得意です」
「ああ。あなたの持っている刺繍入りのハンカチ。見事なものよね」
「お褒めにあずかり光栄にございます」
ゲラルドは妻を褒められて満更でもない顔をする。彼の妻、ヴァーラは手先が器用らしく、ゲラルドの持ち物には彼の家の紋章が綺麗に刺された刺繍が入っていた。
お針子顔負けの腕前なのだ。そんな妻を持って嬉しそうにしている彼を見ていると、アリスと別れて彼は本当に良かったと思う。
「趣味ねぇ……」
「陛下にとって狩猟が息抜きのように、王妃殿下も貴族のご夫人方を招いてお茶会とかされてみては?」
「それも良いけど、何か違う気がするわ」
お茶会を開くのは趣味とは言えない気がする。あれは相手の動向を窺うので息抜きにもなりはしない。
子供の頃から社交的ではあったけど、六歳から王太子妃教育を強いられてきたので、常に勉強が身近にあってそれが趣味のようなものになっていた気がする。
いざそれがなくなってみれば、逆に何をしていいのか分からなくなってきた。
「読書かしら? でもここの図書館のは、ほとんど制覇したようなものだし……」
私の呟きにゲラルドが顔を強ばらせていた。イヴァンのせいで勉強漬けの毎日を送ってきたのだ。暇さえあれば図書館に籠もって過ごしていた。その頃は読書に興味があったから。一日二十冊以上、読むのも苦ではなかったし、今では本の題名を聞くだけでその本が戸棚のどこにあるのかご案内できるぐらいに知り尽くしている。
「殿下がお好きなことならば、何をされても宜しいのでは? 陛下からは別に止められていませんから」
「そうね。陛下には好きにしろと言われているし」
もうため息しか出なかった。こうしていると前世でもこのように時間を持て余していたことがあったなと思い出す。
確か前世で幽閉されていた時のことだ。与えられたのは一冊のノートとインクと一本の羽根ペン。私をそこに閉じ込めた者は、そこで己の罪を悔い改めるようにと言ったが、私にはそのようなつもりはなかった。相手が望むように謝罪文なんて一行も書かなかった。
私は自分が宮殿を追いやられた事を良く思っていなかったのだ。そこでいつの日か舞い戻ってやると、誓いも新たに批判を書き綴った。